依頼、勧誘、そして決断



 雪解けの季節が過ぎて、春を迎えた。
 基本的に一月雷の週無曜日――つまり一月の八日目から学園が始まる。
 私は冒険者だし、学園に入っても面倒なことこの上ないから行く気にもならない。

 なんせ学園……学校は、前世で死ぬきっかけになった場所だから。

 トラウマほどではないが、僅かだけど恐怖心が根付いている。
 また迫害にって、心が折れないか。そうして家族を傷つけないか。
 だから学園に行きたくない。そう決めていたはずなのに……。



「こんにちは、チハルさん」

 冒険者に入って六回目の春。
 あと一ヶ月で十六歳をむかえる私は、冒険者のギルドマスター・ロランに呼び出された。

 ギルドマスター専用の執務室に入れば、精霊治安協会の長官・イリーナがいた。
 彼女が冒険者ギルドに足を運ぶときは、大抵が私への指名依頼だ。
 憎悪により堕天化した精霊の救済。主に上位精霊を任されている。
 普通は精霊治安協会に所属する退魔士が出向くのだが、彼らでは手に負えない精霊を、上位精霊と契約している私に頼ってくる。

 指名依頼として精霊達を救っていくうちに、イリーナは私を敬称で呼び始めた。
 妖精族ハイエルフである彼女にとって、精霊は信仰対象。
 いくら彼女が数百年も生きているにしても、私の功績は無視できないそうだ。

 とはいえ、彼女の指名依頼――正確には精霊治安協会の依頼を受けるときは素性を隠している。でないと私の秘密が露顕すバレる可能性が高くなるから。

「こんにちは。今回も指名依頼?」
「それもありますが、一番は別件です」

 含みのある言葉に首をかしげると、執務室の隣室からロランが出てきた。
 隣室は休憩室。給湯など設備が整っているらしく、紅茶を載せたトレイを持っている。
 毎回思うけど、ギルドマスター手ずから給仕されると他の冒険者から反感を買いそう……。

「チハル君、遠慮しないで座ってくれ」
「うん。ロランさん、紅茶ありがとう」

 座りながら配膳はいぜんするロランに礼を言うと、彼は微笑む。

「そういう律儀なところは、君の美点だ」

 なかなか人をめないロランが褒めた。他の冒険者が知ったらにらまれそうだ。

 ロランは、出会った当初から老いていない。
 実は、彼と契約している精霊との仲が原因。
 なんと、ロランは闇の最上位精霊と恋人……否、伴侶はんりょなのだ。

 人型の精霊に性別はない。けど、闇の最上位精霊――ライラはロランが好きになり、女性として存在を作り替えた。
 ロランも彼女にれ込んでいるからちぎりを交わし、半人半精霊となった。
 肉体と機能は人間そのものだけど、魔力は上位精霊と同じ。
 この世界では魔力の量で寿命が変わる。老化も、魔力の質で止まるらしい。
 実際、ロランは百年以上も生きている。二十代から老化が遅くなり、五十年も生きているうちにライラと結ばれて、そこからは変わらなくなったそうだ。

 精霊との異種恋愛で結ばれる事例は少なからずある。
 妖精族と竜族は冒涜ぼうとくだと批判ひはんするけど、ロランの事情を知る者達には受け入れられている。

 それが、とてもうらやましい。私もヒイラギと、そんな関係になりたいのだから。

「自分を卑下ひげしているところは短所だけど」

 紅茶を一口飲んだとき、イリーナの隣に座ったロランが言った。
 彼の発言に、イリーナがまなじりを下げた。

「まだ踏み出せてないのですね。はたから見れば両想いですのに」

 二人は、私がヒイラギに想いを寄せていると知っている。というか、気付かれた。
 いわく、私は判りやすいらしい。

 苦い思いが込み上げてくる。でも、二人の心配する気持ちは素直に嬉しい。少しお節介なところは、あまり好きになれないけれど。

「両想いって……それは言いすぎじゃない?」
「チハル君。君は男心を学ぶべきだ」
「ロランの言う通り。できることなら、生きる教科書を参考にしてくださいね」

 生きる教科書って……他人ってことだよね? 誰に教えてもらえと?

「私の周りにそんな人いないけれど……」

 軽く引きつって抗議すると、ピンッとイリーナが人差し指を立てる。

「そこで提案です。ラトレイアー精霊学園に編入して学んでください」
「……はい?」

 ラトレイアー精霊学園は、精霊師専門の学園。
 エフティヒア聖王国の中で精霊都市アマトリアに唯一設立された、独立的な小国家の基盤となった特殊な教育機関。この学園のおかげで中央集権を免除めんじょされているのもここだけの話。

 そんなところに、男心を学ぶためだけに編入しろと?

「言っておきますが、ちゃんとした依頼です。だいたい一年前から、精霊都市で堕天精霊の出現率が高くなっていることはご存知ぞんじですよね?」
「……確かに多くなったなぁと思っていたけど。まさか精霊学園で何かあったの?」

 嫌な予感から神妙しんみょうな顔でたずねねると、イリーナは難しい顔でうなずく。

「都市の中で堕天精霊の出現地点が最も多い場所が、ラトレイアー精霊学園なのです」

 ラトレイアー精霊学園は、その名の通り、一人前の精霊師となるよう切磋琢磨せっさたくまする養成所。
 世界的に最も注目を浴びる、精霊師を目指す者の楽園。
 早い話、人間界の中で最も精霊の密度が高い場所だ。
 そんなところで堕天精霊が多発しているとなると……。

「召喚された精霊が、人為的じんいてきに堕天化されている……?」

 最悪な憶測が脳裏によぎり、口走る。
 すると、イリーナが頷いた。

「私もその可能性を考えました。ですが物的証拠がありません。そこでチハルさんに潜入調査の協力をあおぎたいのです」

 潜入調査となると、冒険者の仕事を休業しないといけない。
 別にそれはいい。資金に関して不安はないから。

 現在の貯蓄預金は、総額で大金貨――日本円に換算すると一億円――を超える。
 討伐系の仕事と精霊治安協会の依頼を何度も引き受けていくうちに貯まったのだ。
 何十年も豪遊できる大金だけど、そんなに散在しないし、術符や護符、魔装具の一種である護身具などの売り上げもあり、どんどん増えていく。

 散財しようにも計画性がないと破綻はたんするし、何より欲しいものは自分の力で手に入れられるものばかり。使うとしても消耗品や必需品や食材など、生活に必要な物資を買うぐらいだ。
 どこかで使う目処めどをつけないといけないと思ったが、今回の依頼で注ぎ込めるかも。

「もちろん、学費はこちらで受け持ちます」
「……え? いや、別にそれくらいは自分で払うよ?」
「本業である冒険者を休業するのです。それに、これは言わば投資です」

 投資と聞いて、ある予感から目をみはる。
 転生してから察しが良くなったのはいいけど、あまり当たってほしくない。

「チハルさん。退魔士になりませんか?」

 予感的中。

 別に退魔士になることは嫌じゃない。できることなら入会した方がいいだろう。
 けど、それによって能力が知られ、利用されないか。それが一番の気掛りだ。
 眉を寄せて難しい顔をしてしまう私に、イリーナは続けた。

「貴女を知るごく一部の方々や、貴女に助けられた人々は、貴女の力になってくれます。人々に支持される方を害すると、支持者が暴動を起こしますから」
「そんな大袈裟おおげさな……」
「いいえ。実際に起きましたよ」
「……え?」

 え、いつ起きたの? 聞いたこと無い。

 初耳だと目を丸くする私に、イリーナは笑顔で教えてくれた。

「実はですね、チハルさんが王都まで護衛依頼を受けていた時に、貴女に探りを入れてきた有力者がいまして。こちらも探りを入れて黒幕を突き止めたところ、それを知った支持者――精霊都市に住むほとんどの方が、有力者が経営している店から離れていきました。強行に及んだときは、市民総出で暴動を起こしまして。それで精霊都市に居住を持つ有力者は、精霊都市にいられなくなりました」

 まさか、そんなことがあったなんて知らなかった。
 私がいない間に騒動が起きていたなんて想像できない。しかも、それが私のためだなんて。

 驚くと同時に、胸が熱くなる。
 ゆるみそうになる口を引き結んでうつむくと、イリーナとロランは微笑ましそうな視線を向けてきた。

「皆、チハルさんを大切にしているのです。精霊達を救ってくれた貴女が帰る場所を守りたいと」

 私はただ、堕天化した精霊が殺される悲劇を見たくなかった。自分のために、精霊を助けていたのだ。ただそれだけなのに、みんなが私の功績を認めている。そして、知らないところで支えてくれた。

 どうしよう、凄く嬉しい。こんな私を支持してくれるなんて、昔では考えられない。

「通例として正式に所属するには、ラトレイアー精霊学園を卒業しなければなりません。近年では優れた精霊と契約した方なら、学生だとしても、特例として出動要請を出すようになりました。そこでチハルさんの素性を明かそうと思っています。ですが、それは貴女が退魔士になると心から受け入れてくれた時にします」

 早くも計画していることを告げたイリーナに顔を向けて、真剣に話を聞く。

「それと、退魔士は副業としてでも構いません。実際に退魔士を副業とされる方が多いですから」

 副業として退魔士を営む人は見たことがある。
 正式に退魔士になったとしても副業扱いしてもいいのだと思うと気が楽だ。

「それまで普段通りに【巫女姫】として活動してください」

 ――巫女姫。それが私の通り名。

 匿名とくめいということで、衣装や変声機能付きの仮面で正体を隠さないといけない。
 そでにフリルをあしらった丈の短い巫女装束に、白いタイツ。上に桜の刺繍ししゅうほどこした純白のフード付き千早。髪型はヘアリングで後ろ髪のみを一纏め。顔には狐の面を装着。ちなみに狐面は、鼻から上のみのドミノマスク――アイマスク状の仮面――に似た形状。

 これはヒイラギとアズサが、あーだこーだ討論して決定した衣装だ。
 通り名の【巫女姫】も、二人がつけた。

 はっきり言って恥ずかしい。だって姫≠チて……ガラじゃない。変えられるのなら変えたい。
 でも、定着したものは仕方ないので受け入れることにした。
 そんな経緯から、精霊都市で謎の退魔士【巫女姫】を名乗っている。
 私が心を決めるまで【巫女姫】として活動できるのなら……。

「……分かった。退魔士については、みんなと考える。それで、今回の依頼の報酬は?」
「学費もありますから、小金貨三枚です」

【巫女姫】としての報酬は、基本的に大銀貨一枚――日本円で十万円――。救済対象が上位精霊の場合、報酬が加算される。最高位精霊の場合は小金貨以上。
 今回の報酬は、最上位精霊獣を相手にしたときと同じ金額。
 普通の潜入調査ではありえない金額で、察した。

「そこまで事態は深刻なのね」
「ええ。それで、受けていただけますか?」
「もちろん」

 堕天精霊。それは、凶暴化した妖怪――妖魔ようまと同じ。
 前世で救ってきた彼等と同じように、救えるものなら救いたい。
 たとえそれが自己満足だとしても。
 妖怪に利益を求めなかったのも、利己的な意志エゴイズムつらぬくため。
 それで榊奈桜前世の私は救われなかったけれど、この世界では違う。
 私の意志を受け入れてくれる人達がいて、彼等に支えられている。
 彼等の想いを知ったから、なおさら見捨てられない。見捨てられるはずがない。

「ラトレイアー精霊学園の潜入調査の依頼をうけたまわります」



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