これは一体、どういうことだ。
この目で見た光景が信じられないなんて、俺はどうかしている。
事の始まりは三日前。
数年に一度の花嫁候補を選出することになったので、地方の視察と称して花嫁候補を帝都まで護衛するために、
辺境にあるデオマイ村に
赴いた。
デオマイ村の領主からも、デオマイ村への道中を共にする地元の騎士からも、今回の花嫁候補に自信があるようで
自慢話ばかりされた。
領内から花嫁候補を送り出せるだとか、辺境に美しい娘がいるとは奇跡だとか、耳がおかしくなりそうになった。軽い
洗脳を受けた気がする。
それから俺達はデオマイ村の人々に歓迎され、まずは花嫁候補に会うことになった。
確かに自慢するのも頷ける、辺境では珍しい美貌を持っていた。
柔らかな
亜麻色の髪は背中まであり、
琥珀色の瞳は
蜜を垂らしたように色っぽい。体型も年頃の娘らしく、華麗と受け取れた。
だが、それだけだ。感心させる美貌の持ち主でも、
偽物臭い態度で
興が削がれた。
出発は二日後。それまで村のことを調べようとした。
デオマイ村の水源は少なく、土地も
痩せている。それでも村を
興せているのは鉱石を採掘できる鉱山のおかげだと聞かされた。
初日のうちに鉱山へ向かったところ、その鉱山は名物になるものが見当たらなかった。
これはおかしい。いくら村があると言っても、名物にもならない鉱石ばかりでやり続けられるほど世の中は甘くない。しかも、この村の土地は全て村長のものだとも聞いた。
村民は全て村長のものを借りて生活している。だが、それだけだ。一人一人の村民のものとなる証が全くない。借りものばかりで生活しているせいで、自分の手には何も残らない。
寂れた村。そう感じた。
そんな時、ヘルハウンドという魔物の群れに襲われた。俺と友人ならまだしも、
手練れでもない二人の騎士は歯が立たないだろう。
さて、どうしようか。
悠長にも考えていたその時、
紫電が視界の端を明るく染め上げた。
驚く間もなく、紫電に触れたヘルハウンドは倒れていく。
最後に冷気を感じたと思ったら、残りのヘルハウンドが全て凍り付いた。
あっという間だった。滅多に操れない氷・雷属性の魔法を呼吸のように発動し、簡単に魔物を倒した。そもそも混沌系統の魔法を操れる平民は初めて見る。
よく見ると、その人間は……少女だった。
真っ直ぐ伸びた腰まである黒髪は綺麗だが、毛先は不揃い。前髪も鼻にかかるほど伸ばしているせいで、顔のほとんどが判らない。
まるで
幽霊のような子だ。そう感じていると、彼女は俺達を警戒した。
「貴方達、誰?」
物怖じしないその姿勢と、凛としているが穏やかさもある声に、
何故か興味が湧いた。
少女に話しかけようとしたが、逃げ
惑うことしかできなかった村人の男達が少女に向かって怒鳴り散らした。
異様な光景に眉を
顰めると、酷い暴言が吐き出された。
「魔女は魔女らしく森に閉じ
籠ってろ!」
これは流石に
不快になった。俺達を助けてくれた相手に対して、まるで
厄介者のように当たり散らすなんて。
彼女が殴られそうになるまで発展したが、なんとか止めることができた。
村人は少女に二言だけ言い捨てて、少女は反抗することなく森の中へ入っていった。
森の中は危険だ。いくら近道でも、暗くなる時に入るとどんな目に
遭うか判るはず。
仲間に一応告げてから追いかけると、少女は空を飛んで帰ると言った。
まさか地魔法で飛ぶ……否、浮くとは予想外だ。更に風魔法も
維持して飛ぶとは、並大抵の精神力と想像力ではできないことだ。
本人
曰く、独自で作ったのだとか。
宮廷魔導師になる才能がある者が、こんな辺境で
燻っているとは思わなかった。
彼女にぴったりの職業があるということを伝えてみた。
だが――
「私は……魔女だから……」
そう言った彼女は、とても苦しそうだった。
『黒持ち』は総じて魔力が高い者のみに現れる。だから魔女と呼ばれているのだろう。
そう
安直に思っていると、少女は前髪をかき上げて素顔を
曝す。
右眼は、澄んだ夕暮れ時の空を切り取ったような
瑠璃色。
左眼は、浄化で有名なアメジストよりも鮮やかな
紫色。
異色の
双眸は、どちらとも凛としているけれど穏やかな目元をしている。
さくらんぼ色の
唇は瑞々しく
潤い、肌もきめ細やかな
白皙。
ボロボロの衣服でなければ体型もはっきりしているだろうが、袖の隙間から見える手はとても細い。
まっすぐ俺を見据えるその瞳の光に、ガラにもなく
見惚れてしまった。
だが、自分が魔女と呼ばれる理由を話すと、その光が徐々に失われていく。
それがとても怖かった。この美しい光が消えてしまうことに、恐怖を感じた。
掴んだ彼女の肩はとても華奢で、見るからに充分な
栄養を
摂れていないのだと判った。
俺は瞳のことや彼女を「ただの女の子」だと言って、必死に繋ぎ止めようとした。
初対面なのに知ったかぶる言葉を使うなんて俺らしくない。
普段なら嫌悪されるような発言なのに、彼女は怒らず、むしろ……。
「ほん、とうに……?」
願うように、震える声で紡ぐ。
本当にただの女の子でいいのか。
都合のいい道具でいなくていいのか。
自由でいてもいいのか。
泣きそうな顔で肯定を求める姿は、あまりにも痛々しすぎて……。
衝動のまま、世界は広いと、そして彼女にも自由でいる権利があると伝えた。
気休め程度の言葉だと思う。それでも、彼女は――
「……ありがとう」
涙を流して、笑ったのだ。
不器用な笑顔は痛々しいのに、心を揺さぶるほど美しさがあって……。
彼女を――シーナを、この村に置いていけないと感じた。