可愛いままのあの子


「お、覚えてないの!」

顔を赤くして視線を逸らす姿を可愛ええなと思ったのもつかの間、昨晩貪るように重ねた唇から紡がれた言葉に名前の肌を撫でていた手を止めた。


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名字名前と俺は、在学中そこまで仲のいい間柄ではない。2年生の時、一年間だけ同じクラスだっただけの関係だ。
自分で言うのもなんだが俺はモテる。女はしょっちゅう寄ってきたので、俺も顔や身体つきがタイプだったり性格が好ましい女とはそれなりに付き合った。だが付き合っても、これが長続きしない。最初はいいのだが、暫くするとあくまでバレー第一優先の俺に女は寂しさを感じ、毎回似たような言い争いになった。バレーと私どっちが大事なのかと、そんなの考えるまでもなくバレーに決まっている。そうなってくると俺も途端に面倒に感じてしまい、結局どの相手とも長続きせずに別れるというのがお決まりのパターンだった。
そんな感じで引く手数多だった俺にとって、名字名前という女はここ数年は記憶から忘れ去っていたくらいには希薄な存在だったのだ。

そんな名前の存在を久しぶりに思い出したのは、双子の片割れから同窓会の連絡が回ってきたときだった。
彼女は覚えていないだろうが、実は在学中一度だけ名前と二人きりで話したことがある。高校2年生の秋、放課後に教室で一人ファッション雑誌をめくる彼女を見つけて声をかけたことがある。
高校時代の名前は優等生という言葉が似合う女子だった。校則の緩い稲荷崎では髪を染めたりピアスやメイクをしている生徒が大半で、着飾る女子たちとは裏腹に名前は長い黒髪をハーフアップにしただけの髪型にメイクもしてるのか一見分からないほどに薄らだった。垢抜けない印象はあったが、元々の顔立ちの良さとその清楚な雰囲気から密かに男子に人気があったことも知っているが、少なくとも俺のタイプではなかった。
そんな名前が流行の最先端を詰め合わせた華やかなファッション誌を読んでいることが意外で声をかけた。

「意外やな。名字さんてそういうの読むんやな。勝手にオシャレとかあんま興味無いんかと思っとったわ」
「あははっ、よく言われる。両親がな公務員やねん。やからこういうオシャレには厳しくて学校くらいでしかゆっくり読めんのんよ。
せやから今のうちに頑張って勉強して、東京の良い大学に入るんや!そんで大学デビューして、好きな洋服やメイクいっぱい楽しむんや!」

名前が定期テストで毎回学年上位に名を残しているのは知っていた。うちのクラスで一番頭がいいのは彼女だったから、自然と耳に入ってきた。しかし優秀な成績の裏にそんな理由があるとは意外だった。どうやらこの女、見かけによらず逞しい精神を持っているらしい。

「ほおか、頑張りぃや」
「うん!宮くんもバレー頑張ってな!」

この時、にこりと微笑んだ名前の瞳が俺の中で強く印象に残っている。俺がバレーを見つめるときの輝きと熱に似たものを、彼女も持っている気がした。

そんなことがあったからといって関わりが増えることも無く、その後名前と俺は二人きりでは話すことなく卒業した。あれから彼女が夢を叶えられたのか、俺は知らない。
今回同窓会に参加したのはシーズンオフ中で纏まった休みがもらえたのもあるが、名前が参加しているかもしれないと興味を引かれたからだ。

そうして参加した当日すっかり垢抜けた名前を見つけた時はそれはもう驚いた。長かった黒髪は肩につかないくらいに短くなっていてパーマでもかけているのだろう緩く波打っていた。色も明る過ぎないダークブラウンに染められていた。横髪は片方だけ耳にかけられていて、小さめのゴールドのピアスがゆらゆらと揺れる。くるんと綺麗に上を向いたまつ毛に、艶やかな光沢を放つ唇に遠目からでも綺麗にメイクをしていることが伺えた。
彼女はあの時教室で語った夢を叶えたのだと一目見て分かり、自然と口角が上がった。

「しかし名字、めっちゃ可愛くなったよなぁ」
「それな。店入ってきたときびっくりしたわ」
「大学、東京やったっけ?」
「やっぱ東京行くと垢抜けるんやなぁ」

アホやなぁ、お前ら。東京行ったからと違うで。あれは名字さんの努力や。そう教えてやりたくなったが、あの華麗なる転身の裏に隠れているものを俺だけが知っているということにたまらない優越感を感じたので黙っておくことにした。

しばらくして、この場の大半の人間が出来上がった頃、名前と話す千載一遇のチャンスがやってきた。
多くの人間が同じ席に飽きて勝手に席替えをはじめた頃を見計らって、俺は水を持って名前の真正面へと座った。周りと同じく完全に酔ってしまったらしい名前は腕を枕にして机に突っ伏していた。完全に寝る体勢に入ってしまった彼女をそっとしておこうと気を利かせたのか、名前の周りには誰もいなかった。

「名字さん、ちょっと水飲みぃや」
「うーん…あ、宮くんだぁ」

身体を揺すって声をかけてやるとまだ起きてはいたらしく、名前は顔を上げてへらっと笑った。酒でとろんとした目と赤く染まった頬がやたら扇情的だ。

「おみずありがとぉ」
「どおいたしまして。今日、俺名字さんに会いたくて同窓会来てん」
「そうなんだ〜ふふ、うれし」

少しからかってやろうと言う気持ちも込めて、意味深に伝えてみたのだが効果はなし。まあいいかと、俺は今日会えたらずっと聞きたかったことを問いかけた。

「夢だった大学デビューできたん?」

ぱちぱちと目を瞬かせた後、名前が満面の笑みを浮かべて「うん」と頷いた。花開いたような笑顔に不覚にもドキッとした。

「今は何しとん?」
「○○出版の大阪支社に配属になって、ファッション誌の編集者になった」

さっきまで今にも寝てしまいそうなほど泥酔状態だったのに、仕事の話になった途端に饒舌に喋り出した名前に、俺は珍しく聞き役に徹することにした。
東京の大学に進学してから勉強とバイトを両立し見事大学デビューを果たしたこと。東京で生活していく中でファッション誌を自分で手掛けたいという気持ちが強くなり、死に物狂いで努力して競争率の高かった今の職場を勝ち取ったこと。早く自分で雑誌のページを持ちたい一心でがむしゃらに仕事を頑張り、今年から任せてもらえるようになったこと。
俺はどちらかと言うと聞くよりも話す方が好きなので、普段であれば人の話を黙って聞くというのはあまりやらない。けれど名前の輝きと熱に満ちた話は、聞いていて心地いいと思う。
今日会って確信した。俺がバレーを愛しているように、名前は今の仕事を愛している。俺と同じ熱を内側に持つひと、これが恋愛感情かは置いておいて名前が俺の中で特別なのは最早疑いようがなかった。
もっと聞かせて欲しい。そう思った矢先、名前の目からぽろぽろと涙が溢れだす。

「えっ、どないしたん!?」
「応援してるって言ってくれてたの、」

本当は応援なんかしてなかったくせに、嘘つき。なによ可愛げがないって……。
話の全容が全く見えないが、言葉から察するに仕事が原因で彼氏と別れでもしたのだろうか。とりあえず、地雷を踏み抜いてしまったことには違いない。

「名字さん、外行こ」

ぐすぐすと泣いている名前の手を取って店の外に引っ張っていく。二人一緒に席を立ったため、注目を浴びてしまったがこの場合は仕方ない。「侑が名字泣かせた〜」と冷やかしてくる声に「アホかちゃうわ。外で風に当たってくる」とだけ言い返した。

外に連れ出して人の目がなくなるとさらに泣き出してしまった名前に、一緒に持ってきたおしぼりを渡した。

「話したくなかったらええんやけど、彼氏となんかあったん?」
「浮気、された……」

膝を抱えてしゃがみこんで、ぐすぐすと鼻を話しながら名前は5年間付き合った彼氏に浮気されたことを話した。最中のところに遭遇したと聞いたときは、いくら人でなしと言われる俺でもきっつ、と思ってしまった。

「浮気されて悲しいはずなのになぜか涙は出なくって、二人を責めたら可愛げがないって言われちゃった…」
「は、」
「こんな時でも涙ひとつ見せない。いつも仕事ばかり、可愛げのない女って。相手の女性、私とは正反対の小さくてふわふわの可愛い人だった」

そう言って膝に顔を埋めてしまった。
「何やそれ、しょーもない男やな」気付いたらそう言っていた。
彼女が努力で好きなことを仕事にして頑張っていて結果まで掴んどる。最高にかっこええやん。

「泣いて縋ってくる女の何がええん?そんな弱くてめんどい女ごめんやで」

過去付き合った女に泣いて縋ってくるやつは大勢いた。人に何かを求めるのは、自分を持たないからだ。自分には何も無い何も出来ない事を本能的に分かっているから、人に求めるのだ。
自分や名前のような人間には似合わない。

「──宮…………たら、」
「ん?何か言うた?」
「宮くんみたいな人が彼氏だったら良かったのに……」

涙声で紡がれた言葉にどくん、と心臓が音を立てた。瞳はまだ涙で濡れていて、泣いたせいで目元が赤いのに、その表情は隠しきれない嬉しさをたたえている。
その表情を見たとき、とてつもなくキスしたい衝動に襲われた。感情が赴くまま、触れてもいいか許可をとることもせず、涙で濡れた頬に手を伸ばし包み込んで、赤くなった目元に口付ける。ちゅ、と控えめな音を立てながら自分の唇で涙を拭ってやった。
俺の行動に驚いたのか身体が一瞬強ばったが、意外にも名前は抵抗しなかった。酔って判断力が落ちているのもあると思うが、受け入れてくれている。そのたった一つの事実が俺の行動をエスカレートさせた。
目元から頬へ唇を滑らせて、そのまま艶やかな唇を塞いだ。

「んっ……」

角度を変えながら唇を合わせていると、苦しくなったのか名前は身を引いたが、逃がしたくなくて頬に添えていた手を後頭部に回して自分の方へと引き寄せキスを続けた。
何分くらいそうしていたかは分からない。ようやく唇が離れた頃、肩で息をする名前の横髪を耳にかけ直し、そこに唇を寄せて小さく囁いた。

「俺、名字さんみたいな強い女好きやで」