押し殺した想い



「――そんな感じで、精霊学園に編入することになったの」

 人間界とも、精霊界とも違う、私の家=\―【幻想郷】。
 大自然に田畑や果樹園があり、一際高い山の斜面には千本の桜が密集している。その中に朱塗りの鳥居と石の階段が、その先に神社と日本屋敷を組み合わせた居住区がある。

 現世と異なり次元の狭間はざまに創造した、私の世界。

「チハル、大丈夫なのですか?」

 本殿の居間で食後のお茶をたしなみながら、ざっくりと依頼の内容を説明した。

 すると、アズサが心配そうな顔で尋ねる。
 きょとんとすると、彼女の隣にいるヒイラギが剣呑けんのんに眉をひそめていた。

「潜入調査は構わんが……場所は学び舎だ」

 ヒイラギの言葉で、二人の不安の原因が解った。

 私の前世の死因は、家庭内の虐待ぎゃくたいと、学校での迫害はくがい
 集団の圧力に耐え切れなくなったさかき奈桜なおは、学校で死んだ。
 投身自殺だった。

 思い出した途端に胸に鋭い痛みが走ったが、表情は苦笑いだ。

「ここは地球とは違うんだよ? 学園では精霊を連れても大丈夫なんだから」
「だが、精霊と契約できる数は、通常一体限りだ。俺達と契約していると知られた時点で何が起きるか……」
「そこは大丈夫。ちゃんと偽装するし、有事以外、巫女姫にならないんだし」

 安心させるように言うが、ヒイラギとアズサの顔はけわしいまま。

 私の死因は、二人の心に深い傷をつけた。
 前世は余裕よゆうが無かったし、異世界に転生するなんて思わなかったから、再会した二人の心情を考えてやれなかった。それが私の罪だ。

 罪悪感を覚えていると、六年前に新しく家族に加わったケイが不穏な空気を感じたようだ。

「ヒイラギ兄様とアズサ姉様は反対なんだ」
「ああ」

 即答で頷いたヒイラギに苦笑してしまう。
 彼の否定的な姿勢に、エンジュは察した。

「なるほど。学園が前世のチハルが死ぬきっかけになった場所か」

 エンジュの発言に、ケイは息を呑む。

「家庭内の虐待と、学校での虐めが原因だよ。迫害と言えばいいかな」
「迫害より陰惨いんさんでした。チハルのご両親の死後、引き取った母君の生家で酷い扱いを受けていました。その家の子供は、チハルを化け物と全校生徒に言い触らし、そこから九年間も不当な扱いを受けて……」

 ざっくりと話したけど、アズサが詳細まで語った。
 手を握り締め、潤んだ瞳を隠すよう目を伏せる。そんなアズサの姿に胸が苦しくなる。

 でも……。

「あの頃は仕方なかった。あの時代では、私は異物みたいなものだったから」

 ありのままの事実を受け止めないといけない。

「でも、今は違うでしょう? 前世より強くなったし、何より守ってくれる家族がいる」

 四人とも精霊だけど、私の家族なんだから。
 家族なら守り合うことができる。それを伝えたくて、笑顔を見せた。

「だから大丈夫。今度は死んだりしないよ」

 安心させたくて言えば、アズサは泣きそうな顔で微笑んだ。

「それで、一緒に来てくれる人だけど――」
「俺が行く」

 ここでヒイラギが名乗り出た。
 元より彼を指名しようと思っていたけど、注意事項を告げる。

「言っておくけど、上位精霊としての位階は帝位まで抑えないといけない。つまり、いつもの姿じゃなくて、獣の姿にならないといけないの。それでもいい?」
「構わん」

 ヒイラギの即答に驚いたが、前世を思い出すと当然かもしれない。

 また、私が学び舎という施設で迫害に遭わないか。
 また、心を擦り減らしてしまわないか。
 また、自ら死を選ばないか。

 ヒイラギとアズサにとって、それが何よりの恐怖だと理解している。
 だから私は、ヒイラギの決意を受け入れた。

「じゃあ、今後の予定や学園での私の立ち位置は、明日に決めよう。ということで、私からの報告はこれで終わり」

 明日からが少し不安だけど、ヒイラギがいるなら大丈夫。
 今はそう思うことができた。



 畳の香りが心地良い、自室・桜の間。
 一室につき、十二畳ほどの広さ。箪笥、クローゼット、化粧台といった調度品や、大きな本棚、低い長テーブルに一脚の座椅子が揃っている。押入れもあり、そこに寝具などを入れている。
 寝殿は平安の屋敷に似た造りだが、ちゃんと防音設備を整えた個室がいくつもあって、どことなく昭和時代と平成時代を匂わせる雰囲気が強い。
 そんな贅沢な一室で、肘掛け座椅子に正座して、学習帳の問題を解いていた。

 今日はもう就寝ということで、入浴して、布団も敷いて準備を済ませた。

「――勉強し直しているのか」

 入浴後だと一目で判る、京紫色の着流しを身に纏うヒイラギが部屋に入ってきた。
 学園に向けて集中していたし、一言もなかったから心臓が跳ねるほど驚いた。

「編入は来週の始業式から。前に一通り勉強したけど、追いつけなかったら大変だもの」

 平静を取り繕って答えるが、緊張から心臓が苦しくなる。

 今は寝巻用の、黒い布地に桜柄の浴衣姿。勉強中に体を冷やさないように、縹色はなだいろ単衣ひとえ羽織を羽織っている。
 浴衣といっても、お祭りに着る浴衣とは少し異なる。
 幅広の帯ではない、単衣につける帯と同じもの。例えるならバスローブの腰紐に近い。
 単衣も着込んで羽織も着ているけど、寝巻きなのだ。

 これがアズサとエンジュとケイなら気楽だった。
 けど、相手は想い人なのだ。変な意識をしてしまいそうになるから気まずい。

「それにしても、ちゃんと声をかけてよ。もう子供じゃないんだから」

 無遠慮に入ってきたヒイラギをジト目で見上げれば、ヒイラギは鼻を鳴らして笑う。

「中身は子供のままだろう。そういうことは色気を学んでから言え」

 胸に何かが突き刺さった。痛みと息苦しさを覚えて、悟った。

 やっぱりヒイラギは、私を女≠ニして見てくれないのか。
 でも、今の言葉はいただけない。
 私が色気を学んでいない? それをヒイラギが言う?

 ふつふつと怒りが込み上げて、衝動のまま立ち上がる。

「どうし――」

 ほおにかかる髪を後ろへ流して耳にかけつつ、ゆったりと振り向く。
 熱のこもった流し目で見遣ると、息を呑む音が聞こえた。
 静かな足取りで歩み寄れば、ヒイラギが後ろ足を引く。

 どうして逃げ腰になるのか解せない。別段、怖い顔でもないのに。

 間近まで迫った私は、ヒイラギの胸板に右手を添えて、しな垂れかかる。
 こうして見ると、ヒイラギの身長は高い。一六四センチの私より十七センチも高いのだから当然だけれど。

「ち、はる……?」

 じっと上目遣いで見据えると、ヒイラギの目元が赤くなった。
 私を呼ぶ声もぎこちなくて、動揺どうようしているのだと判る。
 彼の珍しい反応に、何故だか胸の奥が締め付けられて、自然と切なく目を細めた。

「私が……所構わず、みだりに色気を振りくと思う?」

 白い首筋が見えるよう首をかたむけると、右手からヒイラギの強い鼓動こどうを感じた。
 狐耳がせわしなく微動して、ふさふさの四尾が揺れ動く。

「それとも、そんな女になって欲しいの?」

 ヒイラギがそれを求めるなら、やぶさかではない。
 けど、ヒイラギ以外にそれを見せるのは恥ずかしいし、嫌だ。

「ねえ、ヒイラギ」

 右手を伸ばして、ヒイラギの頬を包み込むように触れる。

「そんなに私の色が見たいの?」

 こうして挑発するのもヒイラギだけでいい。
 解ってくれるとは思わないけど、これくらいの仕返しはしたい。

 頬に熱がこもったまま、熱くなってうるんだ瞳で見つめていると、ヒイラギは戦慄わななかせた口を引き結んだ。
 無言になった彼に溜飲りゅういんが下がり、右手を放す。

 その時だった。ヒイラギがその手を取って引き寄せたのは。
 小振りな割に豊満ほうまんに育った乳房ちぶさが潰れるほど、強く抱きしめられる。

「ヒイラギ? ――っ!?」

 突然すぎるそれに戸惑った次の瞬間、さらしていた首に生温かいものが這う。
 水音を含ませたザラザラしたそれは、ヒイラギの舌。

 ゾワッと背中が震えて、ヒュッと息を呑む。

「やっ、何し……んっ……!」

 舐められたところに軽い痛みが走る。
 すする音で鬱血うっけつあとをつけられたのだと気付き、カッと熱くなる。
 顔だけじゃなくて、体のしんまで。
 慌てて離れようと空いている手でヒイラギの腹部を押すが、びくともしない。

 意趣返いしゅがえしで挑発したのは間違いだった。こんなことになるなんて……!

「ひいらっぁっ……!」

 痕を作るほどではない、軽すぎる痛み。
 首筋に口付けを落とされ、甘噛みされて、背筋にしびれが走る。
 私の右手を掴むヒイラギの手と、彼の着流しを握ってしまう。

 反射的とはいえ、すがりついてしまった自分の手がうらめしい。
 一度だけではなく何度も繰り返されて、心臓が痛いほど高鳴って、呼吸が乱れてきた。

「ひっ、ぁっ……だめ……だめっ、ヒイラギ……っ!」

 私の右手を放したヒイラギの手が、着物の上から体の輪郭りんかくに沿って這い上がる。
 頭の奥が沸騰ふっとうしそうな感覚に怖くなって、涙があふれる。

「ゃっ……いやぁっ……!」

 泣きたい気持ちから湿っぽい声が出た。
 拒絶を含んだ声色に、体をまさぐるヒイラギの手が止まる。

 くらくらする頭も、ふらふらする足も限界で、畳に座り込んだ。
 激しく脈打つ心臓が痛くて、着物の合わせ目を掴んで押さえる。

「……チハル」

 つやめいたヒイラギの声が近くで聞こえて肩が跳ねる。
 一滴ひとしずくの涙が頬に流れるまま、目線を合わせたヒイラギを見上げる。

「しんぞ……いたい……」

 何か言わないと。そう思って口を衝いて出た言葉に、ヒイラギが眉間にしわを寄せた。

「これにりたら、二度と挑発するな。俺だから良かったものを……」

 心がきしんだ。
 こんなことを仕出かしたのに、ヒイラギは私への態度を変えない。

 どうすれば彼は、私に振り向いてくれる?
 どうすれば彼は、私の想いに気付いてくれる?

 悲しみから苦しさが胸の奥を支配する。
 それと同じくらい、悔しさが込み上げた。

「……馬鹿じゃないの」

 ヒイラギだけじゃない。踏み出せない私に対しても、そう言えた。

「は?」

 掠れた声で吐き出すようにこぼした言葉。
 怪訝けげんな顔をするヒイラギの胸倉を衝動的に掴み、胸板に向かって頭突きした。
「ぐっ」とヒイラギのうめき声が聞こえたけど、構うもんか。

「私は……っ、誰彼構わず挑発なんてしない!」

 ヒイラギ以外に挑発なんてしたくない。
 ヒイラギだから……好きな人だからできる。
 解ってくれなくてもいいって思っていたのに、どうしてそれ以上を求めてしまうのか。

「ヒイラギじゃないと……やだ……!」

 湿っぽい、掠れた声。
 泣きたい思いが溢れてくる。
 それでも、ぐっと感情を抑え込んで、ヒイラギの服を手放した。

「……ごめん。今日はもう休みたい。用事なら明日聞くから」
「チハル」

 困惑から呼びかけるヒイラギの声が胸に痛い。

「本当にごめん。……今は、一人にさせて」

 明日、元通りの関係に戻るために。
 いつものように「おはよう」を言い合えるように。
 今は、頭を冷やしたい。

 沈黙したヒイラギは何も言うことなく部屋から出て行く。
 安心したけど、胸が締め付けられるほど苦しくて。
 はらはらと落ちた涙が畳を濡らす。それを見て、私は乱暴に涙をぬぐった。



◇  ◆  ◇  ◆