息が止まるほど
精霊王にそんなことを頼むとは、どういう意味なのか知っているのだろうか。
唯一神と同じ権限を持っている最古の精霊王の力は絶大だ。
彼にそれを頼むということは、自身の全てを消し去ることを頼んでいるのと同じ。
死より
「……ごめん。今の、忘れていいから……」
固まってしまった精霊王に謝ったシーナは、壁に手をついて立ち上がる。
こぼれ落ちた涙を拭うと、精霊王はその手を掴んで手の甲に唇を落とす。
その行動に、胸の奥がざわつく。
『――我が名の下に、我は誓おう』
精霊王が告げた途端、ドクンと大気が震える。
『我、精霊王コスモは、契約者シーナの願いを尊重し、暴走を止めよう。そして止まらなければ――破壊する。我が名に懸けて、契約者シーナの心を救うと、ここに誓う』
精霊王の誓いは、どの精霊の誓いよりも
精霊王自身が契約者を破壊するなんて
罪を被ろうとも、シーナの心を救いたいのか。
『君の初めての願いは必ず守る。約束する』「……ありがとう」
初めての願い。それを聞いて、どれだけ耐え
不器用な微笑みで感謝の気持ちを伝えたシーナは、どんな思いで願ったのか。
俺では……彼女を救えないのか?
初めて感じる無力感に、得も言われぬ感情が込み上げてきた。
「……シーナ」
掠れそうになる声を絞り出せば、シーナが俺に気付く。
光を失いかけた瞳に、心臓が痛む。
「どうして壊してほしいなんて願ったんだ」
「……え」
聞かれているとは思わなかったのか、シーナは驚く。
精霊王を見れば、彼は肩を
「精霊王に存在を壊されることは、消滅することと同じだ。解っていて願ったのか」
「……うん」
少し間を置いて、しっかりと頷いた。
理解していて願ったなんて……。
「生きたいとは思わないのか?」
「思わない。私にはコスモ以外、何もないから」
コスモとは精霊王に付けた名のことだろう。
精霊王以外に何もないだなんて、そんなことないはずだ。
「家族のために生きようと思わないのか」
「思ったよ。家族の分まで、生きて幸せになろうって。……でも、私のせいで家族は死んだ。そんな私が、のうのうと生きていいなんて思えない」
シーナのせいで死んだ?
どういうことなのか訊ねようとしたが、その前にシーナは続けた。
「私は醜い人間だよ。こんな私が幸せになっていいはずがない」
とうとう光を失った瞳で淡々と言ったシーナに、怒りを覚えた。
シーナに対してじゃない。彼女をここまで追い詰めた全てのものに対してだ。
「醜くない」
近づいた俺は、いくつもの涙の痕があるシーナの頬に触れる。
頬は体温を失ったのではないかと思うほど冷たくて、虚ろな目には涙が溜まっていた。
「人を憎んでも、その憎しみで人を傷つけることを望んでいないだろう? あの村でも、人を助けはしても傷つけようとはしなかっただろう?」
「……!」
小さく息を呑む音が聞こえた。
「憎めば楽になる。けど、それで自分を見失う恐ろしさを誰よりも知っている」
少しずつ光が宿る瞳に、涙がこぼれそうなほど溢れてくる。
「誰よりも優しい君が、醜いはずがない」
幸せを望みながら、幸せを拒む。そんな姿は見たくない。
その一心で伝えれば、シーナは苦しげに顔を歪め、静かに涙を流した。
女性の涙に弱いが、今は泣いてほしい。心を殺して耐えるなんてしてほしくない。
願いながらシーナの頬を撫でると、彼女はその手に
「……ありがとう」
掠れた声で伝えられた気持ちに胸が締め付けられ、心が温かくなった。
落ち着いたシーナを連れて宿に戻ると、ティモシー達は安心して迎え入れた。
ソフィアは気遣って温かなスープを用意して、シーナに勧めた。
夕食後のシーナはソフィアに連れられて湯浴みに向かい、同じ部屋で休んだ。
少し心配だったが、流石はソフィア。シーナとすぐに親しくなった。
だが、彼女は花嫁候補の侍女だ。常に一緒にいるわけにはいかない。
それに、俺も――。
シーナを守りたいという気持ちは、
脆くて弱い、それでいて強さを持つ優しい心を秘めているからこそ、傷ついた心を救いたいと思ったのだ。
こんな感情は初めてだが、悪くない。
この時の俺は、その感情に名前があることを知らなかった。