2020/02/27
「合歓!? な、なんで...?」
踊り場にて逆光を浴びる、合歓の姿。
黒いレザーワンピースが僅かに空気を含み、硬い生地がふわりと膨らんだ。
「私もいるよー」
その背後から琴都が顔を覗かせ、手を振ってくる。
「あたし達に黙って出て行こうなんて、許さねーぞ」
「そーそ! 牛めし缶食べようっていったじゃん!」
「お前は黙ってろ!」
一方は怒ったように真剣で、もう一方は普段通りに呑気な様子で。
2人は階段を降りて、モノクマに気を止めることも無く、私の方へやって来た。
「紗如」
合歓は、僅かに切らしていた息を整えると、やがて私を強く見つめた。愛らしくもどこか凶暴さが垣間見える、野良猫のような目。同性でも惹かれてしまいそうな、綺麗な顔だ。羨ましい。自信に満ちた、その表情が妬ましくもある。
「東条の部屋に戻るぞ」
「無理だよ。外で治療を受けた方が早く良くなるし、それにもう、ピアノなんてどうだっていいの。合歓たちこそ、早く教室に戻りなよ。手が離せないんでしょ」
「...ルトラが1人で終わらせるから、行ってこいってよ。ありゃ、ホントに1人で完成させちまいそうだぜ」
こちらを窺うように控えめに笑うと、合歓はそっと手を伸ばしてきた。反射的に避けそうになるが、恐れも読み取るかのように、優しく二の腕に触れてくる。無くなった方の腕だ。
「腕が無くなったからってなんだよ。もう少し治療が進めば、腕くらいどうにだってなる。そんなの難しくない時代だろ。だから、こんなことで諦めるなよ」
「簡単に言わないで! みんなが夢に近付いていく中で、腕が使えないまま治療をして、職人になれるような高価な義手を探して、リハビリして...。そうやってみんなに置いていかれるんだよ。それでも、並の実力が手に入るかも分からない。もう諦めた方が楽なんだよ!」
「...悪かったよ。言い返せねーよ。お前が満足するような上等な台詞、あたしには言えないけどさ。せめて、見届けろよ。将来なんてどうだっていいから、あのピアノだけは最後まで見ていけよ。お前が、あたし達を焚き付けたんだから」
「最初っから無謀なことだったんだよ...。出来るわけない。ほとんど素人な子供が集まったところで、直せるわけないもん!」
「あーもう!」
合歓は焦れったそうに声を荒らげると、掴んでいた腕を離して勢いよく抱き着いてきた。
「な、に...?」
甘いホワイトムスクの香り。頬に触れる、人形のような黒髪。
私は呆然と、踊り場から射し込む光がベールのように揺れるのを眺めていた。
「お前が友達って言ったんじゃん! ばか!」
「言ったけど...でも、もう...」
「だったらもう、居るだけでいいんだよ! あたし達がピアノを直したら、いくらでも手柄分けてやるよ。それからでいいじゃん、大人になってからの事なんて。まだ好きなくせに、投げ出すなよ!」
「だって...そんな...」
合歓の肩越しに、琴都の方を見る。
彼女は、ニコニコとこちらを見守るだけで、何も言わない。
「なんで、どうしたらいいの、琴都は、どう思うの...」
「わたし?」
呼ばれて初めて、琴都は考えるような仕草を見せる。
斜め上を泳いでいた視線が、やがてこちらに向くと、彼女はあっけらかんとして言った。
「っていうか、明日遊ばない?」
あまりにも突飛な答えに、私も合歓も、ポカンとしてしまった。私よりも早く我に返った合歓が、何を言ってるんだ、と問い掛ける。
「私も合歓と同じ意見だよ。今は気楽〜にやって、きっと体がよくなった頃には、ピアノが好きかどうかなんて簡単にわかるよ」
えへへ、と無邪気に笑う。大したこと無いみたいに、易しい言葉で言う。
私の心の中の、触れられないほどに汚れた感情。その重みを分かってほしくてわざわざ突き放したというのに、2人の心に触れたら、私の方がそちらへ引き寄せられて行くのが分かる。
合歓の腕からそっと離れると、今度は琴都が手を握ってきた。
そしてもう一度言う。
「明日、遊ぼ」
小さな声だけれど、静かな廊下には歯擦音が響き渡っていく。教会のように神秘的な空気。それとは対照的な、学校らしい木製の床タイル。
戸惑いながらも私は顔を上げて、小さく頷いた。
「...うん」
ふと思い出して、図書室の扉の前を見ると、モノクマがカンカンに怒った様子で仁王立ちしていた。
しまった。すっかり忘れていた。
「も〜〜!! このボクを放って薄ら寒い友情ごっこするんじゃなーい!」
「わ、わわ、ごめんなさい、忘れてました」
「忘れてたじゃないよもう! オマエラみたいな才能もないコロシアイもしない一般人に構ったって、ちっとも面白く無いんだってば!」
「あー、悪かったって。それよりよォ、紗如の退場は取り消しでいいよな?」
「はいはい、それでいいよ! ちゃーんと修理してよね!」
それじゃ、とまたそそくさと立ち去ろうとするモノクマの手を、琴都が咄嗟に掴む。子供が猫のしっぽを掴むような手付きで、ぎゅっと引っ張った。
「コラー! オシオキするよ!」
「あのさ、おとーさん。さっきプール見付けたんだけど使ってもいーい? あっ、もちろん修理もちゃんと進めながら」
「あー、いーよいーよ。息抜きも大事だもんね、なんならすぐにでも遊んできなよ」
「あとねー、カジノとラブホもあったよね?」
「はいはい、好きに使っていいから。むしろ大事なピアノだからね、じっくり丁寧に修理して、ピッカピカにしちゃってよー! その為なら時間はそんなに気にしなくていいから!」
「ふーん?」
「なーんか、妙だな? もっと教室に閉じ込めておく気なのかと思ってたぜ」
「とにかく! ピアノは丁寧に修理すること! 雑にやるくらいだったら遊んで気分転換していいから、その際最原クンたちの邪魔をしないこと! ボクからはそれだけだよ〜!」
早口にそう言うと、琴都の手が緩んだ隙にパッと腕を振り払って、モノクマはまた行先も捉えられない速さでどこかへ消えてしまった。
「速っ。やっぱ生で見てもどうなってんのか分かんねーなアレ」
「それより! プールいいって〜!」
「なんか、変じゃねえ? もっとコロシアイ参加者と関わらないようにとか、ひたすら修理してろとか言いそうなモンだけど...」
「まあ、私たちは視聴者の目があるって分かってるし...」
「確かに...大事なスポンサーのピアノを直せたら、将来が保証されるっておまけ付きだしな」
「それってさー、直せなかったらどうなるのかな?」
「そりゃもう...将来無くなるんじゃねぇ?」
「そっかー、頑張らないと」
「呑気だなお前は。つっても、モノクマが気分転換しろって言うんだから、遊ばない手はないな」
な、紗如、と声を掛けられて顔を上げる。
まだ、はっきりと返事は出来ない。
「あの、2人ともありがとう。ここまで駆け付けてくれて。すごくうれしいよ。気持ちは、すごくうれしいんだけど...」
言い淀んで、また下を向く。
2人は分かっているかのように、何も言わずに私の言葉を待っている。
床を見つめながら、弱い言葉を吐いていく。
「ごめんね。ある程度体が良くなるまでは、一緒に過ごしたいって、そう思ったけど...。琴都が言うように、その後に必ずいい返事ができるか、自信が無いの...」
たくさん面倒を掛けて、優しくされた後でも、立ち直れないかもしれない。それならば、やっぱり、今出て行く方が良かったんだろうか。
「んな保険いらねーよ。結果なんかどうでも良いから、とりあえず遊ぼうぜ」
「そーそ!」
それでも迷いながら、私はまた曖昧な返事をした。
未来の私はどちらを選ぶのだろうか。みんなの望む選択が、私にとっても幸福なものであればいいな。
「...っと。それよりも今は休めよ。ほら、顔色もだいぶ悪そうだし」
言われてみて気が付いたが、また力が抜けてフラつく感覚がする。
そのまま合歓と琴都に支えられて、私は東条さんの部屋に戻ることとなった。
またすぐ顔を合わせることとなった東条さんは、くすくすと笑って私を迎え入れてくれた。