「
「今日も、暗くなるまでお母さん来ないの?」
「うん、でも先生がそばに居るから、大丈夫だからね。」
未だにハッキリと覚えている、大嫌いな俺の始まりの日。
昔から俺の両親は共働きで、幼稚園児の俺は殆ど毎日外が真っ暗になるまで先生と遊んで待っていた。
「…猿二くんはカッコいいねぇ、女の子にモテモテだねぇ」
「?、モテモテじゃないよ。あいつらウザいよ、俺の腕引っ張るし…!」
「みんな猿二くんに遊んで欲しいんだよ〜?ふふ、夜は先生が猿二くんを独り占めして、女の子達にずるい〜って言われちゃうかな?」
「先生ずるいの?」
「うーん、もしかしたら?」
入園してからいつも俺の事をカッコいい、と褒めてくれていた先生。勿論嬉しかった、両親は俺を褒めた事なんて無かったから。
「猿二くんは、先生の事好きー?」
「うん!先生可愛いから、好き!」
「わー、両思いだ!ね…猿二くん…先生ね、猿二くんとしたい事があるんだ…、してくれる…?」
「何?なんでもしたげる!」
「じゃあね…お服脱ぎ脱ぎしよっか」
俺を園児ではなく、1人の男…それとも性的対象か、少なくともその時のあの人は先生ではなかった。
きょとん、とした俺の服を脱がせて、裸にさせられて、流石に家族でもない大人の女の人に裸を見られるのは恥ずかしかった。
「せ、先生!なんで脱ぐの?恥ずかしいんだけど…!」
「大丈夫だよ、猿二くんが気持ちよくなるんだよ〜」
「せんせ…ん、なんでそこ触るの…?」
優しく俺の髪を撫でながら、先生の膝の上に裸の俺を座らせ、下腹部のソレを手で包み込んでは擦り始める。
むずむずして、よく分からない感覚が怖くて不安で、泣きそうな顔で先生を見上げた、その先にあった先生の顔はいつもの優しい顔ではなく、興奮していつもより小さくなった瞳孔が怖かったのをよく覚えている。
「先生…怖い!やだ、先生…もぉやめよ…これ、やだ…」
「大人はみんなするんだよ?大丈夫だよ。猿二くん気持ちいいんだね…?」
「〜〜っ…こ、怖い…せんせぇ…」
ふるふると首を振りながら、耳元で聞こえる荒い息が怖かった、怖いのに逃げたいのに、与えられる不思議な感覚に抗えずに、涙をポロポロと溢しながら、先生にされるがままだった。
何が何だか分からないままに、先生は母の迎えが来るまでその行為を続けて、迎えが来るとそそくさと服を着せた。
「大人のする事だから、猿二くんがしたのバレたら怒られちゃうから、この事は内緒ね?約束してくれる?」
「…内緒…?わかった…」
怒られるのは自分だと思って、忙しそうでいつも疲れている両親に迷惑もかけたくなくて、先生の言葉に素直に従った。
先生と、母の元に行き先生に頭を下げる母と共に家に帰った。
次の日も誰も居なくなった教室の中で先生と2人きりで母の迎えを待っていた。
「猿二くん〜、今日も先生と遊ぼっか」
「良いけど…、昨日のやつはやだ……」
「じゃあ、昨日とは違うやつね?」
1人で遊ぶ俺を後ろから抱きしめながら、俺の体をさわさわと撫でる手がくすぐったくて逃げ出そうと体を動かして、先生を見上げた。
「くすぐったいよ!」
「ふふふ、可愛い〜…。今日も脱ぎ脱ぎしようね」
「き、昨日と違うやつがいいの!脱ぎ脱ぎやだ!」
「ちゃんと、昨日のと違うよ?」
ヤダヤダ、と首を振る俺をお構いなしにズボンを脱がされて、昨日は手で擦っていたものを躊躇いもなく舐め上げて、小ぶりなソレが硬さを持つと、熱い息を吐く口の中へと含まれた
「づぅぅ…!せんせ、怖い…怖い!!そこ、汚いし…!やめよ!!」
先生の顔を引き剥がそうと小さな手で押すもびくともしない、また不思議な感覚に襲われて、何かが高まってくるのを感じる、痛くはない、でも得体の知れないその快楽が怖かった。
嫌だと暴れても先生は止まらなかった。
先生との遊びを知られて、怒られるのが怖くて誰にも言えないまま、先生の欲望はエスカレートしていった。
「今日は先生も脱ぎ脱ぎしちゃおうかな?」
「先生も…?」
胸もそこそこあって、美人でスタイルも良い、なのにその裸に不思議と恐怖心を覚えた。
「猿二くん見てると先生、きゅんきゅんってしちゃって…お股が濡れ濡れになっちゃうんだ…、先生のお股、いっぱい猿二くんに感じて欲しいなぁ」
その言葉の意味は分からず、俺の下腹部のソレを先生のぬるぬるとした中に挿入されていく。
「猿二くんの入っちゃった、先生とエッチしちゃったね…」
「え、えっち…?」
「猿二くんてば、悪い子だね…、大人しかしちゃいけないんだよ?」
興奮で開ききった瞳孔が俺の顔を見つめている、悪い子だと言われた事に罪悪感が植え付けられて、色んな不安と恐怖で目の前の先生が怪物のように歪んで見えていった。
そんな生活が続いて、漸く卒園して先生から解放された俺は、また何か怪物に襲われるような気がして、閉鎖的な場所で1人きりで居る事が妙に怖くて不安で、夜まで公園で友達が居なくなっても遊んでいた。
いつも通りブランコに座って沈んでいく日を見つめて居れば、あまり見ない猫の半獣の男の子を見かけた。
白金の髪が所々黒いメッシュのようになっていて、大きな薄緑の瞳は左側の半分だけ青く、不思議な瞳をしていた。
覚束ない足取りでたった一つのツナ缶を両手で大事そうに持ってキョロキョロと周りを伺いながら歩いていたせいか、何もないのにペチンッと転けてしまった。
「あっ……」
「…うぐ…こけちゃった…」
「だ、大丈夫…?」
年齢は同じくらいだろうに妙に幼く感じる子が転けてしまっては思わず声が出て、泣きはしないものの、大きめのもふもふとした耳をぺしょん、と垂らしながらのそのそと起き上がっては、少し先に落としてしまったツナ缶を見つめていた。
ブランコから慌てて降りるとツナ缶を拾ってやり、差し出しながら首を傾げて、小さな手がツナ缶が受け取ると、頬についた砂をそっと払ってやる。
「うん、大丈夫…ツニャ…ありがとう…」
「そっか…。…ツニャ?ツナじゃないの?」
「?、うん…ツニャだよ?」
「あ…もしかして、な、って言えないの?」
「う、うーん…そうみたい…にゃって言ってる時は言ってるし、ちゃんとにゃって言ってるんだけどにゃぁ…」
「あはは!どっちか分かんない!」
舌ったらずで、な、が言えない猫の男の子。確かに男の子なのに、瞳はくりくりしていて、どこか女の子のような可憐さがあって、可愛いな…と気持ちが和んだ。
「わ、笑わにゃいでよ〜!…んぅ…ぼくね…ぶすじますーるって言うんだ、君は?」
「ごめん、そういう子も半獣も初めて見たから…!ぁ、俺はあだしのえんじ!」
「あだしの…?にゃんだか難しいね…」
「ぶすじまも初めて聞いたぞ?」
「お互い様だねぇ〜。えへへ、じゃあね…えんちゃんって呼ぶね」
出会ったばかりだったけど、不思議と話しやすくて、2人で笑いながらブランコに座って飼い主に、にゃいしょで、買ったと言うツナ缶を開けては、買う時に貰った箸で食べ始める姿を見ていた。
「えんちゃん!はい、一口どーぞ!」
「くれるのか?あ、ありがと…」
一口箸で摘んだツナが口元に差し出される、男同士なのにスールが咥えた箸だと想像して何故かドキドキとしながら、パクリと口に含んだ。
その日からスールの門限の時間まて毎日公園に集まるのが当たり前のようになって、スール以外にも友達は居たけど、スールは何か特別で、何より幸せな時間だった。
ある日熱を出して公園に行けず、スールがもう来なくなってしまったら、なんて想像してしまって、次の日慌てて公園に走って行くと、見知らぬ子供と話しているスールを見つける。
誰なのだろう、俺以外の友達だろうか…もう俺には会ってくれなくなるのだろうか、そんな不安を感じながら、その現実から目を逸らすように家へと帰った。
次の日も恐る恐る公園の中を覗き込めば、ブランコの上で足をプラプラさせて1人で居るスールを見て心が跳ねるように嬉しかった。
「スール!」
「あ、えんちゃんだぁ〜!やっと会えたねぇ!」
俺の顔を見るなりニコッと笑顔を見せるスール、俺は見捨てられなかった、待っててくれた事に心の底から安心した。
「熱、出してて…ごめん…」
「えっ、もう大丈夫?しんどくにゃい?」
「もう大丈夫!…けど、この前スール…他の子と居たの見たけど、友達…?」
「ん?あ、初めて会った子だったよ、男の子同士にゃのにね、おとにゃににゃったらお嫁さんににゃって欲しいって言われてね、ビックリしたけど…おはにゃしするの、楽しかったし、また会いたかったから、いいよーって指切りげんまんしたんだ〜」
楽しそうに話すスールを見ながら、お嫁さんになる、なんて約束をした話に胸がモヤモヤしていた。
俺の知らない所で、俺のスールが取られてしまう…熱なんて出さなければ良かった、熱がなければそんな約束させずに済んだのに。
「もしまた会えた時はえんちゃんともお友達ににゃってくれるかにゃぁ…?」
「…う、うん…なってくれたら、いいな。」
如何にもしょげた声で返事しながら、いつか現れるそいつに怯えながら、変わらない毎日を過ごしていた。
小学校には通わせて貰えなかったスールも中学からは通わせて貰えるようになって、同じように学校に行けばもっと沢山の時間を過ごせるようになる、そうしたらそいつに怯える必要もなくなると思っていた。
中学生になるまで俺たちは欠かさず毎日会って話して、中学に入るとクラスこそ別だったが今までよりも親密に、幼馴染で親友、になっていった。
でも、親密になる程、大切になる程、俺のスールへの気持ちは友情では無くなって行くのも感じていた。
そうなるとやはり気になるのはあの見知らぬ奴との約束で、でもあんな子供の頃の約束を本気にしている筈がない、そう確信したかった。
「もうあの約束してから6年経ったな」
「え、にゃに?!にゃんの約束?!」
「…え、忘れたのか…?」
安心したい気持ちから、公園でブランコに座りながら、緊張して約束の話をすれば、約束すら覚えて居ない様子のスールに驚いて目を見開いた。正直ホッとした、忘れているならそのままで、それで良いと思った。
「えっと…うーん…?そう言えば、小さい頃…誰かのお嫁さんににゃる約束をしたようにゃ…」
「!…そ、そう…!それ!」
「誰だったっけ…」
俺の言葉に約束を思い出してしまったスールに、慌てて声が裏返りながらも、それだと同意をした。
誰とした約束なのか、思い出そうとしている姿に焦った、思い出してはいけない、ダメだ、焦るばかりに、言ってはいけないと思っていた言葉が口から出ていた。
「そ、それ俺じゃん!忘れたのかよ、ひでーなぁ!」
「え、え!そうだった?!ごめんね…?!え、約束してた?うんって言った?!ううぅ、恥ずかしいね…!」
自分がその相手だ、パッと出た嘘。疑いもせずにスールは恥ずかしい、と笑って居たが、俺は嘘だとバレるのでは?と心臓がバクバクしていた、でも同時にこのまま行けば、本当にスールは俺の……。
それ以降、俺は調子に乗っていたのだと思う、安心しきって居たのだと思う、俺のついた嘘はこんなに罪深い事だと、知らなかった。
「…あ、あのさ…今日、家来る…?地味に呼んだ事、なかったし…」
「…え、お家?良いの…?!行きたい〜!」
当時は俺も中学生、正直興味があった。
恋人とする行為、大人だけがする悪い事…、その欲望をぶつけるのは本来異性なのだろう、それでも俺がしたいと思えたのは、スールだけだった。女子に対して恐怖程ではないが、苦手意識があって、少なくとも好きだとは思う事はなかった。
「た、大したもんねーけど!外より、話しやすいよな!」
「そうだねぇ…、えんちゃんのお部屋ってだけでにゃんだか楽しいよ!」
俺の部屋に居る、2人きりで、大好きなスールが、安心させて欲しい。もっと確実な事実にしたい、俺から離れない事を体を持って教えてほしい。
「す、スール!」
「…?、にゃに…?」
名前を呼んだ俺の方を向くスールを押し倒した、緊張からか息が荒くなりながら何を急いで居るのか、スールの唇を奪っては慣れなさに手が震えながらシャツの中に手を入れる、中学生の男子とは思えない程、柔らかい肌に体中に熱を持つのを感じる。
その時のスールの顔は覚えて居ない、無我夢中だった、欲しかった、今すぐに。
「んっ!ぁ…にゃ、にゃに…?怖い…よ…えんちゃん……、やめよ?」
「…怖く、ないって!大丈夫だから!」
「…む、無理…っ…」
「平気だって、痛くないしさ…!」
どうしてそんなに怯えるのだろう、俺の事を好きな筈だろう…?約束の相手が俺だと知っても嫌がらなかったのだから、そう言う事だろう…?
「っ…ぅ…やだぁ!!」
聞いた事が無い程大きな声と共に肩に強い力が加わって、ベッドに背中がぶつかり思わず、痛っ!と声を上げながら、慌てて立ち上がって俺を見つめるスールを見上げた。
唇を震わせて大きな瞳が揺れて見える程に涙を溜めて、俺を見る目は怪物を見るようだった。
「ぉ、お邪魔しました…!」
そんな怪物から逃げるように走って行く、不安になるような辿々しい足音。
バタン、と扉が閉まる音がしてからは何も聞こえなかった、その時の俺の耳には何が聞こえていたか、目には何を映していたか、分からない、ただ長い時間があった事だけ、無の感覚が残っている。
次の日から、お互いに避けていくようになって、物として扱う人も多いペット半獣のスールには、友人と言える存在は居ないようだった。
その日からスールが笑っているのを見る事は無くなった。
そのまま高校生になっても、スールに話しかける気分にはならなくて、少し頭の緩いタイプの友達と適当に馴れ合って生きていた。
高校に入ってから見かけるスールはいつも、笑っていた。
「えっと…これ、と…あ…1つ忘れちゃった…、ごめんにゃさい〜…!買ってくるねぇ」
昼休みにはいつも学年で1番の問題児の奴らと居て、所謂パシり状態のようで、買い出しを間違えたり忘れたりすると、ヘラヘラ笑ったまま蹴られたり殴られていた。
そんな姿を見ても、俺は助けようとはしなかった。
俺を否定するから、俺を拒んだから、自業自得だ、唯一の味方は俺だったのに、スールが逃げるから。
俺がしようとした事はあの女とは違う、俺達は本当に好き同士だった、あの女とは違う、俺は間違えてない。
あの女と同じ道を選んだ自分が心底嫌だった、スールにあの女と同じように俺の事を見られたのが、受け入れられなかった。
自分の心が壊れないよう、スールを必死に1人責め続けた。
「先輩!こいつの事、可愛いつってましたよね、買いません?殴る蹴るセックスでもなんでもオッケー!どっすか!?お恵み下さいよ!」
「えー?お前ら傷物にしてるじゃん。」
「俺らじゃないですって!」
帰り道に聞こえる声にチラリと視線を向けては、スール…の近くでバカ達が大きな声で話していた。
買うって…援交みたいなもんか…?想像をすると顔が引き攣る、流石にそんな事を、と思いながらも奴らの後をつけてしまう。
俺の時はあんなに嫌がったのだし、流石に逃げ出すだろう、そう思いながらホテルに連れられて行く姿を見て、少し離れた所でしゃがみ込んで暫く待っていたが、スールもあの男達も数時間出てくる事は無かった。
外が真っ暗になっては男と共に出て来て、首には絞められたような赤い跡、髪もボサボサになっていた。恐らく愛情も優しさもない、欲をぶつけるだけの人形として使われたのだろう、泣いていてもおかしくない、そんな状態なのに、あいつの口は笑っていた。
「意外と悪く無かったわ、他の奴にも紹介してやるよ、その代わりあんま傷物にすんなよ」
「うっす!あざっす!じゃ、また連絡下さい!」
上機嫌にスールを置いて行く男達に吐き気すら感じた、それでも自分は動けなかった、助けなかった。俺の時のように逃げ出せば良かったんだ、スールがあいつらにそうされる事を願っていたんだろう?
自分にそう思い込ませて、1人になっても笑みを浮かべて居るスールを見ていれば、ふと目が合った。
人形のような、どこを見ているのか分からない、でもこちらに訴えかけてくるような、そんな瞳にゾクリと肩が震えて、慌てて逃げ出した。
見て見ぬふりしているのをバレてしまったか…?恨まれるだろうか、怒っただろうか…、何を考えているのか、何も分からない。
「うわ!!す、すんませ…!!!」
「んぉ?どうしたぁ?怖い目にでもあったのか?」
慌てるあまりにぶつかった男性の顔も見ずに慌てて頭を下げて謝った。そんな俺の頭を掴むと上げさせては顔を覗き込む
「え?!いや、…あー…ちょっと…」
「…冷や汗凄いぞ、お前。」
右手に指輪をいくつもして、左腕全体に茨のようなタトゥーをして、薄めの金髪にピンクのメッシュが入っている、如何にもヤバそうな男性に、なんと答えるべきか戸惑ってしまう。
「別に依頼でも無い奴をわざわざヤんねーよ、怖がんな怖がんな」
「は、はい…」
「………。丁度待ち合わせしてる奴にドタキャンされて暇なんだよなぁ、お兄さんが奢ってやるから、飯行こうぜ」
「は、はい?」
見た目通りのヤバい人、と言うか意味分かんない人じゃん!と内心焦りながら、逆らうのも怖くて仕方なくその男性の後ろをついていった。
居酒屋の個室に連れられると、促されるままに席に座る。
「好きなの頼んでいいぞ。……んで?えらく動揺してたけど…、お前なんか色々ありそうだし、暇だから聞いてやるよ。色々吐いてみな」
「えっ…あー…っ…なん、っつーか…」
突然の事に戸惑いながらも、過去の経験と両親の事、スールへの事をかいつまんで話した、この人とは今後もう出会わないだろうし、相手は何も知らないからこそ、何となく話しやすかった。
「…もっと自分に自信を持て、自分は正しい、それで良いだろ。」
「…良い、んですかね…。」
「俺の作った組織は、自分が正義、をモットーに生きてんだ、自分の正しさの為にみんな好き放題やってら。」
「自分が正義、ですか…」
「お前が間違えてると思うのは、他人に左右されてるだけだ。」
弱い俺には、とても甘い囁きだった、必死に蓋をして隠そうとしている罪悪感と自責心から解放されたらどんなに楽だろうか
「あー、…えんじ?…俺達の所に来いよ、事務所は俺の家だ、お前が暗い部屋に1人になる事も早々ねぇし、お互いの正義には基本口を出さないのが決まりだ。」
「…そ、その…怖くない、すか?」
「あ?まぁなぁ…無愛想な奴ばっかではあるけどなぁ。みんな自分の欲望に夢中だし、何かされたら言え、助けてやる。依頼の手伝いをしたら給料もやるし。」
意外と話が通じないタイプでは無いんだな、なんて失礼な事を考えながら、自責から救ってくれる場所は、ここしか無い、そう思った。
甘えだって良い、もうスールとは終わったんだ、もう忘れようそう思った。
「分かり、ました…。荊さんの組織…?に入りたい、です。」
「っしゃ、決まりだな!えんじ!いっぱい食え!」
ケラケラと笑いながら楽しそうにメニューを俺に手渡す、ヤバい事をしている組織なんだろう、と察しては居たがそれよりも居場所が、間違っていない自分が、欲しかった。
次の日には事務所に行って、組織のメンバーを紹介された。
「おい、おい操偶!…無視かよ…。あー、あいつは毒島操偶、仕事に関してはこいつの薬無しには始まらねぇ」
「毒島…?!」
「…どうした?んで、この犬はリュコス、役に立たないバカ犬だ。こっちが、…蘭」
毒島、と聞けばここらでも早々居る苗字では無い、恐らくスールの主人か、と驚いている間に淡々とメンツを紹介されていく
「山蛍蘭、呪い師だ」
「よ、よろしくお願いします…」
確かに荊さん以外は無愛想で、みんな背が高い、ここにいる間は自分が小動物になったような気分になりながら、良くも悪くも互いにあまり興味の無い様子だった。
そんな中で荊さんは俺を気に入ってくれて、犬のリュコスには粗雑だが、俺の事は随分と可愛がってくれた。
仕事の内容も、俺は薬剤の整理や、ちょっとした情報収集くらいで、スールを失ってからやっと、楽しい時間を過ごせていた。
「操偶のとこの猫に試したんだろ?どうだった?」
「ふん、前のより強いが、その分頭が壊れてるな、自分の名前すら忘れかけていた」
操偶さんの猫が実験に使われている、と以前から何度か話して居るのを聞いたが、スールの事だろう。学校での事は見て知っているが、家での事はあまり話さなかった、家であいつはどんな風に生きているのか、どんな事をされて居るのか
「あの、…薬って…どんな?」
「……………」
俺の問いかけに操偶さんは一瞥するだけで返事はなく、困った様子の俺を見た荊さんが、口を開いた。
「おい、操偶…猿二を無視すんなって。感覚過敏になる薬だ、少し触れるだけで激痛に感じる程のな。」
「……そんなの飲んだらヤバそうっすね」
「そうだな、幻覚幻聴もあるしなぁ」
「…それって、そんなに実験しないといけないんですか…?」
「改良も常にしてるなぁ、まぁ操偶は引く程短気だからな、ほぼほぼ猫への八つ当たりだけどな!」
「そう、っすか…」
そんな話、スールの口から1度も聞いた事は無かった。俺は本当に信用されてないんだな、と痛い程に感じた。
「猿二も興味あるならやってみるか?ちょっと触ったくらいで面白いくらい反応するぞ!」
「…や、やるのはちょっと…、でも……見てみても、良い…すか。」
事務所は依頼用の2階、拷問用の地下1階に分かれていて俺は拷問を見た事は無かった、スールがどんな思いをさせられているのか、それを知りたかった。
これが心の余裕だろうか、俺は身勝手にまた、スールを理解して支えて、その隣に居たいと思っていった。
数日後、新しいの依頼で地下に捕まえた男性に拷問をすると聞いて、荊さんと初めて地下へと降りる。
鉄のような血生臭さと、独特の薬物の匂いが充満していて、中はよくある牢屋のような状態で、拘束具や薬類、何に使うのか想像がつかない色んな道具、自分がここに連れてこられたら間違いなく絶望するだろう。
「助けてくれ!俺は何もしてないだろう?!何でこんな…!」
「猿二、そこで見てな。…恨まれてるの気付いてねぇのか〜?まぁ、今回は有難いことに死なない範囲って依頼な訳でな、ぶっ壊れるまで楽しもうなぁ」
牢屋に入る前に目配せして、外で見ておくように言われては、それに従う。上の方から垂れる鎖と繋がった手錠に両手で繋がれ、足が地につくギリギリに吊り下げられた男性を見つめて、檻の外から2人の会話を聞いていた。
慣れた様子で男に注射を刺しては、ニヤニヤ笑いながら男の顔を覗き込んでいて、依然と抵抗をしようとした男性がチャリ、と鎖の少し動く音と同時に叫び声を上げる
「…!」
「痛いなぁ、腹をさすってやろうかぁ?」
見ている分には大した事はされていない、でもどれだけの痛みが走っているのか、声から痛くなる程感じる。
痛みに暴れる程に体に触れる全てに激痛が走る、止まらない痛み、想像では追い付かない程、悲痛な声だった。
スールもこれを経験していた…?きっと何度も、何度も…何度も。
「ぁ……あ…」
「ははは、今回は記憶ぶっ飛ばしても良いから楽だな」
だんだんと薬の効果が切れたのか、すっかり脱力する男性を見て、楽しそうに荊さんは笑っていた。
あくまで生活する為の資金源にする、ただの依頼。生活の為とは思えない程に、荊さんは楽しそうに笑っていた。
その景色に自分が入ったこの組織が、どれだけ狂っているのか、どんな世界に来てしまったのか、実感する程に気が遠くなって……
「…大丈夫か。」
目を覚ますと事務所のソファの上で横になっていた、向かい側に蘭さんが座って、俺の目が覚めたのを察知すると、無愛想ながら声をかけてくれる。
「は、はい…すみません、俺…」
「気にすんな、俺もアレは好まないし。楽しい奴だけ見りゃ良い。」
「…荊さん、怒ってませんでした…?」
「全然。…お前はお気に入りみたいだし、そんな短気じゃねーよ、あいつは」
「そっ、すか…良かった…」
みんな独特の雰囲気があって、なんとなく荊さんには顔色を伺うクセが抜けなかったが、比較的冷静でまともそうな蘭さんは話しやすかった。
「お前は、この組織に居ながら、幼馴染とももう1度やり直したいのか?」
「!……そう、ですね。」
「…お前は、幼馴染を手に入れたいか?幼馴染と仲直りしたいのか?」
正直その言葉の違いは分からなかった、俺が望むのは何だろう、でもまたスールと話したりしたい、その気持ちが1番大きいのかもしれない。
ゆっくりと体を起こしては首を手で触りながら、少し眉を寄せて困ったように笑った。
「え、…ん…仲直り…?」
「じゃあ、喧嘩したって事だな?悪いのはどっちだ。」
「……どっちって……」
「俺は、嫌がる嫁と結婚して、平気で兄弟に親に抱かせてる。クズだのなんだの好き放題言われても、この家に売られた嫁に、逃げる先なんてねぇって油断してたら俺を平気で捨てて、普通の男と逃げられちまった。」
「ま、マジすか…」
自分の恋人が他人に、どころか家族に抱かれる、抱かせられるなんて、自分ならどちらの立場でも耐えられない。正直逃げられても仕方ないだろう、とすら思ってしまう。
膝に肘をついて頬杖をつきながら俺の顔をじっと見つめる蘭さんに、審査されているようで視線を外してしまっていた。
「そうなったらお前は諦めるんだろうな。でも、俺は違う…多分、荊も操偶も…殴ってでも引きずってでも、最悪殺してでも連れて帰る。」
「こ、殺したら意味なくないですか…?」
「他の奴に奪われるよりよっぽど良い。ここの奴らはそういう奴だ、大好きな嫁も母親もいつでも平気で殺す、そんでクローンでもガキでも新しいのを手に入れる。」
「く、クローンとか…ってその大好きな人とは…違うんじゃ」
「馬鹿だと思われても構わん、俺達は気に入ったオモチャをずっと持っていたいだけだ、もう使えないならゴミにして、新しいのを手に入れる。そこに罪悪感はねぇ。俺達が執着するのは、お前みたいに思い出じゃねぇ、情でもない。」
俺はスールのクローンや、子供を本人に似せれば満足出来るのだろうか…、俺はスールが欲しいのか…?いや、スールに許されたい、受け入れられたい。
ここの人達は、愛される事にも受け入れて貰う事にも興味がないのだ、自分とは根本的に求める物が違うのだと、理解をした。
そんな俺は場違いなのだろうか、出ていってくれ、と言う意思表示なのか、確かめるように蘭を見て口を開いた。
「ここ…や、やめた方が…良いっすかね」
「…居場所が無いなら居れば良いが、……新しい居場所を見つけたらなるべく早くここを抜けるのを勧める。いつ荊がお前を手放したくなくなるか、わかんねぇからな。」
荊さんを怒らせたらヤバい、そればかり想像していた。でも、気に入られているからと言って安心は出来ない、俺もいつオモチャになるか、分からない。
この組織に入った事を少しだけ後悔した、それでも俺にはここしかないのに。
「居場所、出来たら…良いっすけど…」
「まぁ、焦る必要は無ぇよ。……帰るわ。」
ソファから立ち上がると蘭さんは扉に向かいながら途中で俺髪をくしゃり、と撫でる。扉を開いた所で、うわっ、と声を上げたかと思えば騒がしい程荒い息を吐きながらリュコスがソファ横へと走ってくる
「えんじ!!お花取ってきた!食べよ!!」
「え?!は、花は人間は食わないぞ…」
手に沢山の花を持ちながら、食べようと笑いかけるリュコスに苦笑いを浮かべながらも、無垢な姿に心が和らぐ、スールの事を思い出した。荊さんにまともにご飯も与えられていないようだし、何か食べ物を俺が教えてやろうと
「花より美味いもの、食べに行こう」
「エサ?!食べる!!!」
顔も怖いし体もデカいし、なのに口を開くと小さな子供のようで、弟のようだった。花を窓際に置かせてはリュコスと共に食事へと向かった。
その後から、地下室に入る事は無かった。
あの男性は自分の名前すら分からなくなる程壊れてしまったらしい、自業自得だと思いながらも、あんな一瞬で悲惨な人生になってしまった彼に少し同情した。
俺の人生は良くも悪くも変わらない、理解して支えたいと思いながらも、すぐに過ぎる拒否された記憶に邪魔されて、いつも通り酷い虐めを受けるスールを見ないふりして、事務所でリュコスを構ったり、業務をこなしていた。
こんなにも救えない最低な俺は、未だに罰を与えられない。
高3になると、同じ高校の1年生が新しく組織へと入ってくる事になった。
俺の方が歳上なのに、歳下の2人の物怖じしない様子にこちらが緊張を誘われる。
「よろしくお願いします、月見山夢胡です。」
「僕も挨拶するべきかな、夢胡のおまけの、一ティシポネです、時間があれば何かしらはお手伝いしますね、よろしくお願いします。」
一見穏やかそうな、曇った桃色のもみあげ辺りだけは赤黒い髪の少年と、そのおまけだと言いながら、赤髪の三白眼の気が強そうな少年が自己紹介していく。
何やら恨みがあるのか、操偶さんは2人の姿を見ると、いつも以上にイライラした様子だった。
「……んー…自己嫌悪は凄いですけど、劣等感は少ないんですね、先輩。」
「え?!俺?…どう言う意味だよ…」
俺の顔を見るなり夢胡と名乗る彼はつまらなさそうにそう言って、突然の意味の分からない言葉に困惑してしまう。
「なんか知らないけどよぉ、夢胡は人の劣等感が美味いバケモンなんだってよ」
「なんか結構基準が細かくて俺も迷惑してるんですけどね。あ、実害も無いし、勝手に吸収するんで、気にしないで下さいね」
「は、はぁ…」
見下したような視線を向ける夢胡に顔が引き攣りながら、相手は歳下だ、相手をするな、と心の中で自分を鎮める。
魔術師か何かなのだろうか、悪趣味な力の集め方だな、なんて考えていた。
「夢胡はいつもあんな感じなんです、すみません…。2年で生徒会長になりたいらしいので、学校では猫かぶってると思いますが、合わせてやって下さい。」
「生徒会長?あんなめんどくさいの、わざわざ目指すんだな。」
「羨望、憧れ、そういう感情も劣等感の一部で、効率が良いとかどうとか。」
気が強そうに感じていたティシポネは意外と爽やかで、態度も良く少なくとも話していて不快になる事は無かった。
入ってきた時から、夢胡とティシポネは2人の世界、と言う感じだった。あくまで利用し合う為、に組織に入ったのみで、2人は殆ど事務所に来る事はなかった。
そのまま日々が過ぎて、大学に入学した初日、慣れない環境に腹が減った。食堂へ行こうとしたものの、何と言っても広い、広すぎる。
歩き回ってみたが見つからなくて、適当にベンチに座る。腹が減って頭も働かない、知り合いも居ない、どうしたものか…と呆然としていた
「もしかして迷ってる?」
背後から聞こえた声に、思わず肩がビクリと跳ねる。そんな筈はない、似ているだけだ、頭の中でぐるぐると考えて返事が出来ずに居ると、ひょいっと答えが俺の顔を覗き込む
「えんちゃん?どうしたの?お疲れ?」
「!、す…スール……」
当然のように、突然に、目の前に現れる宝石のような大きな瞳、大きなもふもふとした耳とふわふわの癖毛、舌ったらずな声が俺の名前を呼ぶ。
まさか声をかけられるとは思わず固まったものの、慌てて口を開いた。
「ちょ、ちょっと…な。食堂に行こうと思ったんだけど、迷ったし腹減ったし、で…」
「あはは、やっぱり?僕も迷っちゃって…、にゃれるまで時間かかりそうだねぇ」
「う、うん…」
まるで、あの日が無かったかのように、普通に笑って俺の顔を見て、隣に座るスールの姿。夢を見ているのだろうか?そんな気持ちにすらなる。
「…、新入生?もしかして迷った?」
「え?!は、はい…食堂に行きたくて」
混乱が収まらぬままに、次は聞き覚えのない声が俺達にかけられる。顔を上げると上半分は金髪で下半分は紺の髪、パッと見てチャラついたように感じたものの優しく微笑む人は、男性に対してこんな感想はおかしいのかもしれないが、聖母のような雰囲気だった。
「最初は迷うよね、あはは…俺も今からご飯なんだ、案内しようか…?」
「マジすか、助かります…!」
「よろしくお願いします〜!良かったぁ…!」
明るく笑っては、俺たちを先導してくれる彼の後ろについていく。2人きりでは無い分少し安心しながら、スールが何を思っているのか、考えているのか、あまりにも分からなかった。
笑顔すら、恐怖に感じるほどに。
食堂に案内してもらうと、食堂だけでも十分に広くて、騒がしくも楽しげな話し声を聞きながら中を見渡していた。
「何かの縁だし、お祝いに奢ってあげるよ、好きなの頼んでいいよ」
「えっ、わ…悪いですよ!ね、えんちゃん…」
「そうですよ、初対面なのに…」
「いいのいいの、甘える事がお礼だと思って、ね?」
俺の心が汚れているのか、スールに怯えすぎているのか、あまりにも優しい彼に何か裏があるのでは?と疑ってしまう。
それでも好意を無下には出来ず、じゃあ…と素直に俺たちは甘える事にした。それぞれ好きなものを頼んで、3人で席に座る。
「俺、畜生道仁、君たちは?」
「毒島スールです…!」
「化野猿二です」
「なんか、みんな変わった苗字だね。あはは、俺は2年だけど…何でも困ったら頼ってね。」
怖い程ににこやかな仁さん、利己的な人に囲まれているせいか信用し辛くて、あまり近付かないようにしよう。俺はそう考えながら、スールも心配だ、仲良くしない方が良いと伝えてやらねば、と隣に座るスールを見た
「仁先輩が大学で初めてのお友達です!嬉しいにゃ!」
「仁で良いし、敬語もなくていいよ〜。初めてって、猿二くんは?お友達じゃないの?」
「えんちゃんはね、おさにゃにゃじみにゃんだぁ!」
「そうなんだ、良いなぁ…俺そういう子居なくて」
仁さんときゃっきゃっと楽しげにお友達、なんて言いながら話す姿にギョッとしながら、仁さんと親しくするのが心配だし、スールが声をかけてくれたのだ、また普通に…友人に戻ろう。
結局2人と連絡先も交換して、スールと共に帰る事になった。
どうして突然声をかけてくれたのか、無言になる度にそれが頭を過ぎって、チラリとスールの方に視線を向けた。
「…久しぶりに話しかけて来たから、びっくりした。」
「ん?そうだねぇ、高校の時は…休み時間も忙しかったし、ごめんね?」
「……いや、俺こそ。」
辛かっただろう、殴られて痛かっただろう、そう言って慰めるべきか、と考えたが自分が見て見ぬふりをしていたのを自白するようなもので、もし知らなかったら?これでまた嫌われたら?そう思うと、言い出せなかった。
「また、えんちゃんとおはにゃし出来て、嬉しい!えんちゃんは体育科にゃんだよね、僕は心理学科だから、会える機会はすくにゃいかもだけど……、また連絡取り合おう〜!」
「あぁ…そうだな。」
その日から以前のようにスールと一緒に登校したり下校したり、昔の当たり前の日々が戻ってきた。
今までと変わらず俺は程々に友達と顔見知りを作って、程々に不便ない学生生活を暮らしていた。
スールはまた1人かもしれない、俺がそばに居てやらないと。
確かスールもこの時間で終わりのはずだ。少し早めに授業が終わり、校門辺りで待っていれば会えるかも、と考えては校門の前まで歩いて、連絡しておこうと携帯を取り出した。
「今日?いいよぉ〜!お母さんに連絡しにゃいと…」
「え、スールの家厳しいの?大丈夫?」
「基本は大丈夫だよ!」
その瞬間に、2.3人のどちらかと言えば地味めな男女と笑って歩くスールの姿を見て、思わず身を隠してしまう。
あぁ、もう昔とは違う…。スールにとって俺は唯一の友人じゃない、そう思うと妙に胸が痛くなった。
俺があいつの手を引っ張ってやる必要はもう、ない。
「こんち、わ…、あ…夢胡…くん」
「お久しぶりです、先輩。」
事務所に入ると珍しく夢胡が紅茶をのんびりと飲んでいて、こんな怖い人ばかりの所でよく伸び伸び出来るな…、とある意味羨ましくなった。
「……ぁ、いい匂い」
「?……ん、…どっかの夕飯か?」
夢胡の呟いた言葉にきょとん、としながらくんくんと鼻をきかせてみるが、夢胡の紅茶の香りがふんわりする程度で、小さく首を傾げて夢胡を見る
「…無事、初の2年生徒会長になれそうなんですよ、俺。」
「えっ、あぁ…そうなのか、すごいな…!おめでとう」
俺の問いかけには答えず、ニコッと気持ち悪い程に爽やかな笑顔で受けた報告に、戸惑いながらも祝福の言葉をかける。
「そういえば…どれくらいかな…半年くらい前かな?先輩の幼馴染の猫さん、酷い事されてたので、助けてあげたら皆にすごく褒められました。半獣にただ優しくするだけでまるで聖人、みんな見下してるんですね。」
「そう、か…。まぁペットとか、奴隷とか…言われてるしな。」
「ペット奴隷だから仕方ないと、思います?昔の人は、得体の知れない者が怖くて数で暴力で上下関係を半獣との間に作ったそうです。未だに奴隷やペットとするのもあくまで人間が上だと、精神に植え付け続ける為らしいです。」
「まぁ、頭はともかく力は半獣の方が強い事が多いしな…」
「未だに、その予め出来てる土台に何も考えずに乗ってるだけの人が結構居るんですよね。自分達は下だと思い込んでる半獣も、上だと思い込んでる人間も、馬鹿だな〜って思います。」
つらつらと止まらずに夢胡は話を進めていく、俺に何を言いたい?コイツがみな対等であるべき、なんて言いそうにもない。睨むように夢胡を見つめていた。
「下の存在だと思ってる半獣に、先を越されたら人ってどんな悔しさなんでしょう。どんな劣等感なんでしょうね。」
「俺が、スールを見下してるって、そう言いてぇのか?」
「そう言われてる、と思うのは事実だからじゃ無いんですか?」
「は…?」
俺がイライラしてきているのは分かるだろう、それも気にせずに煽るように、余裕を含んだ笑顔を向けてくる。だが、怒れば思う壺だ、ぐっと堪えて溜め息を吐く
「だらだら何の話始めたのかと思えば…、俺に劣等感を植え付ける為に、わざわざどうも。」
「あはは、どういたしまして〜」
怒りを我慢しているのも楽しい様子に、一層イライラしながら、こんなに腹が立つのも恐らく夢胡の言葉が正しいからで、無意識にそんな風に思っていたのであろう自分がまた嫌になる。
手を引くのは、優越感に浸る為だ。
俺しか友達が居ない、俺が助けてやらないと幸せになれない、それで勝っているつもりだった。
そうやって安心している間に、あいつは俺の手を必要としなくなった、俺の先を歩いていた。
考える程に自分の醜さに嫌気がさしていく、俺は弱い、最初から用意された上下関係を使ってしか勝てない。
自らは手を下さず、他者からの苦痛な姿を見る事でしか優越感に浸れない。
自分の間違いすら認められない、救いようの無い人間だ。
グルグルと自己嫌悪とイライラを抱えたまま、次の日も大学に行った。
「化野…、ちょっと…良い?」
「ん?良いよ、何?」
授業終わりに、何度かノートを見せた事がある女子とその後ろの2人の友人に話しかけられると、誘われるままにまだ人の少ない廊下の隅へと歩く。俺を囲い込むように立つ3人は妙に威圧的に感じた。
「どうした?最近休んでたっけ。」
「ううん…あのさ、あのさ…前から、ノート見せてくれたりさ…、タオル貸してくれたりしたじゃん?…その時からずっと化野が、好きで……付き合って下さい。」
女子に対しても男に対しても、特別辛くも優しくも対応して居ないつもりだった、予想もしていなかった告白に思わず目を見開く。
一般的には美人だと思う、普通の男なら告白されても早々断らないだろう、とも思う。
それでも、俺には恋愛対象には思えなかった。
「…ごめん。俺、ちょっと色々あって…女の子とは、恋愛出来ないんだ。嫌いとかじゃないんだけど…恋愛対象には…」
「え?!じゃあ、ホモって事?!」
まともに告白を受けたのは初めてで、どう答えるべきか悩んだ、だが誠実に答えよう、少しでも自分の間違いを打ち消す為に。
丁寧に丁寧に断りの言葉を告げていた、が途中で友人と思わしき女子からの大きな声で発される言葉に顔が引き攣る。
「いや、…えっと…」
「そういう事だよね…?」
「そ、そうなら…早く言ってよぉ…私…、私…ずっと言おうって頑張って…今日やっと…」
「…キモ……、こいつホモだよ?!絶対付き合わない方が良いよ。」
友人2人が守るように泣き始めた女子を抱きしめる、今の時代、しかもこの町では特に珍しい事ではないのだが、軽蔑するような眼差しに何も言えなくなっていく
「可哀想〜…、好きになる相手間違えたね…、大丈夫だよ、大丈夫」
「ね、そういうのやめない?」
よしよし、と俺を悪者にする為に目の前で泣く彼女を慰める姿を見ていられずに顔を逸らすと、スッと俺と女子の間に誰かが入ってくる。
「やめない?って、この子傷付けられたんだけど!」
「好きである気持ちって絶対受け止めないといけないの?恋愛ってそんな一方的なものなのかな?」
「そうだよ!えんちゃんが誰を好きににゃっても良いでしょ!」
思わず視線を上げると、仁さんとスールが俺の目の前に立っていた。目を見開きながら、俺を庇ってくれている姿を見つめていた。
「チビの猫に庇われてダッサ。」
「あ!えんちゃんだって傷付いたんだよ!謝って!!」
「い、良いってスール…」
捨て台詞を吐いて、去ろうとした女子の腕を掴んでは俺に謝るように、スールは舌ったらずな迫力のない怒り声を出した。
久しぶりに笑っていない姿を見て驚きながら、慌ててスールの肩を掴んで制止する。
「ダメ!あんにゃ事言われたら許せにゃいよ!」
「もう、もう良いんだ!さっさとどっか行けって!」
俺の言葉に小走りで去っていく女子を見ながら、俺の方を向いた2人は酷く心配そうだった。
「えんちゃん、大丈夫…?」
「猿二くん、気にする事ないよ…返事が気に入らないとなんでも悪口にするだけ」
どうして、俺を助けるんだ、庇うんだ。
俺はお前を助けなかったのに、何回も何回もお前を見殺しにしたのに、知っているだろうスール…?
俺は助けられる価値もない、お前は助ける理由もない、なんで優しくするんだ。
2人の優しさが痛い、俺はこんなに悪い奴なのに、最低な奴なのに。
優しくしないでくれ、救わないでくれ、甘やかさないでくれ。傷付く事から逃げ続けたんだ。
大の男が涙をボロボロと溢して床に座り込んで床に大粒の涙を垂らしながら泣いた、子供のようで無様で、気持ち悪いだろう、それで良いんだ。
「…よしよし…」
嗚咽で震えながら泣く俺をそっと懐かしい香りが包みこんで、ワックスで硬くなった髪を優しく、優しく羽のように撫でていた。
「…なんで、俺を助けたんだ…?俺、お前に酷い事しただろ…?虐められてるお前を見ないフリして…」
落ち着いた俺に寄り添うように、2人は一緒に下校してくれる。自責でどうにかなりそうで、何故助けてくれるのか、ほんのり赤くなった鼻先と目尻のまま、スールの方に向く。
「え?そうだったかにゃ?ごめんね、最近忘れっぽくて…でも、えんちゃんは僕の大切にゃ人だもん、助けるよ!」
「覚えて、ないのか…?ホテルとか、校舎裏とか…色んな先輩とかに、お前…」
「?…んー?ホテルとかは知らにゃいけど、パシリではあったよねぇ…あはは…」
嘘だ、パシリだったのは1年の時くらいで、2.3年は学校の中ですら援交させられていたのにあんな事忘れる筈はない。
「いや、無理すんなって!めっちゃ怒れって!殴って良いし!」
「えぇ〜?人間違いしてるんじゃにゃい?」
「…うそ、だろ…?」
笑える話じゃないのに、おかしそうにしているスール。嘘をついてるとは思えなくて、困惑しながら仁さんの方を見る。俺の顔を見る仁さんは酷く悲しげだった。
急いで帰らねばならなくなったスールと別れて、仁さんと2人になる。勝手にヤバい人かも、と避けていたのもあって少し気まずい。
「高校の時…、酷かったの…?」
「……はい…。」
「…そっか。……心って、防衛の為に辛い事ばかり覚える、とかはよく聞くと思うんだけど、高校の頃の記憶は…あまりにショックが大きくて、忘れてしまったんじゃないかな。」
「……軽蔑しますよね、そんな辛い状態の幼馴染を…見て見ぬフリして」
「…そうだね、少し。でも…後悔してるなら良いんじゃないかな。」
「…そうです、かね…。」
俺への軽蔑心を否定はせず、でも俺自身へ否定もせずに、こちらを向いて優しい声色で話を続ける仁さんの声を大人しく聞いていた。
「……しないよりよっぽど良いよ。そういえば、スールくん、最近友達作りを頑張ってるんだけど、頼まれたらなんでも頷いちゃうみたいで、拒否したら嫌われるって思ってるのかな…」
「あぁ、そうなんすか…?」
「お酒とかもね、無理して飲んだみたいで…、フラフラなのに笑ってたり…心配だな」
心配そうな仁さんの声を聞きながら、もしスールが断る事への恐怖心が本当にあるのならば、試したい事があった。
後日スールを放課後呼び出すと、ベンチに2人で座る。
「…スール、俺の家…来る?」
「…………。」
俺の言葉に何も答えない、やはりあの時の事は覚えて居るのか、なんと答えるべきか悩んでいるようだった。嫌だと言って欲しい、そう願ってスールを見つめていた。
もう何分も経ったか、そう思うくらいに短く長い沈黙の後
「うん、いいよ」
答えを聞くと、眉間に皺を寄せて誰もいない静まり返った休憩所で脅すように、試すようにベンチにスールを押し倒し、そっと顔を近付け、あの時のようにそっと服の中へと手を入れてみる。
「………本当に良いのか?犯されるぞ?」
それでも依然と、高校の頃から張り付いたままの笑顔を俺の方に向けた
「……いいよ」
俺を拒否した事をスールは後悔したのだろうか、俺が間違っているのに。
女子も、俺に好かれている、と勘違いしていたのだろう。拒否される辛さも自分を正当化したくて相手を否定する気持ちも理解できる、だから責められない。
それでも、拒否はちゃんとしなければならない。
拒否をしたスールを許せなかった、あの時の俺のせいで、壊れてしまった。たった一言、ごめんなさい、それだけできっと救う事ができたのに、言えなかった。
俺は許された訳ではない。
どうか、俺を恨んで欲しい。
恨みながら、そばにいて欲しい。
お前にまた拒否されるまで
俺も俺を許せそうにない