フィニス・カルデア
塩基配列――ヒトゲノムと確認。
霊器属性――善性・中立と確認。
ようこそ、人類の未来を語る資料館へ。
ここは人理継続保障機関、カルデア。
指紋認証 声紋認証 遺伝子認証 クリア。
魔術回路の測定――質・EX、量・C+と確認。
……完了しました。
――登録名と一致します。
貴方を霊長類の一員であることを認めます。
はじめまして。貴方は本日 最後の来館者です。
どうぞ、善き時間をお過ごしください。
――人理継続保障機関フィニス・カルデア。
どこの国でもない地球上最南端、西経0度にある南極大陸の標高6000メートルの雪山に建てられた、地球最大にして唯一の人理観測所。
強引に拉致された私と藤丸立香は、霊子ダイブで入館した。
なんだろう、頭がぼーっとする……。
「立香、だいじょう……えっ……!?」
ふらふらと歩いていると、ぼんやりとした顔の立香がぶっ倒れた。
無言だったのは、どうやら夢遊状態だったのだろう。
「あー……もう……げん、かい……」
私もしんどくなってきたので、壁に背中を預けて瞼を閉じた。
「フォウ……? キュウ……キュウ?」
耳元で不思議な鳴き声が聞こえた。肩の重みと頬にザリザリした感触を感じて、無理矢理目を開ける。
掠れた吐息を漏らして肩を見れば、真っ白な生き物がいた。
リスのような耳、犬のような顔立ち、小動物と思わしき小さな体躯。
長毛種のような可愛らしい生き物を目にして、自然とふわふわな毛並みを撫でる。
「……起こしてくれて、ありがとう」
気の抜けた笑顔を見せると、謎の生き物は私の頬にぐりぐりと頭をこすりつける。そして飛び降りると、今度は立香を起こした。
ぼんやりとしている様子は無理もない。私もまだ頭がぼーっとする。
「……あの。朝でも夜でもありませんから、起きてください、先輩」
ふいに聞こえた少女の声。顔を上げれば、立香の近くに薄藤色のショートヘアと眼鏡が特徴的な少女がいた。
「君は……?」
目が覚めた立香は、気の抜けた声で
「いきなり難しい質問なので、返答に困ります。名乗るほどのものではない―――とか?」
眉を下げて弱った表情で言う少女。
不思議な返答だ。なら、の質問はどうだろう。
「あの、ここは……?」
ここがどんな場所なのか、私は知っているけど、立香は知らない。
代わりに質問すると、少女はほっと安心したのか笑みを浮かべた。
「はい。それは簡単な質問です。たいへん助かります。ここは正面ゲートから中央管制室に向かう通路です。より大雑把に言うと、カルデア正面ゲート前、です」
……いや、そっちじゃない。
そう言おうとしたが、「コホン」と咳払いした。
「どうあれ、質問よろしいでしょうか、先輩。お休みのようでしたが、通路で眠る理由が、ちょっと。硬い床でないと眠れない性質なのですか?」
「えと……ここで眠っていたのか? オレ」
「はい、すやすやと。
少女の返答に困惑する立香に、私は苦笑した。
「急に倒れたんだよ。夢遊病みたいな状態だったから」
「えっ。オレ、夢遊病患ってたっけ!?」
「いや……たぶん、ここの入口を通ったからかも。私も頭がぼーっとするし」
安心させるように言うと、立香はほっと肩から力を抜いた。
「フォウ! キュー、キャーウ!」
その時、謎の生き物が大きく鳴く。まるで自分の存在を主張しているようだ。
すると、少女が「失念していました」と呟く。
「こちらのリスっぽい方はフォウ。カルデアを自由に散歩する特権生物です。わたしはフォウさんにここまで誘導され、お休み中の先輩方を発見したんです」
紹介すると、フォウは「よろしく」と言っているような鳴き声を上げて、どこかへ行ってしまった。
「……見た事のない動物だな……」
「はい。わたし以外にはあまり近寄らないのですが、先輩方は気に入られたようです」
立香だけじゃなくて、私もあの子に好かれたのか。嬉しいなぁ。カルデアのマスコットキャラと触れ合えるなんて、前世では考えられない……というか、異世界に転生する自体おかしいんだけど。
「ああ、そこにいたのかマシュ」
不意に、ゾワッと嫌な悪寒を感じた。
恐る恐る顔を向けると、緑色の紳士服を着た男が歩いてきた。
……その男は、
「だめだぞ、断りもなしで移動するのはよくないと……おっと、先客がいたんだな。君たちは……そうか、今日から配属された新人さんだね」
善人のような笑顔を浮かべているが、私は知っている。
この男がどんな奴であるのか。そして、これから何をするのか。
とはいえ物語の知識≠ェ無くても、この「眼」があるから危険人物だと判る。
「私はレフ・ライノール。ここで働かせてもらっている技師の一人だ。君たちの名前は……?」
「藤丸立香です」
「……巫幸祈です」
警戒心を抑え込んで名乗る。
レフは、私たちが招集された49人の適性者、その最後の二人だと理解した。
「ようこそカルデアへ。歓迎するよ」
(まったく……無駄な徒労だな)
濁った透明色の靄が濃くなった。
本心は歓迎していない。むしろ
「一般公募のようだけど、訓練期間はどれくらいだい? 一年? 半年? それとも最短の三ヶ月?」
「いや、訓練はしていません」
立香が素直に告白すると、レフは「そういえば」と思い出す。
「数合わせのために緊急で採用した一般枠があったな。そうか、君たちだったのか。申し訳ない。配慮に欠けた質問だった」
(ただの一般人、しかも無力な子供か。放っておいても計画に差し当たりはないな)
建前を耳で聞き、本心を思念で受け取る。
普段から普段から感じているとはいえ、この男の悪性は強いぶん気持ち悪い。
それでも己を律し、無表情を取り繕う。
隣では、立香が少し眠そうな表情をしていた。
「ああ、さては入館時にシミュレートを受けたね?」
霊子ダイブは慣れていないと脳にくるらしい。
一種の夢遊状態だったのだと説明され、立香はあからさまに安堵した。
さっきの私の言葉、まだ引きずっていたんだ。悪いことしたなぁ。
「見たところ異常はないが、万が一という事もある。医務室まで送ってあげたいところなんだが……すまないね、もう少し我慢してくれ。じき所長の説明会がはじまる。君たちも急いで出席しないと」
「所長……?」
「所長は所長さ。ここカルデアの責任者にして、
立香が首を傾げると、レフは当たり前のことのように答える。
実のところ、パンフレットも何も見ていないどころか貰わなかった。
あの拉致野郎、次に会ったらとっちめてやる。
「今後、平穏な職場を望むなら急ぎたまえ。五分後に中央管制室で所長の説明会がある。君たち
(威厳を見せつけるためだとはいえ、まったく無駄な行為だ)
纏う靄の色の濃淡の切り替わりが激しい。
私はこいつの正体を知識として未来を知っているから余計に気持ち悪い。
「レフ教授。わたしも説明会への参加が許されるでしょうか?」
「うん? まあ、隅っこで立っているぐらいなら大目に見てもらえるだろうけど……なんでだい?」
「先輩方を管制室まで案内するべきだと思ったのです。途中でまた熟睡される可能性があります」
「……君をひとりにすると所長に叱られるからなあ……結果的に私も同席する、という事か」
一瞬、嫌そうな顔をしたレフ。
「好きにしなさい」と言っておきながら「余計なことをするな」と思っている辺り気分が悪い。
「他に質問がなければ管制室に向かうけど。今のうちに訊いておく事はある?」
「……一ついいですか? 何で先輩と呼ぶんですか、この子」
立香が質問すると、マシュの頬が赤く染まる。
「ああ、気にしないで。彼女にとって、君たちぐらいの年頃の人間はみんな先輩なんだ。でも、はっきりと口にするのは珍しいな」
知識によると、彼女は「人間らしい人間」に出会ったことが無いらしい。
まぁ、カルデアには魔術師や科学者が多いから当然かな。
「ねえマシュ。なんだって二人が先輩なんだい?」
「理由……ですか? 藤丸さんと巫さんは、今まで出会ってきた人の中でいちばん人間らしいです」
まったく脅威を感じない。敵対する理由が皆無。そんな人間的代表とも言える立香を「先輩」と呼ぶのも当然。……ん?
「私も?」
「はい」
あれ? 私って癖が強いと思うのに。
目をぱちくりさせる私に、立香は微笑ましそうに笑っていた。
「……なに?」
「いやぁ、よかった。幸祈を理解してくれる子で」
初対面なのに、理解しているというのかな。
きょとんとする私と笑う立香に、マシュが尋ねる。
「おふたりは仲が良さそうですね」
「まぁ、幼馴染だからね。幼稚園……えっと、5歳ぐらいからの付き合いって言えばわかる?」
私の説明に、マシュは目を丸くした。
「そんなにですか? それはすごいですね」
確かに、およそ12年も幼馴染でいられるのはすごいかも。男女の幼馴染は、思春期になると疎遠になりやすいから。
そんな会話を歩きながらして、管制室に到着する。
私達の番号は一桁台。つまり最前列に立たないといけない。
「……あの、先輩? 顔の色が優れないようですが?」
「……ごめん、まだ頭がぼうっと……」
立香が眠気と葛藤するも、銀髪の女性がこちらを睨む。
医務室に行けないのは痛いけど、立香を連れて最前列に立つ。
「特務機関カルデアにようこそ。所長のオルガマリー・アニムスフィアです。あなたたちは各国から選抜、あるいは発見された稀有な――」
説明が始まり、立香は寝ぼけながらも合いの手を入れる。
しかし、最終的にレム睡眠に近い状態に陥ってしまい、私ともども管制室から追い出されてしまった。
幼馴染だから連帯責任って理不尽な……。
でも、これでよかったかもしれない。
この先の