下準備



「――という感じで、相談した結果がこれ」

 イリーナとの打ち合わせで、ノートの見開きに書き込んだ設定を見せる。
 一応見やすいように清書したから問題なく解るはず。

「……よく手の込んだ設定ですね。確かにこれなら……」

 ぶつぶつと呟いて設定を見詰めるイリーナ。

 見終わるまで、彼女の秘書を務める男性・ゼクスが出してくれた紅茶を嗜む。
 香りがいつもと違って驚き、一口飲むと柑橘系の香りが、ふわりと鼻腔びこうに広がる。

「……あ、美味しい」
「レディテーシスです。通常の紅茶に、ベルガモット、薫り高い柑橘類、レモンの果皮、コーンフラワーを加えたものです。私はこれらにラベンダーも加えております」

 アールグレイに柑橘系の果皮と矢車菊を加えた紅茶・レディグレイと同じだった。
 この世界ではタカマ東和国が発祥の紅茶で、アールグレイではなく『テーシス茶』と呼ばれている。そこが地球と異世界の面白い違い。

「これ、どこで売っているの?」
「わたくしめが独自で作りました。『紅茶職人の名人』の号と資格を取得しております」
「へえ、すごーい。これ、絶対売れる。特に女性に好まれると思う」

 前世でもレディグレイという茶葉が売られていたから分かる。これは商品になる。
 私が断言すると、異世界の『紅茶マイスター』ことゼクスは照れ臭そうにはにかんだ。

「チハルさん。もう少しスキルを隠しましょう。普通の人はこんなに戦闘スキルを持ち得ません」

 和やかな話に区切りがついた時、イリーナが顔を上げた。

「……じゃあ、身体強化、格闘術、剣術、棒術、投擲とうてきぐらいに抑える」
「技術も感知・探知・遮断しゃだん・解析は確実に隠した方がいいでしょう」
「ああ……確かに敵に知られると警戒対象になるか。了解」

 紅茶を一口飲んで、権能【神隠れ】で二つ目の偽装用ステータスを作成する。

 これまで一つだけで充分だった。けれど、これからは二重生活――否、三重生活になるのだ。即時に切り替えられないと大変だ。
 ある程度のアドバイスも貰って二つ目の偽装ステータスが作成完了すると、イリーナは重要な話を切り出す。

「チハルさん、勉学の方は大丈夫ですか?」
「一応勉強し直しているけど、大丈夫だと思う」

 ラトレイアー精霊学園のカリキュラムは、初等部・中等部・高等部の三段階に亘る。

 初等部は、基礎知識と並行して一般的な授業も受ける。

 中等部は、精霊の生態知識や基本的な授業以外に、魔法や武術も磨かれる。それは精霊の召喚に失敗しても希望のある将来を潰さないための措置。

 高等部は、いよいよ精霊を召喚する資格を得られて、精霊の専門知識を学ぶ。そして契約または仮契約を結んだ精霊と連携を取る戦闘訓練も実習される。

 各三年で習得できるカリキュラムで、一般の学園と同じく九歳から入学し、十七歳で卒業。
 飛び級制度もあり、優秀なら七歳で入学、十歳で卒業した人もいるらしい。

「チハルさんの実力と学力を玩味がんみしますと、高等部一年生から始めることになりますが、よろしいですか?」
「問題無い」

 普通の人なら一歳差だけでも抵抗感が生じるけど、私は転生者。すでに年齢的な不満は持ち合わせていない。
 それに、私以外にも年上や年下がいるだろうから気苦労しないはずだと予想している。

「では、MICを作りましょう」

【神隠れ】で情報を書き換え終わる頃、イリーナの合図で偽装MICを発行した。


名前:チハル・サカキ
年齢:15
性別:女
種族:人族
国籍:エレフセリア聖王国[精霊都市アマトリア]
職業:冒険者[Cランク]
属性:無[空・念・霊]
魔力:B/63000
神力:B/49400
恩恵:創造神の祝福
祝福:言語理解
才能:創造傑作クリエーション
技能:戦闘[身体強化・格闘術・剣術・棒術・投擲]
   魔法[呪文破棄・念能・霊能・結界・付与]
   生活[料理・裁縫・掃除・暗記・計算・暗算・話術・交渉術]
   技術[解体・暗視・魔力操作〈放出・圧縮・遠隔〉・魔力変換〈体力・回復・治癒力〉・作成〈護符・術符・魔法陣〉]
   耐性[火傷・氷結・毒・麻痺・石化・混乱・恐怖・呪い・魔障ましょう
契約:白狐[上位精霊:栄位]


 偽装しなかったら【式神契約】の影響で数値化不能になってしまうから大幅に下げた。神力も多少計算して減らしてある。
 六年間で、家族全員が最上位の称号である神位に至るほど成長を遂げたのが原因だ。
 ケイも『猫仙人』から『猫神』に進化した。不思議なことにアズサは『鵺』のままだけど。

「あっ……ごめんなさい。言い忘れていたことがあります」

 とどこおりなく終わったところで、イリーナが言った。

「実はあと二人、調査に加わることになりました」
「……え? 二人も?」

 まさか私以外にも潜入調査に加わるなんて……ん? いや、ちょっと待って。

「潜入……じゃ、ない?」

 イリーナは「調査」と言った。潜入≠ナはない。
 違和感を覚えた私の言葉に、イリーナは「鋭いですね」と微笑む。

「その二人は精霊治安協会に所属していますが、今は精霊学園に通う学生の身です。上位精霊と契約している上に人格も申し分ないことから、調査の協力を仰ぎました」

 面倒なことになってきたかもしれない。調査は一人で、気楽でいいなぁと思っていたのに。
 効率を考えると複数人の方が警備も行き届くのは理解できる。けれど対人関係で問題が起きないか心配だ。私って基本的に単独で活動しているし、協調できるだろうか。

 そんな不安が表情に出ていたのか、イリーナは苦笑する。

「チハルさんの負担を軽くするつもりでしたが、余計でしたか」
「……確かに対人関係で不安要素が多分にある。けど、効率的に活動するには協力は必要ね」

 ある程度は割り切れるけど、やっぱり不安。
 それでもまずは調査員の情報を得ないと始まらない。

「協力者の年齢と性別と学年、精霊の位階と性格は?」
「一人は十六歳の男の子、高等部二年生、人型で光をつかさどる神位の上位精霊と契約しています。光の最上位精霊は、温和で分けへだてなく優しく、思慮深い性格です」

 人型で光の最上位精霊とは稀有けうだ。
 ロランと契約している闇の最上位精霊の対をなす精霊だから、かなり驚いてしまう。

「一人は十五歳の女の子、高等部一年生、王位をかんする白頭鷲の上位精霊と契約しています。白頭鷲の上位精霊は水属性と風属性を持ちます。性格は典型的てんけいてきな階級主義です」

 一番嫌な、そして残念な性格だった。
 げんなりと渋面を作った私に、イリーナは苦笑した。

「能力に問題ありませんよ」
「それ以前に性格を視野に置いて。ヒイラギを栄位に下げないといけないのに、階級主義だと見下されるし、協調しにくい。正体をバラして周囲に違和感を与えると潜入調査にならない」

 欠点をげればイリーナは目を丸くする。
 考えていなかった、という反応に思わず溜息を吐いてしまう。

「それは……盲点もうてんでした。申し訳ありません」
「……もう、仕方ない。何とかする」

 不穏な予感をひしひしと感じるけど、これまで通り自由に活動しましょう。
 そう決めて、編入までの下準備を整えた。


 そして、いよいよ潜入調査依頼の当日を迎えた。