ジャンヌが覚えていてくれる
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もともと魔術師になりたかったわけじゃない、ただ優秀な叔父が紹介してくれたのがこのカルデアで、その部署もそもそもシステムなどの管理部門…すなわち活躍しようとする魔術師たちを支える側だった。カルデア自体たとえいちスタッフでもたいそう優秀な人間しか採用されない非常にハードルの高い場所ではあるので、そこは叔父のコネと、まじめに努力してきた自分と、あとは運に感謝している。望んで来たわけではないが同僚にも恵まれ、仕事も大変ではあるがやりがいがあって、お給料も良い。自分には出来過ぎた職場だと思ってしまうくらいだった。
つ、と指でコップのふちをなぞる。
すっかり深夜で、おそらくスタッフたちも、マシュも、そしてリツカちゃんもぐっすり眠っているだろう。わたしも普段なら同じように眠っているが、なんだか今日は眠れなくて、ベッドを抜け出して廊下にある大きな窓の縁に腰掛けていた。ここは相変わらず雪深くて、夜になると一層寒さが増す。夜中でも最低限の空調は効いているが、窓際はやはりなんとなくひんやりとしていて何か肩掛けを持ってくれば良かったと少し後悔した。
七つの特異点。七つの聖杯。人類を愛するが故に人類を滅ぼさんとした魔術王と、わたしたちに未来を託して消えていったひと。
魔術師としてここに来たわけではなかったが、あの日、あの爆発が起こった日に、なんの因果かリツカちゃんの他にわたしにもマスター適正があることが判明した。もちろんいなくなってしまったAチームの人たちやその他のマスター候補生たちには遠く及ばない、劣等生もいいところだったが、わたしたちしかいなかったのだ。ほとんど初対面のようなリツカちゃんと顔を見合わせて、どちらかともなく震える手を握り合い、……そして頷いたことが、とても遠い昔のことのように思える。七つの時代を通して、いろんな人や、ものや、思いの形を見てきた。どんな物事にもいくつもの視点があって、どんな小さなものでもそれを宝物と呼ぶ人がいて、そしてどの時代で会った人たちも気高く美しかった。わたしたちは彼らの手を借りていくつもの死地をくぐり抜け、未来を取り戻し、今ここにいる。世界はゆっくりと日常を取り戻し、カルデアに関わる人間たち以外にはあの壮絶な旅だって悟られないまま、当たり前のようにくる「明日」を甘受している。今日のことは明日には過去になって、明日だって明後日には過去になって、その積み重ねの中で日常の細やかなひとつひとつはいつか忘れられていく。……どうしても忘れたくないと願ったことだって、いつか。
忘れることが悪だとは思わないし、あのひとがその身を賭して守ったこの世界を、それに気付かず生きていく人たちに対しての恨みもなかった。ただわたしが、リツカちゃんが、マシュが、ダヴィンチちゃんが忘れてしまったら、本当にあのひとの存在が消えてしまう気がして、それがとても怖かった。今はまだあのひとの声を思い出すことができる。あのひとの顔も、口癖も、好きだったものも。でも明日は?1年後は?10年後は?覚えている保証なんてない。100年後なんて、わたしやリツカちゃんのようなただの人間はこの世からいなくなっているだろう。
「やだなぁ……」
ガラスに頭を預けて目を瞑る。ずずっ、と鼻をすすった。
歳下のリツカちゃんがあんなに気丈に振る舞っているのに、成人もとうに超えている自分のこの体たらくは何なんだろう。情けなさが込み上げてくる。昔から気分が落ち込むと眠れないことが多かったが、眠れなければ夜中にこうしてどうにもならないことを考え込んでさらに落ち込み、悪循環にはまり込むのが常だった。
「こんな夜中にそんな薄着で、風邪を引きますよ」
「ジャンヌ……」
コツコツと廊下を歩く音が聞こえてぼんやりとそちらに顔を向けると、困ったように笑うジャンヌがそこにいた。腕には大きめのブランケットが抱えられている。ジャンヌはわたしの隣までやってくると、同じように窓枠の縁に腰掛けて、抱えていたブランケットでわたしとジャンヌをすっぽり包み込んでくれた。
「顔色がずいぶんと酷いです。……ここ数日、きちんと眠れていますか?」
「……あは、寝れてないかも」
眉根を下げてこちらを覗き込むように伺うジャンヌにこれ以上心配をかけたくなくて茶化すように答えたが、うまく表情筋が動かなくて失敗したな、と思った。これだと無理に笑ったのが丸わかりで、余計に心配をかけるだけだ。
「名前、貴女が人一倍責任感が強くて、特にリツカやマシュの前では大人であろうとしていることを私は知っています。ですがここには私しかおりません。何に心をととらわれているのか、教えていただけませんか?」
ジャンヌはわたしが初めて召喚したサーヴァントだ。彼女のもつ柔らかな雰囲気と芯の強さが大好きで、召喚してからずっと一緒にいたし、サーヴァントの中では誰よりも信頼している。一緒にいた時間の長さの分彼女に対してはどうも気が緩みがちで何度もボロを出したから、いつもわたしが必要以上に大人ぶろうとしていることもすっかり見抜かれている。彼女の鈴のような声が心地良かった。するりと彼女がわたしの手をとり、やわやわとその手を握る。心を解されているような気分になって、今度はガラスではなく彼女の肩に頭を預けた。そのまま先ほどまで考えていたことをぽつぽつと零す。ジャンヌはただじっと耳を傾けてくれていた。
「…だから、眠るのが怖いのかもしれない。明日の朝起きたら特異点で会ったひとたちのことも、ジャンヌのことも、…ロマニのことも。忘れていたらどうしようって、そう思って……」
「……。」
ジャンヌは何も言わなかった。何かを考えるような顔をして、ただぎゅっと手を握る力を強くした。わたしはというとジャンヌの体温と、ずっと胸に渦巻いていた想いを吐き出すことができたことに安心したのか、急激にまぶたが重くなった。舟を漕ぎ始めたわたしに気付いたジャンヌが、未だに持っていたマグカップを落ちないようそっとわたしの手から離す。
「…何も怖がることはありません、わたしが絶対に覚えていますから。あなたたちと旅をしたことを、そこで会った人たちを、そしてあなたたちに寄り添ってくれていた彼のことを。たとえ、万が一名前やリツカが忘れてしまっても……わたしがずっといつまでも覚えています。だから何もなくならないし、なかったことにはなりません。」
まるで決意表明でもするみたいに、芯のある声でジャンヌがそう言った。ジャンヌの声。わたしの大好きな声だ。…そっか、覚えていてくれるんだね。
「ありがとう」
きちんと声になってジャンヌに届いたかは分からない。久しぶりにどうしようもなく眠いのだ。明日、起きたらすぐにジャンヌに会いに行こう。昨日はごめんね、ありがとうってもう一度ちゃんと伝えに行かなくちゃ。ぼんやりとそう考えながら、わたしの意識は完全に眠りの中へと落ちていく。
「おやすみなさい、マスター。」
意識が途切れる直前、ジャンヌの唇がわたしの髪に触れたことだけは分かって自然と口角が上がった。おやすみなさい、ジャンヌ。
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