05:靴を履き替えた

2020/02/27

#1

目覚めた瞬間、視界がぐにゃりと歪み、耐えきれずに嘔吐した。
しかし、胃の中が空だったのか、胃液だけをシーツに落とした。

「はぁ...はぁ...」

ここはどこ? 病院のベッドのような物に寝かされいるようだけど、部屋はまるでビジネスホテルのような質素さだ。
徐々に記憶が蘇ってくる。
降りかかる斧、床に広がる血溜まり、切断された...右腕。
背中から鳥肌が立って、全身に広がるのを感じる。
恐る恐る、右腕の方へ視線を遣ろうとしたその時。

「譜字平さん!」

それを阻んだのは、聞き覚えの無い女性の声だった。
驚いて声のした方を見ると、扉の前には確か...東条斬美という名の女の子だったと思う。彼女もまた、驚いたようにこちらを見ていた。

「よかった...目が覚めたのね」

「ええと、ここは?」

「ここは私の個室よ。あなた、治療されて戻ってきたと思ったら、2階の廊下に放り出されて居たんだもの。詩守村さんたちは修理から離れるわけにはいかない様子だったから、私が勝手に連れて来たの。ごめんなさいね」

「それは、ええと、ありがとうございます」

治療されて戻ってきた、って、外の世界のことがバレたわけじゃないよね?
モノクマが学園内で治療してくれたのかな。
ダメだ、麻酔から覚めたばかりだからだろうか。頭が回らなくて気持ち悪い。
一体、どれほどの間眠っていたのだろう。
これ以上、参加者の人達と関わりすぎるのは、きっと良くない。
中継を見てる視聴者から反感を買いそうだし、何より、ピアノを提供してるスポンサーに睨まれたら将来が無くなる。

あ。

気が付いて、心が抜け落ちたような脱力を味わう。
私は、そっと右腕に視線を落とした。

腕が、無い。
もう無いんだった。
あれ? じゃあ、楽器職人は?
え? 嘘だよね?

「あっ...やだっ...ちがう、やだ、こんなの、うそ、うそだ、うそ」

「譜字平さん、 落ち着いて」

「やだやだやだやだやだやだ!!!!!」

自分の声が、風の音が、ここが現実と分かる世界の音が怖い。
喉の奥が締め付けられるように苦しくて、声が出せなくなっていく。髪を掻きむしろうと腕を振り上げたけど、そういえば腕はもう無くて、余計に頭がおかしくなりそうだった。

「やだ!!! 助けて!!! こんなのうそだよぉ!!!」

壁に向かって頭を打ち付け、めちゃくちゃになって叫ぶ。
嘘になれ。嘘になれ。お願い。夢が覚めたらそれだけで幸せになれるの。お願いだから...。

「はっ...あぁ...ダメだ...目、覚めないよぉ...なんでぇ...」

「その体で無理したらダメよ。さぁもう少し眠っていて...」

「やだ...やだぁ...」

伸ばされた手を振り払った途端、強烈な目眩に襲われ、体勢を崩した。東条斬美は私の体を支え、ベッドに戻そうとしてくる。

「もう、大丈夫です。放っておいてください」

「大丈夫なわけないでしょう。傷口が塞がるには、まだまだ時間が掛かるわ」

「いい、から、離してください。どうして私なんかに構うんですか。私はモノクマの子供なんですよ」

「最原くんから一通り聞いてるわ。私も、あなたが危険な存在とは思えない」

「だからって、敵を助ける必要なんて...」

「そういうところよ」

「え?」

「そういう、普通な振る舞いが、心配で放っておけないのよ」

彼女は、姉や母のように柔らかい笑みを見せる。他人であり、敵側に属している私に向かって、優しく手を伸ばしてくる。

「やめて!」

私はその手を叩いて抵抗した。

彼女はそうやって、誰にでも世話を焼く。優しい言葉を掛ける。力を尽くす。
親しくもない間柄でそんなことが、思惑も無く出来るわけがない。だとしたら不気味なくらいだ。
だからきっと彼女は、なにか得をする為にそうしているのだ。
でも、そんな事のために私をここまで...。
ううん、こんなコロシアイの状況で考えることなんて分からない。
怖い。
上手く扱われたくない。

私は、再び寝かせようとしてくる東条さんを振り払って、出口の方に歩いて行った。まだフラつくけれど、少しならば問題ない。
こっそりモノクマに掛け合えば、すぐにだって外へ出られる。そうしたら、もっとずっと良い治療が受けられる。
はぁ、嘘。もう治療なんてどうでもいいって。とにかく、いつもの生活に戻って落ち着きたい。

扉を開けて、外へ踏み出す。
一刻も早く外の世界へ帰りたい、と考える中で、それでも私はふと東条さんを振り返ってしまった。

「あっ...」

彼女は、ただ心配そうにこちらを見ていた。
私の身勝手さに怒っていたわけでも、思惑が悟られて悔しそうにしていたわけでもなかった。
その様子を見て、少しだけ立ち去り難くなる。ダメだ。
それでも私は、腕の無い私と、腕の無い将来を許せない。留まれないよ。

「あ、の...」

「いいのよ、こんな時まで他人に気を遣うことなんてないでしょう? あなた自身を、気遣ってあげて」

「ごめん、なさい。それと、助けてくれてありがとうございます...。だけど」

「...また」

ふと言葉を途切れさせ、彼女の口が止まる。
それからまた、慎重に選ぶように言った。

「また、今度、会えたら。違う話をしましょう?」

私は、曖昧な返事をして部屋を出た。



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