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お嬢様は侮らない


姉妹校交流会は、呪術高専で年に一度行われる運動会のようなイベントだ。二日間かけて勝敗を競う、殺さなければ何をしてもいい呪術合戦。普通二、三年生がメインの交流会だが、今年に限っては五条、夏油の一年生二人に声がかかった。頼み込む上級生のあまりの必死さに理由を訊ねれば、理由はまたもや美山依子──。名前が出た瞬間に五条の眉間にシワが寄った。
一昨年と去年の交流会では、依子の采配により団体戦はボロ負け、個人戦で巻き返すことも叶わず、東京校は二年連続で敗北を味わったそうな。
依子と名を連ねる五条と、その五条と張り合える夏油の入学により東京校側は今年こそは、と燃えていた。年下に縋りつくなんてみっともないと思わないのか、というのは言わないでおく。彼等も必死なのである。

とにかく、こういった経緯で参加することになった交流会であるが、意外にも五条は乗り気だった。
その理由は──。

「あのクソアマ、ぜってえ泣かす」

だそうである。依子の泣きっ面でも想像しているのか、意地の悪い笑みを浮かべる五条に、夏油は呆れた。依子嫌いもここまでくると筋金入りである。

「作戦はどうする」
「作戦ん〜?いらねえよ、俺と傑に勝てるやつなんていないだろ」
「悟、甘く見るな。相手には美山先輩がいるんだぞ」
「出たでた…その美山センパイも俺らには勝てないだろ」

「向こうには勝てるカードがないんだから、先手必勝!ハイおしまい!」

五条の言うことは決して間違っていないが、あの美山依子が五条と夏油に対してなんの策も講じないなんてことがあるんだろうか。夏油にはとてもそうだとは思えない。特に五条は依子を嫌うあまり、彼女の力を軽んじる傾向があるから余計に。
スピーカーから団体戦のスタートを知らせるカウントダウンが聞こえる。
10、9、8、7、──。

──やはり、ちゃんと作戦を立てた方がいい。
「悟、やっぱり」

3、2、1──スタート!
ドンッと遥か遠くで聞こえた発砲音、それは見事、夏油の米神にクリティカルヒットした。開始と同時に倒れた相棒の姿に五条は一瞬何が起こったのか分からなかった。


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「当たりました」
「ひゅぅ、流石依子」

京都側のスタート地点、手慣れた動作で長大なライフルのボルトアクションをしながら、依子は淡々と報告した。第一段階は成功である。

結論から言うと夏油の想像した通り、依子は夏油と五条に対して策を講じていた。その第一段階が開始直後に夏油をまず戦闘不能にすることである。
ではなぜ初手で狙うのが無下限持ちの五条ではなく夏油なのか、という所から説明しよう。五条と夏油、どちらの方が厄介かと分析したとして、どちらも厄介な事に違いないが、強いて言うなら五条だろう。ならば一番厄介な彼を真っ先に戦闘不能にすることが理にかなっていることは言うまでもない。
ではなぜ敢えて夏油なのか、理由は二つ。
一つ目は、単純明快に成功率の問題だ。無下限呪術がどんな術式かは知っている。開始直後でもし五条が無限を張っていたのなら、奇襲は失敗に終わる。そうなれば、五条と夏油は警戒を強め、二度と彼等を出し抜ける機会は訪れない。そうなれば詰みだ。だから、依子はまず奇襲成功率の高い夏油を狙った。互いのスタート地点を両断する超長距離狙撃。元々が威力の高い対物ライフルにそこから更に呪力を込めて威力を上げたゴム弾。正確に狙うことも呪力感知に優れた依子の術式をもってすれば十分可能だ。
二つ目は、五条の動揺を誘うことを狙いとしている。五条が自分を侮っていることを、依子はよく理解している。それを逆手に取らせてもらう。開幕初手で、夏油が戦闘不能にされれば間違いなく五条は動揺する。そして、頭のいい彼ならば依子の仕業だとすぐに気付くだろう。舐めてかかってまんまと出し抜かれるなんて、五条にとってこれ以上の屈辱はない。五条は必ず依子を狙って来るだろう依子は囮だ。

五条の足止めを依子がしているうちに、彼女が感知した呪霊の元へ最短で行き、祓う。五条の依子への心象、夏油が五条に及ぼす影響、戦略的な面、全てを材料に依子が立てた、これが作戦の全容だ。

「それでは、言った通りに、」
「オッケー!依子も気を付けてな」
「はい」

親指を立てるサムズアップのジェスチャーをして、同期と後輩が走り去る。
さて──弾の軌道から大体の位置を予測して直行してきているのだろう。猛スピードで迫ってくる強大な呪力に、依子は重いライフルをその場に捨て、腰のハンドガンを手にする。

「………」
「甘く見たわね。勝てる材料がないなら、作るまでよ」
「ぶっ殺す」

想像以上にキレている。まあ、当然といえば当然だが。
まずは二発撃つ。それらは無限によって阻まれた。

──やっぱりずっと張ってるか。

五条に近接を仕掛けるのは得策ではない。もう一度言う、依子は囮だ。この場合有効なのはのらりくらりと躱し続けて、五条のフラストレーションを溜めること。

──銃で牽制しつつつかず離れずを保つ…!

そこからは鼬ごっこだ。絶妙な牽制で距離を保つ依子と、頭に血が上り彼女の手のひらの上で転がされる五条。
攻めあぐねている上に、全く攻撃に転じてこない依子に五条のフラストレーションは溜まる一方だ。自然と盛大な舌打ちが出た。

「舐めた真似しやがって…」
「舐めているのはそっちでしょう」

いつも飄々と五条を躱している女と同一人物とは思えない鋭い声音に、図星だった五条は黙った。

「私を測り損ねたから、あなたは今こうして私の思い通りになっているんでしょう。それを転嫁するなんて、愚かしいにも程があるわ」

「だから、浅慮だと言うのよ」
「お前、うるさいんだよ!」

術式順転<蒼>を発生させ脅しに木々を抉るだけのつもりだった。だが、図星だったが故に激昂し呪力操作をしくじったせいで、大きく出来上がったそれは、あろうことか依子の右腕を巻き込み、捻り潰したのだ。

──! ヤバい、ミスった!
「っ──!く、」

依子の美しい顔が苦痛に歪み、白磁の頬に鮮血が散る。想像を絶する痛みだろうに、しかし彼女は悲鳴ひとつ上げない。ただ米神に脂汗をかきながら、五条を睨みつけた。深淵へと通じる瞳に、五条が怯む。
傷口からぼたぼたと血を流しながら、依子は歯を食いしばり、立ち上がった。その光景を五条は苛立ちも忘れ、かといって助け起こすこともできず、ただただ呆然と見つめた。

「フーーーッ、」

深い息を吐いて、依子は呼吸を整える。
「終わりね、」依子の小さな呟きの後、団体戦終了のアナウンスが鳴った。結果は京都校の勝利、全てが依子の作戦通りになったわけである。

「なぜ、突っ立っていたの」

依子の厳しい眼差しに、五条は肩を揺らした。

「激昂し、呪力操作を誤って、おまけに放心状態──あなたに周りを弱者と呼ぶ権利はないわ」

いつものように目が逸らされる。だが、今までとは決定的に違うことがあった。深淵へと通じる黒曜の瞳は、五条に対して明らかな失望を写していた。


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夏油はベッドからはね起きた。彼は気を失う前のこと全てを覚えていた。開始直後に、頭に何か直撃し昏倒させられた。あんなことが出来る人間を夏油は一人しか知らない。

「悟、私は一体、」
──どのくらい気絶していた。団体戦はどうなった。

丸椅子に腰掛け、長い足を余らせている五条に訊ねようとして、口を噤んだ。明らかに様子がおかしかったからだ。
俯いた表情は見えない。言葉も発しない。普段の彼なら、まんまとしてやられた夏油にからかいのひとつでも言うだろうに。これは、ただ負けたわけではないな──夏油は直感でそう感じた。

「結果は」
「負けた」
「何があった」

「依子の腕を、<蒼>で潰した」

五条とて、腕を潰しただけならここまで落ち込んだりはしない。その原因が自分の呪力操作ミスにある、ということが堪えているのだ。
全て彼女の、依子の言う通りだった。まんまと策に嵌り、冷静さを失った。五条が依子を舐めてかかったりしなければ、こんなことは起こらなかった。依子の失望に塗れた瞳が、忘れられない。

「くそ、」
「悟、美山先輩に謝りに行こう。私ももっと事前に策を立てようと主張するべきだった」

いくらわざとではないとはいえ、嫁入り前の女性の腕を潰した罪は重い。例え反転術式で治るとしても、だ。何より、ここで依子に謝らなければ五条はきっとこのことを引き摺るだろう。担任である夜蛾は言う、<教育とは気付きを与えること>であると。これは、五条が更に成長するためのプロセスの一つなのだ。
二人は依子を探しに医務室を出た。

依子はすぐに見つかった。境内の階段に家入と共に腰掛け、五条に捻り潰された腕の治療を受けていた。見るも無残だった腕はもうほとんど治っており、傷跡も残っていない。ここで五条は少しほっとした。
依子の横、家入とは反対の位置には美しい依子には似合わない長大なライフルが立てかけてある。夏油は好奇心から尋ねた。

「美山先輩、これは…」
「アンチマテリアルライフル──いわゆる対物ライフル。夏油君を狙撃したのはこれよ。勝つためとはいえ、悪かったわね」

ちょっと待て。対物ライフルを人に向けて撃ったのか。この人も大概だな、と思ったが話の腰を折ってしまうので夏油は言わないでおいた。
「硝子ありがとう、もう平気よ」大輪の百合が開いたような笑顔で、治療をやめさせた依子が、袖を下ろしながら二人に向き直る。

「で、二人お揃いで何の用かしら?」

聞く体勢を取ったということは、大方想像はついているということだ。それでも敢えて、本人に言わせようとするのは夜蛾同様<気付き>を与えるために他ならない。
目を閉じ、五条が切り出すのを待つ。ややあって、五条がぼそっと呟いた。

「ごめん」

「怪我させて、ごめん」
「違うわね」

依子は五条の謝罪をぴしゃりと真っ向から否定してみせた。人が素直に謝っているというのにこの女!カッとなって食ってかかろうとする五条を夏油が止める前に、依子が手のひらで静かに制す。

「呪術師だもの、怪我はどうだっていいわ。こういう事が起こることも含め私は挑発したんだから。私が許せないのは才能の上に胡座をかき、見下されていたということよ」

「大抵の人間はあなた達に敵わないでしょう。特に五条悟、貴方は産まれながらに特別よ。そこを否定するつもりは無いわ」

「けれど、だからこそ力は正しく行使しなければならない。侮り、見下すことに意味はない。"最強"とは相手の実力如何に関わらず、隙のない人物のことを云うのよ」

少しばかり耳に痛い話だというのに、五条は指一本動かさず聞き入っていた。「貴方達になれるかしらね」、最後にほんの少しの挑発を混ぜて、依子は美しい顔に笑みを浮かべた。言葉とは真逆に、全く嫌味のない美しい笑顔だった。

去っていく依子の美しい姿から、五条は目が離せなかった。初めて見えた依子の本心に、五条は心が震えるのを感じていた。
依子は期待していない人間に発破をかけるような真似はしない。あの"神童"美山依子に、期待されているという確かな事実。五条だけではない、夏油もまた背筋が伸びる思いだった。

五条は、依子に対して以前のような嫌悪感はもう感じない。でもやはり、自分のずっと先を歩く美山依子は気に入らないので、彼女言う"最強"とやらになって、その時に中指を立てて「ざまぁみろ」と言ってやることに決めた。