問答無用で始まる恋


電車に乗ること約30分、2泊分の荷物だけ詰め込んだ小さなキャリーケースを引きながら早歩きで外に出る。今の職場への推薦を勝ち取るために奔走していた大学4年生と、早く編集者としてページを任せてもらいたい一心で仕事と勉強に打ち込んだ社会人一年目だった為、隣の県とはいえ最後に地元に帰ってきたのは大学3年生の年末だった。優に2年は帰省していないことになる。高層ビルが大阪の都心よりも少ない為、少し低く感じる気温、懐かしい地元の空気感に私はなんだかんだでテンションが上がっていた。
「名前!」と呼ばれ声の方を見る。そこには紫外線なんて全く気にしていないのだろう眩しい日差しの下で手を振る先日も電話をした友人──栗原優子、通称ゆっこがいた。

「ゆっこ!久しぶり!」
「久しぶり!長旅お疲れ!」

この前の電話越しではなく、久しぶりに会えた嬉しさから小走りで優子へと駆け寄る。「とりあえずご飯行こ!あたし行きたい店あんねん!」とSNSで人気のご飯屋を見せてくる。いつもと変わらないこのスピード感に懐かしさを覚えると共に、失恋して傷心中だろうがお構いなしのこの友人の振る舞いが今の私にはかえってありがたい。
兵庫を離れていた2年の間にできたのだろうご飯屋に期待を込めて、私は優子の後を追った。

二人で美味しいランチを食べた後は、優子の家にお邪魔させてもらった。兵庫にいる間は彼女の家に泊まらせてもらう予定だ。もちろん実家でもいいのだが、元彼のことで彼女なりに気を使ってくれた結果である。ズバズバと物を言うわりに、行動には思いやりが溢れているのも彼女のいいところだ。「ありがとう」と感謝を込めて伝えると、「何言うてん!朝まで寝かせんって言うたやん!」と先日の電話での会話を持ち出されてしまい、思わず笑ってしまったのだった。

優子が入れてくれた紅茶を飲みながらお喋りに花を咲かせるとこ数時間。2年も帰省していなければ話題には事欠かなかった。誰が結婚した、何組のあの子が妊娠しているらしい、旅行に行った話や、会社での話──気付けば家を出なければけない時間になっていた。優子といると昔から時間の進みがとても早い。二人で店に向かおうとアパートを出る。
徐々に夏が近付いて来ているとはいえ、夜はまだ少し寒い。冷えた空気を感じながら二人でお店に向かって歩いていく中で、優子が言う。

「今日久々に名前と話してみて思ったんよ。やっぱそのクソ野郎に名前は勿体ないわ」

優子が今日はじめて、元彼の事を話題に出した。私の方に視線は寄越さず、進行方向だけを見つめる親友の声も表情も真剣そのものだった。

「話してる時、名前が本当に仕事が好きなんやろうなってすごく伝わってきた。彼女がそれだけプライド持って仕事しとるなんて、それだけでめっちゃかっこええやん!」

「自慢こそすれ、足を引っ張るなんてとんでもない事やで」と彼女は言った。その後にこうも続けた。「次付き合う人は名前と同じくらい何かに一生懸命な人がええと思うで」と。
次…次か…。はたして次があるのだろうか。5年間ずっと応援してくれていると思っていた人に裏切られたのだ。大抵の男性が女性は結婚したら家庭に入って欲しいという世の中で、誰が仕事を頑張りたいという自分を受け入れてくれるのだろうか。今回の一件で、私はひどく臆病になっていた。

そうこうしているとお店に到着した。白い外壁にオレンジの瓦屋根の、お洒落な外観のお店だった。入口のところにはイタリアの国旗が揺れており、扉の横に"Trattoria and Bar"とあることから、お酒と料理両方楽しめるお店であることは容易に想像がついた。扉にぶら下がる『本日貸切』の文字を通り過ぎ、優子に先導されて店内へと入る。

店内はもう大半が集まっているのか、ガヤガヤと賑やかだ。お店の作りとしてはバーカウンターとテーブル席の両方があるタイプのお店で、各々が好きなところに座っていた。「おー、ゆっこ!名字も!」とテーブルの横を通るとき、既に先に呑んでいる男子に手を上げて挨拶されて一人一人に「久しぶり」と手を振った。優子に奥の席に導かれ、高校時代同じグループだった子達が集まる席へと連れていかれる。

「名前!めっちゃ久しぶりやん!」
「もう一生帰ってこんと思っとったわ!」
「なんでや、帰ってくるわ」

しばらく疎遠だった事を感じさせないような軽快な会話に、封印していた関西弁が思わず出た。
どうやらこのお店、今回参加している同期の一人が働いているお店らしく、飲み放題はまだスタートしていないが、サービスで呑みたい人は先に飲んでいても良いらしい。そういうことならばお言葉に甘えて頂こうと、ドリンクメニューに手を伸ばした時だった。
扉が開く音と「お久さぁ〜」という間延びした声。一際盛り上がる会場に驚いて入口を見た。

「でたよ、宮兄弟」

「相変わらずすごい人気やね」と優子が呟いた。
宮兄弟。私達の代でその存在を知らない人はいない。全国常連であるバレーボール部に所属し、その双子ならではのコンビネーションから、"高校バレー界最強ツインズ・宮兄弟"として学校だけに留まらず全国に広まっていた。そんな双子の人気はそれはもう凄まじく、その整った容姿と性格の違う双子という特異性に学校の外にもファンがいるくらいで、選手でありながらその扱いはアイドルのそれだった。在学時代、侑派か治派かなんて話題は定番中の定番だった。
ちなみに私はというとスポーツはあまり詳しくないので、あくまで"そういう人たちが同学年にいる"という程度の認識だ。

「侑ぅ、この前の試合テレビで見たで!」
「おー、俺のスーパーセットかっこ良かったやろ!」
「サーブホームランだったやんけ!」
「いやそっちかい!!」

「治、店順調か?」
「ツムの宣伝効果でまぁまぁええ感じやで」
「今度、職場の後輩と行くわぁ」
「おん、サービスするわ」

宮兄弟の周りにあっという間に人だかりが出来上がる様子を眺めた後、私はドリンクを選ぼうとメニューに視線を戻した。普段であれば仕事に支障をきたしたくない為あまりお酒は飲まないのだが、今日に限ってはその心配はない。せっかくの同窓会だ、酔いたい気分でもあったため最初から強めのお酒を選んだ。
そしてどうやら宮兄弟の入店が最後だったようで、全員に飲み物が行き渡ったところで、学生の時から変わらず仕切りたがりの男が「そしたら乾杯するで!」とジョッキを掲げた。

「急に企画したんにも関わらず集まってくれてありがとお!今夜は全員しっかり楽しんでな!──乾杯!」
「「かんぱーい!」」

ガチャガチャとグラスのぶつかる音。楽しい楽しい夜の始まりだ。私もワクワクしながら、目の前の友人達と控えめにグラスを合わせたのだった。


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ふかふかのベットの感触を感じて意識が少しずつ浮上する。昨日優子の家に戻った記憶がない。きっと連れて帰ってきてくれたのだろう。家主を差し置いてベッドを使うなんて、申し訳ないことをした。自分としたことが羽目を外しすぎて記憶を飛ばすなんて、後で謝らなければ。
そこまで考えて身体を起こそうとして、ようやく私は自分の腰と首周りに太い腕が巻きついていることに気が付いた。
逃がさないと言わんばかりにがっちりと抱きすくめられて、耳元では規則正しい寝息が聞こえてくる。そして一番大事なこと、自分も相手も服を着ていない。やばい、これは間違いなくやらかしている。
相手の男を起こしてしまわないように首元に回る腕だけそっと外し、上半身だけ起こす。相手を確認して私は驚きに言葉を失った。キラキラと輝く金髪に端正な顔立ち。すやすやとあどけない顔で眠る、宮侑がそこにいた。

相手が誰であろうとこの状況では最悪に違いないのだが、考えうる中で一番やばい人物を引き当ててしまった。
今や宮侑は日本のバレーボールを牽引するスター選手であり女性ファンも多い。もしスキャンダルにでもなったら各所に多大なる迷惑をかけることになり、大変どころの騒ぎでは無い。
宮侑が目を覚ます前にこの場を去るべきだろうか。だがしかし酒に酔った挙句、ヤることだけヤっていなくなってるなんて、それはさすがに最低過ぎやしないか。24年間生きてきてこんな状況に陥ったことがないので、どうしたらいいか分からず途方に暮れてしまう。
そうしてもたもたしていたのが良くなかったのだろうか。今までぴくりとも動かず腰に回っていた手が、腰から脇腹までをいやらしく撫で上げた。

「ひっ!」
「フッフ、ひっ!やて。可愛ええな」
「み、みやくん……」

反射的に出た悲鳴にくすくす笑いながら、目覚めた宮侑は私の腰をぐっと引き寄せて背中に唇を寄せた。

「そんな他人行儀な呼び方やのうて、昨日みたいに侑って呼んでや」

ちゅっちゅと背中のいたる所にキスを落としながら、寝起きの少し掠れた声で囁かれる。その色気に当てられそうになりながら、その昨日のことを覚えてないんだってば!と私は心の中で叫ぶ。
ずっと仕事一直線だったため恋愛経験は多い方ではないが、これがかなりまずい状況だということだけは分かる。何とかして止めないと。

「なぁ、もっかいシようや」

背後から捕まえられて、耳を甘噛みした宮侑が息を吹き込むように艶のある声で囁いてくる。バレーボールを片手で掴めてしまうような大きな手のひらが太腿をなぞって、入口に到達しそうになったとき、私は恥ずかしさに堪らず声を上げた。

「お、覚えてないの!」

ピタリと宮侑の手が止まった。
おそるおそる自分よりも高い位置にある宮侑の顔を見上げると、色素の薄いヘーゼルブラウンの瞳と視線がかち合った。
驚きに満ちたその表情にばつが悪くなってしまい、私は布団で胸元を隠しながら視線を逸らしたのだった。