竜帝




 十二日間の長旅が、ついに終わりを告げる。

 雲をオレンジ色に薄く染める時間に帝都に着いた花嫁候補の一行。
 これまで訪れた町と比べて高い建物が整然と立ち並ぶ帝都に入って、私は思わずきょろきょろと見回してしまった。

 大通りの両脇にはいろんな建物があり、進んでいくほどきらびやかな風景に移り変わる。
 ドイツの古都を合わせるようなゴシック様式は美しく、自然と見入ってしまう。

 水路には石造りの橋が架けられているし、教会らしき建物の窓にはステンドグラスが埋め込まれていて見応えがある。
 窓辺に草花を飾っている家が建ち並び、所々に花壇や街路樹が整備され、広場には噴水があり、露天商を営む人々もいて、子供から大人まで楽しそうに過ごしている。
 田舎では想像すらできない、とても美しい街並み。
 ずっと馬車の窓を開けなかったイザベルが、窓を開けて身を乗り出すほど素敵なのだ。

「素敵……」

 魅力的な美しさがある帝都に見入っていると、アレンが嬉しそうに笑う。

「帝都には大陸中の人や物が集まってくるんだ。城の生活が落ち着いて休暇を取れたら、たくさん案内してやるからな」
「うん、楽しみにしてるね」

 笑顔で言えば、アレンも楽しそうに笑う。

 こういった約束もできるなんて、とても嬉しい。
 少し前までの自分が変わっていくのが判るほど、私は明るくなった。
 これもアレンのおかげだと思うと、胸が熱くなるほど感謝した。

「見えてきた。あれが城だ」

 アレンが指差した先には、荘厳華麗そうごんかれいなバロック様式とも言える城がそびえ立っていた。
 山裾やますそに広がるように建つところを見て、帝都全体は扇状おうぎじょうに広がっているのだろう。

「少し遅くなるが、ここまで来たら城に入った方が楽だろ」

 ティモシーが告げると騎士達はうなずいて、馬の足を速めた。

 なだらかな坂道をいくつか越えて城の前に着いたのは、空が茜色あかねいろに染まる頃だった。
 長旅の疲れはあるが、緊張と興奮こうふんが強くて今のところ眠気はない。
 石造りの大きな門の両脇には衛兵が何人か立っていて、詰所らしき所でティモシーが声をかけると、門番達がすぐに道を開けてくれた。

 城門をくぐって中に入ると、広々とした道が続いている。そして広大な敷地に入った瞬間から、最奥の城だけではなく、複数の大きな建物が見えた。

「西側に花嫁候補のために用意された離宮がある。イザベルのための部屋はあらかじめ用意されているから、すぐに向かっても大丈夫だ。侍女が寝泊まりする部屋はまた別にある。シーナは騎士や魔導師が居住する東の離宮に住むことになるが、部屋が用意されるまで、しばらくはソフィアの部屋に泊まってくれないか」
「えっ。……迷惑にならない?」

 一室に用意されている寝具などは一人分しかないはず。私がお邪魔したら、寝るところで問題が発生するだろう。
 不安になっていると、アレンは苦笑した。

「ならない。むしろ頼む前にソフィアが真っ先に言ったんだ」
「ソフィアが?」

 私が泊まることに抵抗感はないのか。
 確かにこれまでの宿では一緒の部屋で泊まっていた。けど、城は違う。侍女が寝泊まりする区域には他の侍女もいる。

 彼女達に勘違かんちがいされたら大変なのに……。

「部屋がなくてソフィアが困っていると、シーナならどうする?」
「自分の部屋にさそう……あ」

 即答した私は、自分がするであろうこととソフィアがすることが同じだと気付く。
 それに対して、アレンは穏やかに笑む。

「そういうことだ。部屋の用意ができ次第、迎えが来るだろう。その間に城での作法を教えてもらえばいい」
「……分かった」

 宮仕えには礼儀作法がある。平民上がりの人もいるらしいけど、ほとんどが王侯おうこう貴族。失礼なことはできない。時間内に習得しなくちゃ。

「覚えきれるかな……」
「大丈夫。シーナは物覚えがいいから」

 安心させる言葉とともに、アレンに頭を撫でられる。
 犬猫いぬねこでるような感じだけど、アレンの手は優しいから好きだ。

「……ありがとう。私、頑張るね」
「その意気だ」

 アレンに応援されて、気持ちが晴れた。
 彼の優しさに応えて頑張ろう。そう決意していると、秋の花で整えられた庭園に到着した。

 馬車が止まり、ソフィアが先に降りて、イザベルの手を取ってリードする。
 私はアレンに馬から降ろされ、アレンに振り向く。

「ここから先は許可された者以外、男は入れないようになっているから。また来るよ」
「……ん。ありがとう。……またね」

 名残惜なごりおしいけど、アレンと別れてソフィアについて行った。



 少し薄暗くなってきた廊下を歩く。
 旅の疲れもあって、全員無言で沈黙を保っている。
 部屋にたどり着くと、ソフィアが扉を開けてイザベルを中に入れた。
 私は外で待っていたので中は見なかった。少し興味があったけど、イザベルとはあまり顔を合わせたくないから離れている方が一番だ。

 ソフィアが部屋主に背中を見せないように外に出ると、私に声をかけた。

「次は私の部屋に行くわよ」
「よろしくお願いします」
「そんな堅くならなくていいから」

 小さく苦笑したソフィアに連れられて、離宮の裏手にある四階建ての大きな建物に入った。
 二階に上がって、たくさんある中の一つの扉を開けたソフィアは私を招き入れた。

「適当に座ってて」

 テーブルとクローゼットとチェストが一つずつ、ベージュの絨毯じゅうたんの上に大きめのクッションがいくつか無造作むぞうさに置かれ、奥にベッドが一つある。

 私は絨毯の上に座って待っていると、もう一つの扉の向こうに行ったソフィアが戻ってきた。
 持っているトレイの上に、マグカップが二つある。

「そんな所じゃなくて、クッションに座って! お尻が痛くなるわよ」

 眉をつり上げて言われてしまったのでクッションに座る。ふかふかで気持ちいい。
 ほっとしていると、マグカップを渡された。中にあるのは紅茶みたい。
 息を吹きかけて静かに飲むと、ふわりとした優しい味が口の中に広がった。

「美味しい……!」
「ふふっ、ありがとう。これ、ハーブと花を乾燥させた茶葉を使っているの」
「へえ……! だからこんなに美味しいんだね」

 旅の途中でも飲んだことがあるけど、しぶいものばかりだった。でも、これは渋みが少なくて風味も優しい。

「――さて、今から最低限の礼儀作法を教えるね。明日から仕事が始まって、あまり構えなくなっちゃうから」

 一服いっぷくし終わると、ソフィアは立ち上がって意気込んだ。
 この城で働くには礼儀作法は必要。ソフィアの都合もあるから、しっかり覚えないと。

「よろしくお願いします」
「いい返事ね。じゃあまずは、目上や貴族の人に会った時の作法から」

 そう言って、ソフィアは手本を見せながら教えてくれた。道の端に寄ってから、絶妙の角度で礼をするとか、手に何かを持っている時は頭だけ下げればいいとか、通り過ぎるまで顔を上げたらいけないとか。部屋の入退室の作法も、部屋の奥の扉で特訓した。

 しばらく繰り返してしっかり覚えたところで、ソフィアの寝間着をりた。

「後はおいおい覚えればいいから。あ、私のノートを貸してあげるね。仕事のこと、私の先輩からのアドバイスを書いたものなの。といっても、侍女の仕事だけなの。魔導師としてのことは書いていないから、ごめんね」
「ううん、心強いよ。ありがとう」

 幸いにも文字の読み書きができるから、ある程度のことは平気だ。
 笑顔でお礼を言うと、ソフィアはほおを淡く染めて笑った。

「さあ、一緒に寝ましょう」
「え。……床でもいいよ?」
「だぁめ。それとも、一緒に寝るの嫌?」
「そうじゃないけど……その……」

 誰かと一緒に寝るとか、幼少期以来だ。なんだか気恥ずかしくなって、頬が熱くなる。

「恥ずかしいっていうか……」

 声がすぼんでしまいうつむく。そんな私に、ソフィアは吹き出して大笑い。

 え、そんなに情けなかった?

「ごめんごめん。シーナって本当に可愛すぎっ」
「あっ、ありえないから! わ、私が可愛いなんて……!」

 楽しそうに笑うのはいいけど、私が可愛いなんてありえないから!

 一気に顔が熱くなって羞恥で消えたくなった私に、ソフィアははにかむ。

「否定しちゃ駄目。ほら、来なさい」

 手招きするソフィアにおずおずと近づき、一緒にベッドに入る。

「おやすみ、シーナ」
「……おやすみなさい」

 旅が始まってから言うようになった、一日の最後に言う挨拶。
 初めは慣れないことに気恥ずかしかったけど、嬉しかったことを覚えている。
 家族を喪ってから言わなくなった言葉が、本当に嬉しかったのだ。

 旅の疲れと緊張感でなかなか眠れないと思ったけど、ソフィアの優しい温もりが近くにあることに安心して、あっさり眠りについた。



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Aletheia