潜入開始



 エフティヒア聖王国の中で最も有名な都市――精霊都市アマトリア。

 地球とは異なる『剣と魔法のファンタジー』な世界エレフセリアに転生した私は、十歳で冒険者となり、三年間でSランク冒険者となって、そこから更に三年が過ぎようとしていた。

 順風満帆じゅんぷうまんぱんな人生を楽しんでいる頃、精霊が憎悪に染まりちた存在――堕天精霊の出現率が例年より高くなった。
 しかも出現地は、世界で唯一と言っても過言ではない場所。

 ラトレイアー精霊学園。精霊と契約して使役する者・精霊師のための専門学園。
 世界中に点在する精霊治安協会の中でも、原点となる精霊都市の本部に所属するには、この学園を卒業しなければならない。

 私は冒険者だが、精霊と契約している。ただし精霊師ではないので在学してない。
 だからこそ精霊治安協会の長官・イリーナを経由に、精霊学園から潜入調査を依頼された。
 私が副業でも精霊治安協会に所属するための投資として、学費はイリーナが受け持ち。
 おかげで加入以外の道が無くなったが、裏の顔で精霊治安協会の依頼を受けるのも限界があるから、これが潮時しおどきなのだろう。

 まぁ、それはいいとして。

「はぁ〜……憂鬱ゆううつ

 深い溜息ためいきいて、ラトレイアー精霊学園の敷地をまたぐ。

 精霊学園の女子制服は、黒い縁取りを施した白基調のブレザー、黒いブラウス、膝丈――折って短くする人が大半らしい――の白いスカート、黒いタイツ、赤いリボン。ちなみに男子制服は、女子制服の真逆のデザインとなっている。
 私はスカートを規定通りの長さで着用し、腰下まで真っ直ぐ伸びた漆黒の髪はかんざしでお団子ハーフアップに整えている。

 花籠はなかご飾りをつけた簪は、前世の両親からの贈り物。素材は榊だが、飾りに合わせて銀メッキが施されている。籠の中には小さな鈴がついて、チリチリと澄んだ音が鳴る。

 行き交う学生もアクセサリーをつけているけれど、何故だか私に視線を向けてくる。
 こうなるなら簪じゃなくて、バレッタをあつらえたら良かった。

「嫌なら断れば良かっただろう」
「そういうわけにもいかないから……って、視線の原因はヒイラギかも」
「責任転嫁てんかはなはだしいぞ」

 遠慮なく突っ込んだ、私の右肩に乗っている純白の狐。
 紫紺の瞳でじろりと睨んでくる彼は、前世からの家族であるヒイラギ。
 地球では妖怪≠セったが、エレフセリアに移り住んで精霊となった。
 今は縁起の良い白狐の姿だが、本性は『天狐てんこ』と呼ばれる神格を得た妖狐。
 エレフセリアでは最上位である神位をかんする精霊だ。

 尻尾は四本で、全長二メートルを超える巨大な狐。普段は耳と尻尾を残した人間の形状をとっているが、潜入調査のこともあり尻尾は一本で、大きさは小型犬。
 栄位えいい――上位精霊の中で一番下――まで位階を落とさないといけない縛りもあるし、学園内で行動するならこれくらいの大きさがちょうどいいらしい。

 だからといって私の肩を定位置にしなくても……。

「普通は契約者の中にいるんだよ、契約精霊は。外に出しっぱなしだと契約者の魔力がゴリゴリ減って、魔力が供給されなくなるの。精霊界より魔力因子が薄い人間界に留まり続けられないのと一緒。だから契約者の中から有事以外は極力出てこないものなのよ」
不憫ふびんな。せっかく人間と契約しているというのに存分ぞんぶんと楽しめんとは」

 それを人が多くいるところで言わないでほしいな。

 深い溜息を吐き、校舎へ入る。ちなみに地球の日本国と違って土足だ。

「えーっと、校長室は……っと」

 スクールバッグの中から校内見取り図を取り出して確認する。
 精霊学園は七階建て。どうやら最上階である七階に校長室があるようだ。面倒だけど地道に行くしかないか。

「チハル・サカキさん」

 不意にフルネームで呼ばれて顔を上げると、階段側に男子生徒がいた。
 真っ直ぐな銀灰色の髪に金色の瞳が特徴的な、優しそうな秀麗な美貌。中肉中背で、身長は一八〇センチ以下だと思う。

 彼は銀縁の眼鏡のブリッジを指先で押し上げて、ニコリと微笑む。
 周囲にいる女子生徒が色めく声で囁く中、私は普通にたずねる。

「もしかして、校長からの案内人?」
「……事前に聞いていましたか」
「いえ、何となく」

 バッサリ否定すると男子生徒は軽く目を見張り、微かに苦笑。

「校長室へ案内します」

 小さくうなずき、私は男子生徒の後を追った。
 彼は階段ではなく、奥にある昇降機に近づくとボタンを押す。

「これは職員用の昇降機ですが、校長や教職員の許可を貰えば利用できます。特に校長の呼び出しにはすぐに対応しないといけませんので、その際は構わず使ってください」
「へえ、了解」

 チン、と音とともに扉が両脇に消えるように開き、昇降機に乗り込むと七階のボタンを押して上昇する。精霊治安協会のように外の風景は見えない、ごく普通の昇降機だ。

「チハルさんは冒険者をしていらっしゃるんですよね」
「……え?」

 男子生徒の質問に目を丸くする。
 何故なぜ、彼は知っているのだろうか。今日が初対面で、イリーナから情報を与えられていないはずなのに。
 私の驚き顔に、彼は小さく笑う。

「僕はルーカス。オスカー・グレイの弟です」

 オスカー・グレイ。その名前は、精霊治安協会に所属する青年の名前だ。
 彼とは十歳の時、それも精霊都市アマトリアに訪れた初日に出会った。
 あの時は堕天化した猫仙人に圧倒され、私が割り込まなければ契約している精霊が危なかった。ちなみにくだんの猫仙人は現在、猫神となったケイだ。

 というか……あの子、どこまで話したのかしら。

「どこまで聞いたの」

 わずかに目を据わらせて、警戒を滲ませて問う。
 ルーカスと名乗った男子生徒は息を詰め、慎重しんちょうに口を開いた。

「六年前、貴女に助けられたこと。Sランク冒険者でありながら、巫女姫≠ニして精霊治安協会に協力していること。それぐらいです」

 オスカー、口が軽かったのね……。

 ――巫女姫。それが精霊治安協会の依頼を受ける、私のもう一つの顔。
 丈の短い巫女装束、白いタイツ、フード付き千早ちはや、更にアイマスク状の狐面といった奇妙な出で立ち。巫女装束の袖には上品なフリル、千早に桜の刺繍ししゅうが施されていて、奇妙ながら神秘性を感じさせる。
 私の素性を知られないために巫女姫の仮面を被って活動していた。私からも、イリーナからも注意していることなのに。

 思わず顔に手を当てて溜息を吐いてしまうけど……うん、私は悪くない。

「イリーナさんにどう報告しよう……」
「それはやめてください。僕が我儘わがままを言って聞き出したんです」

 慌てて言ったルーカスの言葉に、少し引っかかる。

「我儘を言うほど聞きたいことだったの?」

 眉を寄せてルーカスを見れば、彼はほおを淡く染めて苦笑い。

「実は五年前、堕天精霊に襲われたことがありまして。貴女に助けられました」

 五年前と言ったら巫女姫としての活動に慣れた頃だ。
 確かオスカーと出陣して、巻き込まれた住民を助けながら堕天精霊を元に戻した。
 あの時、オスカーが頭を下げて「弟を助けてくれてありがとう」と言った。

 思い出して、あ、と呟く。そんな私に、ルーカスは嬉しそうにはにかむ。

「あの日からチハルさんにあこがれて、精霊治安協会を目指しているんです」
「憧れって……。そもそも私は精霊治安協会に所属してないよ?」
「それでも精霊を救ってきました。僕も貴女のように精霊を救いたい。だから僕は、チハルさんを目標としています」

 まさか【巫女姫】が助けた子が、そんなことを思って将来を決めていたなんて、思いもよらない現実に驚いた。
 同時に嬉しかった。助けた子が【巫女姫】を目標として真っ直ぐなこころざしいだいてくれて。
 身の引き締まる思いを感じて、私は穏やかに笑った。

「そう。なら、私は貴方を応援する。ルーカスが活躍する日を楽しみにしているね」
「……はい」

 ルーカスは口を引き結び、手を当ててくぐもった声で頷いた。

 耳元でヒイラギが溜息を吐く気配を感じたが、不思議がる前に昇降機の扉が開く。
 ルーカスのおかげで緊張が和らいだけど、また張り詰めた感覚を覚える。それでもルーカスの案内で、廊下の突き当たりにある扉の前に到着する。