合縁と再縁



 コンコン、ルーカスが扉をノックした。

「高等部二年生一組、ルーカス・グレイです。編入生をお連れしました」
「入ってくれ」

 扉の向こうから男性の声が聞こえた。
 失礼します、と一言告げて入る。

 校長室はとても広かった。壁一面の本棚に、応接用の長椅子や長テーブルが配置されいる。
 奥にある重厚な机に向かっている一人の男は、万年筆を置くと立ち上がった。

 売れた林檎のように真っ赤な髪に、鋭い雰囲気を作り上げる黄金色の瞳。
 男らしい精悍せいかんな美貌から、万人を魅了する色っぽさを感じる。
 体型は、見た感じではスリムのようでいてガッシリしている。
 人族かと思われるが、体外に滲み出る魔力を肌で感じる限り、彼は人族ではない。

「竜族……?」

 膨大な魔力と質はイリーナ以上。見た目は人族だけど、人族とは比べ物にならない別格の存在だと感じる。この六年間で竜族とも会ったことがあるから、浮かんだ種族名が口をついて出た。
 驚く私に、男は目を見開く。

「ほう、初見で見抜くか。さすがイリーナが見込んだだけある」
「あの……失礼だと思いますが、角が見当たらないのですが」

 竜族は必ず枝分かれした角を持つ。色は保有する属性によって異なる。
 男には、それがない。
 無遠慮だと思いながら疑問を投げかけると、男は不敵に笑う。

「五百年以上も生きていれば、完全な人族の姿形をかたどれるようになる。とはいえ我輩わがはいは二百年で人化の術を極めたがな」

 人化の術とは、竜族固有の特殊能力。本性の多くは飛竜の姿だが、人族のような社会に加わるには、そのままの姿では町が壊れてしまう。だから人族に近い姿に変身する。

 竜族は、竜族ならではの特徴である角を大切にする。誇りと言ってもいい。だから隠すようなことをしないと、精霊治安協会に所属する竜族から聞いた。
 彼は完全に人族の姿形に変身しているから、他の竜族と毛色が違うのだろう。

「それより自己紹介を始めよう」
「はい、失礼しました」

 初対面で脱線しすぎるのは良くないので、マニュアル通りに依頼者から自己紹介。

「我輩はエルメンリッヒ。ラトレイアー精霊学園の創立者であり、校長を務める」
「精霊都市アマトリアの冒険者ギルド所属のSランク冒険者、チハル・サカキです」

 初代校長ということに内心で驚きながらも、互いに名乗り合う。

「此度の調査の依頼、よろしく頼む。ああそれと、エルメンと呼べ」
「よろしいのですか?」
「我輩以上の力を持つのだ。竜族は歳ではなく、力を持つ者に敬意を払う」

 気安いと思ったが、まさか学園の権力者に敬意を持たれるなんて予想外。
 けれど思えば、これまで出会った竜族に「さん・殿」という敬称をつけられていた。
 私の魔力は竜族より上だと知っているが、私の認識以上に凄いことなのだと改めて実感した。

「では、エルメンさんと呼ばせてもらいます」
「それでいい。まずは座ってくれ」

 エルメンリッヒの指示にしたがい、横長のソファーに座る。
 ヒイラギが私の隣に降りると普段の人型の姿に戻り、腕を組む。それを見たエルメンリッヒが感嘆の吐息を漏らした。

「それが本来の姿か」
「ヒイラギと言う。これは普段の姿だが、本来の姿とは異なる」
是非ぜひとも拝見はいけんしたいが……次は我輩の番だな。出てくれ、レンキ」

 ……ん? レンキ?
 日本名と同じ響きの名前。しかも、懐かしい感じがする。

 不思議な感覚の正体が、すぐに明らかになった。
 エルメンリッヒの胸部から赤い光が出たと思えば、男の姿に変わった。

 柔らかなくせのある燃えるような赤い髪に、色香を感じさせる切れ長な灼眼しゃくがん。ヒイラギと同じくらい妖艶な美貌。
 ガッシリとした男らしい体格で、エルメンリッヒとほぼ同じ長身。まとう衣服は、赤色と黄色を組み合わせた、日本神話に出てくるような意匠。

 彼を見た私は、思わず口をぽかんと開けて硬直。ヒイラギも目を丸くして唖然。

「ふはっ、なんて間抜けな顔をしている。久方ぶりだというのに、その顔は頂けないな」

 気さくな口調で話しかける彼に、詰まっていた言葉が頓狂とんきょうな声音で出てきた。

「れっ……煉燬れんき!? 何で貴方までここ≠ノ!?」
「知らん、と言いたいところだが……こちらの神いわく、貴様とのえにしが引き寄せたのだと」
「縁……って、もしかして昔≠フ?」

 私の言葉に、鷹揚おうように頷く煉燬。
 まさか前世で関わったことがある子が、異世界にいるなんて思うわけないでしょう。

 不意に、あるものを思い出す。
 それは、異界の神――稲荷神いなりがみ眷属けんぞくの長であり、私の父親だった稲荷狐・ミケツカミから貰った祝福【縁の絆】。

 この祝福は、過去に関わった者との絆を手繰り寄せる。
 今まで地球の神々の力を借りられるぐらいしか分からなかったけれど、この祝福が原因なのか、前世で出会った人ならざる者が異世界に転移していたようだ。

 とんでもない現実に驚愕したが、同時にお父さんの祝福の効果を理解した。

「話がさっぱり読めんが……知り合いなのか?」
「この娘は、かつての我の恩人だ」

 エルメンリッヒの問いかけに答える煉燬は、柔らかな表情で私を見つめる。

「生みの親に殺められ、封印され、堕ちてしまった我を救ってくれた」
「まさか迦具土神かぐつちのかみとは知らず名前をつけちゃったけど……」
「構わん。我はこの名を気に入っている」

 苦笑する私にそう言ってくれた。心からの言葉だと分かって、私も穏やかに微笑む。

 何を隠そう、彼は地球の神様である。
 火之迦具土神は誕生の際に、母・伊弉冉イザナミを自身の火によって殺めてしまい、父・伊弉諾イザナギ十束剣とつかのつるぎ天之尾羽張あめのおはばり」で殺された。十束剣からしたたった血と、切り刻まれた八つの死体から、数々の神々が誕生して、人々にまつられた。

 これが語り継がれている神話だが、実は殺されたあとに残った心臓は封印された。
 時を重ねるにつれ、迦具土神は憎悪をたくわえて、心臓を核に現代に復活した。

 榊奈桜前世の私は邪神に堕ちかけた彼を打ち負かし、彼をさとして、新たな名前を与えた。

 名は体を表す。名前は一番身近なしゅであり願掛け。
『煉』には「金属を火で熔かして精錬する」以外にも「心を鍛える」という意味をあわせ持つ。
『燬』には「激しい火」や「焼き尽くす」、「壊す」という意味がある。
 強い心を育むための『煉』に、彼の在り方を表す『燬』。
 要約すると「強い心を育むために、過去の自分を壊してほしい」――そんな願いを込めた。

 あの時は友達のような間柄であった神様から詳細を告げられず頼まれていたから、彼が火を司る神様だなんて知らなかった。
 危うく死にかけたけど、彼――煉燬を救うことができた。
 今となってはいい思い出だが……。

「殺気をしまえ、ヒイラギ」

 ヒイラギが立ち上がり、私の頭をでようとした煉燬の手首を掴んで殺気立つ。

「気安く名を呼ぶな。そしてチハルに触れるな」

 はっきり言って、ヒイラギは煉燬を嫌っている。私が死にかけたのも原因の一つだが、それ以上に煉燬がからかってくるのが悪い。

「何年ぶりの逢瀬おうせだと思っている。一六〇〇年だぞ。我が伴侶はんりょに触れるなと?」
「誰が伴侶だ、色惚いろぼけが。寝言は寝て言え」
「狐の丸焼きにして喰ってやろうか」
「その前に貴様の息の根を止めてやる」

 私は二人の恐ろしい嫌味の押収おうしゅうに頭痛がして、右手で顔の半分をおおう。
 エルメンリッヒは唖然とし、ルーカスはおびえてしまっている。

 これは……私が止めないといけないのか。

「いい加減にして。話が始まらない以前に物騒だから。それと煉燬。ヒイラギをからかうのはやめて」

 じろりと煉燬を見上げれば、彼は肩をすくめてみせた。

「我が伴侶に言われては仕方あるまい」
「いや、伴侶じゃないから。私にそんな気はないの知っているくせに」

 呆れから言い返せば、煉燬は大仰おおぎょうに溜息を吐いた。

「奈桜……いや、今はチハルか。相も変わらずうといな。もう少し男心を学べ」

 ……それ、イリーナとロランにも言われたんだけど。
 同じ言葉に思わず渋面を作ってしまうのは仕方ない。

「これから学ぶよ。今まで生きてる教科書がいなかったからね」

 今度はヒイラギが嘆息した。

 え、何で?

「……ヒイラギ」
みなまで言うな」

 煉燬のあわれみを込めた視線に、不機嫌な顔で返すヒイラギ。

 これは……ちゃんと男心を学ばないといけないのか。

 何だかたまれなくなったが、柏手かしわでを打って強制的に空気を変える。

「はい、この話は終わり! 顔見世も終わったことだし、仕事の話に入りましょう」

 さっき煉燬が言った「一六〇〇年ぶりの再会」発言は気になるけど、今はビジネスだ。