路地裏で猫背の彼と奇妙な時間を過ごしたあの日から、もう一週間が経とうとしていた。名前も、住んでいるところも、何も知らない人間にまた会おうとしているなんて、やはり愚かだろうか。彼に渡したいお礼とお詫びを兼ねたお菓子の包みは、今もわたしの小さな部屋の一角に置かれたままだった。焼き菓子にしてよかったと心底思う。だけどこのままずっと会えなければ、あの包みは「お礼とお詫びの品」から「ただのお菓子」になってしまう。早く渡したい。早く会って、あの時のことを改めて謝って、そして目一杯お礼がしたい。わたしを悲しみの淵から引っ張り上げてくれた、彼に会いたい。


しかしわたしのそんな思いとは裏腹に、時間だけが無情に過ぎていった。
あの日から毎日あの路地裏に顔を出しては、数十分ほど何をするでもなく彼を待ち続けているけれど、時間が合わないのか、本当にもうここには来ないのか、顔を合わせることは一度もなかった。彼に会うことが出来ずに仕方なく帰路に着くたび、鞄の中にひそませているお菓子の包みがカサリと寂しそうに鳴いているような気がして、それはわたしの気持ちを代弁してくれているみたいだった。










「お疲れ様でした」


あの日から一週間と5日目、今日もなんとか仕事を終わらせてあの路地裏へと向かう。真冬の夜は闇が深く、いつも早足で帰路についていたけれど、ここ最近はその闇がさらに深くなる時間まで外にいることが増えた。増えたというか、毎日。
普段は暗くて怖い夜道も、彼が来るかもしれないという淡い期待を抱いて待っている時間は少しも苦にはならなかった。このままもう会えないとしても、自分が納得行くまではこうして待ち続けていたかったのだ。冷たい夜風が突き刺すように頬をなでても、吐く息が真っ白になっても、わたしは彼を待ち続けた。


「今日も来ないか…」


いつもと同じくらいの時間、夜空を見上げながら待ち続けたものの、今日も彼は来なかった。そろそろ手の指先が寒さでじんじんと痛みだす頃だ。両手に息を吐いて、わたしは立ち上がった。今日も、もうきっと来ないだろう。鞄を肩にかけ直し、路地裏を抜けていつものように家へと歩き出した。


「やっぱりもう」駄目なんだろうか。冷え切った両手を擦り合わせながら、ぽつりと独り言が夜の空に白い息となって融ける。そもそも待ち続けていること自体がおかしくて、あの日、彼はわたしに会いたくない一心で嘘をついた。直接そう言われたわけじゃないけれど、きっとそうだ。理解しながらも、自分の気持ちだけでこうして来るはずのない人を待って、待って、会える日を焦がれ続けて、傍から見たらわたしは馬鹿だ、きっと。

だけど、彼に出会うまでは、自分の気持ちがこんなにざわざわと騒ぐのも、気持ちのままに行動することもなく、ただ過ぎてゆく毎日に身を任せ、生きているのか死んでいるのかわからなかった。わたしにとってはそれくらいあの日の出来事は衝撃で、幸せだったんだなあと改めて実感する。だから会いたい。やっぱり、会ってもう一度話がしたい。


不意に、視界がぼやけた。知らないうちにわたしは泣いていたのだ。悲しいことも痛いこともないのになぜか溢れ出る涙は、わたしを困惑させた。たった一度、ほんの束の間、同じ時間を過ごしただけの人を想ってこんな風になるなんて初めてだった。眼鏡を外してコートの袖で目を擦る。家まであと少しのところで、わたしの足は動かなくなってしまったのだ。


「どうしたの」


背後から声がする。わたしは上手く働かない頭のまま振り返った。




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