ギルドマスター



「なあ、チハル。お前、Aランクに上がらないか?」

 空気になっていたイグナチウスが意外なことを申し出た。
 驚いて彼を見上げれば、真剣な顔で見下ろされる。

「……Bランクに上がる試験があるって聞いたけど?」
「そこは大丈夫だ。採取・討伐・護衛の仕事を熟して、尚且なおかつ人格者であることを証明すれば、Aランク冒険者、つまり俺の口添えで通る」

 意外なことに、イグナチウスはAランク冒険者だった。
 彼の申し出はありがたい。是非ぜひとも協力してもらおう。

「チハル・サカキ様」

 その時、別の声が私にかけられた。
 呼んだのは、セミロングの黒髪に切れ目な銀色の瞳が美しい、凛々しいヒト。

 鳥と同じ漆黒の翼を持つが――獣人族には鳥人族という種類がいるらしい――、存在感は人間と違って希薄きはく
 輪郭りんかくに沿って淡い光が見えることから、人間ではないことが判る。
 とはいえ、人間と違う気配から、すぐに判別できた。

「闇の最上位精霊?」

 驚きつつ正体を口にすれば、精霊は目を丸くする。

「……よくお判りで」

 精霊は実態を持たないから声帯を持たない。基本的に念話で相手と会話する。
 だが、契約していれば実体化が可能となる。この精霊は誰かと契約しているようだ。

 ちなみに女性的な体型で、女性と見て取れる。だが、精霊に性別はない……けど……。

「ギルドマスターがお呼びです。ご同行を願います」

 精霊だというのに、丁寧な対応だ。それがこの精霊――とりあえず彼女と呼ぼう――の在り方なのかもしれないが、少し居心地が悪い。

「いいけど……えっと、普通の口調でいいですよ?」
「それはなりません。では、ついて来てください」

 バッサリ拒否られた。
 どういうことなのか困惑してしまうが、闇の精霊の後を追う。
 建物の中に入って、受付カウンターの奥にある階段を上り、三階の部屋に到着する。

 扉の前で、ふっと闇の精霊が消える。
 このままではいけないので、まずはノックすることから始めよう。

「チハル・サカキです。お呼びと聞いて参上いたしました」
「……どうぞ」

 少し間を置いて許可をもらい、失礼しますと一言告げて入る。
 部屋の中は、思っていたより質素だった。

 十畳くらいだろうか。精霊治安協会の長官の執務室より狭い。その中で深い茶色のソファーやクラシック調の調度品、観葉植物が大人な印象を与える。
 味のある室内に感嘆しつつ、ふかふかの肘掛椅子に座ってガラス張りの広い窓から外を眺めている人物が、椅子を回転させてこちらへ向く。

 男性らしい形に整えられた銀髪。理知的な瞳は瞳孔どうこうと同化するほど黒い。知性を感じさせる優しそうな風貌で、二十代後半ぐらいに見える年齢。体型はスリムで、冒険者に所属している者に比べて鍛えられているように見えない。
 だが、あなどるのは良くない。彼から良質で膨大な魔力を感じるから。

 かもし出される魔力の大きさで威圧されているのだと判ったが、顔色は変えない。
 たっぷり十秒が経過した頃、ふっと魔力による圧力が消えた。

「すまない。さっそく試させてもらったが……なるほど。イグナスを圧倒するだけある」

 彼の発言に驚く。
 訓練場で彼の姿を見ていない。彼のような魔力なら感じられるはずなのに。

 ここで、彼が向いていた広いガラス窓に注目する。その方向には、訓練場がある。しかし、外からこの部屋があることすら気付けなかった。というより見えなかった。
 もしかして、地球に存在したアレなのかもしれない。

「ミラーガラスですか?」
「……ご明察」

 目を見開いた男性に、この世界にも特殊ガラスがあることに感嘆した。
 やっぱり地球と似通ったところがある。それだけこの世界は発展しているようだ。

「まずは自己紹介。僕はロラン・イシンバエワ。精霊都市の冒険者ギルドのギルドマスターだ。そして彼女はライラ。僕と契約した闇を司る人型の最上位精霊」
「チハル・サカキです。彼はヒイラギといいます」

 私の名前は登録を通して知っていると思うが、念のために名乗る。

 すると、ライラをそばはべらせているロランは苦笑する。
 私に対してではない。私の傍にいるヒイラギに向けられていた。

「先程、ドワイト君からイリーナさんの言付けを聞いた。まさか神位の精霊だったなんてね。気付けなかったよ」
「当然だ。人間に見抜かれるほど、俺の能力は下等ではない」

 自信たっぷりで高圧的に言うヒイラギの発言に苦笑してしまう。
 ヒイラギの顔の広さには驚かされるけど、遠慮のない物言いは心臓に悪い。

「ヒイラギ殿が売ってくれる果実酒は美味しかったけど、今後を考えると、もう飲めないのかな」
「果実酒は麦焼酎と同じくらい作っているから、酒蔵にたんまりとある。気が向いたら売ってやろう」
「それはありがたい」

 嬉しそうに笑うロランも酒好きのようだ。

「それじゃあ、そこにかけてくれ」
「……失礼します」

 雑談が終わってほっとして、ソファーに座る。
 ヒイラギも座ると思って隣を空けたけど、彼はソファーの後ろに控えた。

「ヒイラギ?」
「気にするな」

 座らないのかと訊こうとする前に、ヒイラギは言う。
 多分、警戒のためだろう。ロランが私に危害を加えないか。
 そんなヒイラギに、ロランは小さく笑う。

「まるで騎士だね。彼にしたわれるほど、君はいい子なのだろう」

 ロランの言葉に、少し眉を寄せてしまう。

「ヒイラギは家族です。騎士ではありません。それに、私はいい子ではないです」

 いい子なら、ヒイラギとアズサを苦しめなかった。
 未だに後悔を引き摺っている私にヒイラギは溜息を吐いて、わしわしと私の頭を撫でた。
 少し乱暴な手つきのせいで髪型が崩れる。

「わっ、ちょっとヒイラギ?」
「昔≠フ感傷に浸るのはいいが、己を卑下ひげするな」
「……事実なのに」

 ムスッと言い返してヒイラギを見上げれば、彼は冷たい目で私を見下ろした。

「それ以上言うと仕置きするぞ」

 今までヒイラギの言う仕置きを受けたことがない。けれど、今回の本気を感じさせる脅しに頬が引き攣り、反論できなくなった。
 黙ってしまうと、フンッと鼻を鳴らした彼は私の頭を前へ向かせて、髪型を直してくれる。
 甲斐甲斐かいがいしいけど、子供扱いはやめてほしい。

「それで、チハルを呼んだ理由は何だ」

 ヒイラギが促すと、ロランは微笑ましそうな表情を引き締めた。

「チハル君の経緯を知りたい。イリーナさんの言付けでは、君には秘密があり、その秘密のために擁護ようごしてほしいとしか聞いていない」

 余計なことを……と思うが、保険はあってくれると嬉しい。イリーナが頼るのだから、信頼はできるはずだ。

 そして私は、彼に自分の経緯を話した。そして、巫女としての能力も。
 ロランは難しい顔で真剣に聞いてくれて、話し終えると深く息を吐き出した。

「……イリーナさんが頼むだけある。確かにチハル君の能力は驚異的だ。それを隠すとなると相当な困難を伴うだろう。……なら僕は、全面的に君の秘密を守ろう」
「すみません。助かります」
「それと、敬語を使わなくていい。イリーナさんがそう許したし、僕より格上だからね」

 確かに、精霊治安協会の本部から出る前に、イリーナから申し出された。
 気後れするが、本人の意向にった方がいいはずなので、ぎこちなくも頷く。

 粗方の話が終わると、ライラが持ってきたカードをロランに渡し、彼が確認すると私に差し出した。どうやら私のMICのようだ。
 受け取ったMICの職業欄には『職業:冒険者[A]』と記載されていた。

「……Aランク?」

 意外過ぎて声に出してしまう。

 イグナチウスの言う通りに下積みをしてから一気に繰り上がるのだと思っていたのに。
 反則なのではないかと思ったが、ロランは柔らかな微笑で安心させる。

「君の実力を考えるとそうなる。君が下だと、組織的に大きな損失を被るんだ」
「それは言い過ぎだけど……でも、ありがとう」

 最初は侮られるけど、すぐに認めさせよう。そうすれば支障は少ないはず。
 今後が大変だけど、楽しみでもある。困難も人生のスパイスだ。

 家族と一緒なら乗り越えられる。心の中で、自信を持って言えた。



 こうして新しい生活の幕を開けた。