03-04




 宿から出て、建物の陰に座り込む。
 人気の少ない所があって良かった。そう思っていると、感じ慣れた精霊の気配を感知した。

『シーナ』

 のろのろと頭を上げると、私の目の前で片膝をついて目線を合わせている青年がいた。
 私と契約している精霊王、コスモだ。

 吐き気ばかりで声を出せない私に、くっ、とコスモは眉を寄せて私の喉に触れる。

『深呼吸して。ちゃんと息しないと駄目だ』

 コスモに言われて、私はちゃんと息をしていないことに気付く。
 浅い呼吸じゃなくて、深呼吸を繰り返す。慌てると頭が痛くなるから、ゆっくりと。

 ようやく吐き気が治まって、息を深く吐き出す。

「……ごめんね」
『いや、謝るのは僕の方だ。あの人間が花嫁候補になったことを言わなかった』
「いいよ。こうなるなんて、誰も予測できないから」

 本心からの言葉を言うけれど、コスモは沈んだ表情で視線を下げた。
 まるで捨てられた子犬みたいな姿だ。
 思わず苦笑してしまい、コスモの頭を撫でる。

『わっ!?』
「くよくよしない。私は大丈夫だから」

 私は大丈夫。いつものおまじないを心の中で繰り返す。
 でも――

『嘘だ』

 コスモは眉を吊り上げた。

『大丈夫じゃない。娼婦とか、薄汚れた魔女とか、あんな暴言を言われて平気なわけがない』

 ……聞いていたんだ。いつからこっちに来ていたのだろう。
 いつもならすぐに気付いているはずなのに気付けなかったなんて、今日の私は駄目だなぁ。

 そんな風に違うことを思うけど、コスモは苦しげに顔をゆがめた。

『君はいつも我慢ばかりだ。お願いだから頼ってよ』

 コスモが泣きそうな顔で私の頬に触れる。
 微かに感じた温もりで、張り詰めていたものが途切れた。
 目の奥が痛いほど熱くなって、ぼやけて、涙のせいで目の前がにじむ。
 大粒の涙が、買ったばかりの服の袖とズボンの膝頭を濡らす。

「……苦しいよ」
『……うん』
「こんな感情、持ちたくないのに……! どうして……!」

 本能的な自己防衛反応で、頭を抱えてしまう。

「こんな私……いっ、嫌だ……! 気持ち悪いよ……!」

 持ちたくないはずの黒い感情が胸の奥に広がる。
 普段なら感じないはずの負の感情が溢れ出して止まらない。

「憎しみなんて、持ちたくないのに……!!」

 胸の奥に溜まった想いを吐き出す。
 こんな情けない姿は誰にも見せたくないのに、コスモの存在に救われている。

 まだ、思い止まれる。

「怖いよ……! 私が……私じゃなくなりそうで……! こんな私、もうっ……!」
『シーナ……!』

 コスモの声で、吐き出したい想いを声に出す手前で止める。

 危なかった。私……『消えたい』って……『死にたい』って、言いかけた。
 この言葉はコスモを傷つけてしまうから極力言わないようにしている。だけど、どうしても出そうになる。

 一度だけ、コスモの前で言ったことがある。あの時のコスモはとても傷ついた顔になって、私も罪悪感から泣いた。
 二度とあんなコスモを見たくない。私のせいで苦しませたくない。

 だから――

「コスモ。私が憎しみで人を傷つけそうになったら、私を止めて」

 枷役かせやくを頼もう。
 私が憎しみで誰かを傷つける前に止めてほしい。私も憎しみで、誰かを傷つけるなんてしたくないから。

「もし止まらなかったら、その時は――」


 ――私をコワシテ。


 小さな声で言うと、コスモは瞠目どうもくした。

 殺すのではない。コワスのだ。
 心を、魂を、存在を――私の全てを。
『私』という存在を根本から滅ぼしてほしい。

 死より残酷な願いだと解っている。だけど、これじゃないと止まらないかもしれない。
 でも、そこまで思い詰めてすぐ思い止まる。

 契約精霊は契約者を害することはできない。精霊の界隈かいわいでは醜聞しゅうぶんに繋がるのに、どんな理由であれ殺害してしまうと精霊の魂がけがれてしまう。

 コスモに罪を負わせたくない。だからあの時=Aコスモの暴走を止めた。
 それなのに、こんなお願いしかできないなんて……最低すぎる。

「……ごめん。今の、忘れていいから……」

 建物の壁に手をついて、ゆっくり立ち上がって、手の甲で涙を拭う。
 すると、コスモにその手を掴まれた。
 驚いてコスモを見ると、彼は私の手の甲に口付けを落としていた。

「コスモ?」
『――我が名の下に、我は誓おう』

 コスモが告げた途端、ドクンと空気が震える。
 まさか……

『我、精霊王コスモは、契約者シーナの願いを尊重し、暴走を止めよう。そして止まらなければ――破壊する。我が名にけて、契約者シーナの心を救うと、ここに誓う』

 一度だけ聞いたことがある。精霊王自身の誓いは、どの精霊の誓いよりも頑強がんきょうで、どの精霊の誓いよりも厳しい、一種のいましめであると。
 本当にしてしまったのだと理解して瞠目する。
 罪悪感に打ちひしがれる私に、コスモは泣きそうな顔で笑った。

『君の初めての願いは必ず守る。約束する』
「……ありがとう」

ごめんなさい≠ニ言いたいけれど、それはきっと望まないだろう。
 だから私は、不器用な微笑みで礼を言った。




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Aletheia