嘆願




 アレンと再会して、宮廷魔導師長が上司になると知った日の夕方。
 侍女の仕事がひと段落したソフィアが、私の荷物を持ってきてくれた。

 私の部屋に入った時、整った内装に驚いていた。私に与えられた部屋は、普通に支給されるものとは違うらしい。
 でも、ありがたく使うことにしたと言えば、ソフィアも受け入れてくれた。



 あれから一ヶ月。宮廷魔導師見習いとしての仕事にも慣れてきた。

 宮廷魔導師長であるジェイソン様の教鞭きょうべんを受けつつ、未解読の古文書を解読していく。
 古文書はルーン文字と同じ変わった単語で綴られていて、文字の組み合わせによる意味や呪文の唱え方などを調べなければならない。
 ルーン文字の全てをコスモから教えられているから、古代魔法と同様に得意だ。この知識も無駄にならないから、と教えてくれたおかげだ。

 本当に無駄にならなかった知識を用いて、ジェイソン様でも解読できなかった古文書にある呪文と意味を解読した。おかげでジェイソン様と彼の部下に重宝されている。
 学業を卒業して見習いから解放され、宮廷魔導師となったばかりの人達からはねたまれることもあるけれど、その中で二人だけでも友達ができた。

「シーナ! この魔法陣ってどう解読すればいいの?」

 一人前になったばかりの宮廷魔導師は、古文書や魔法陣の模写、魔法の精度を上げる訓練などを行っている。

 ただ模写する人もいれば、意味を詳しく知ろうと探究する人もいる。

 今年になって入ったばかりの二歳上の少女、ジャンヌ・ウィンターズもその一人。
 ジャンヌはウィンターズ公爵令嬢。令嬢でありながら魔法使いの才能があったため、宮廷魔導師になったと言っていた。
 ウェーブがかかった栗色の髪はくびれまであって、仕事の邪魔にならないようにリボンで一つに結っている。瞳は暖かな春の木の葉を思わせる、鮮やかな緑色。平均より少し小柄だけど立派な体型を持つ、秀麗と言っても過言ではない美貌の主。

 同年代から人気を集めるジャンヌは好奇心旺盛で、いろんな知識を集めようとする。
 まさに魔法使いらしい心得を具備ぐびする彼女は、水属性と風属性の持ち主。

 通常、二属性以上を持つ者は少ない。貴族の中でも一握りくらいらしい。

 ジャンヌは二属性保持者なので、この先重宝されるだろう。
 しかも、この属性を組み合わせたら氷属性と雷属性の混沌魔法を使える。それを教えると、平民である私にいろんなことをいてきた。

 分け隔てなく優しい人だけど、周りの貴族からもう少し平民と距離を置けと言われている。そのたびにかなり怒って、私が教えた氷魔法で制裁を下しているそうだ。

 そんな人が私の友達だなんて恐れ多いけれど、今ではいい関係を築けている。

「えっと……その魔法陣の中心にある記号は火属性だから、火属性の魔法を要としていると思う。で、この記号は酸素を意味しているから、火魔法の威力を補助していると考えてもいいかも」
「どうして酸素で補助できるの?」
「酸素がなければ火は作れないから。火は酸素を燃やして生じるけど密閉空間を作ると、燃えかすの空気である二酸化炭素で火は消えてしまう。蝋燭ろうそくに火を灯して、透明のガラス瓶を被せてみて。そうしたら分かるから」

 前世の科学を思い出しながら説明すると、ジャンヌは急いで蝋燭とガラス瓶を用意した。魔道具で火を点け、ガラス瓶を被せると、細い煙を立てながら火が消えた。

「すごい! 本当に消えたわ!」
「でしょう? 次にこの全体を構築している六芒星ヘキサグラムは……」

 ここからはコスモから得た知識を用いて説明する。
 ジャンヌはそれをメモ用紙に書き込んで、羊皮紙にまとめた内容を書き写す。

「ありがとう。これでスッキリしたわ」
「どういたしまして」

 嬉しそうな笑顔は見ていて癒される。
 私も笑って言えば、ジャンヌはほおを淡く染めてはにかんだ。

「ジャンヌ、あまりシーナの仕事を邪魔するなよ」

 不意にかけられた注意に、ジャンヌはムッとして声の主を軽くにらむ。

「何よ、ドナルドだって興味津々のくせに」
「否定はしない。シーナは興味深いからな」

 開き直って言う青年は、ジャンヌと同期で宮廷魔導師になった侯爵貴族の三男、ドナルド・フランクリン。
 金茶色の癖毛に利発な金色の瞳を持つ細身の青年で、結構な端整な顔立ちをしている。

 彼は火属性と風属性を持っているから、それを組み合わせた熱魔法を教えてあげた。以来、私の知識に興味を示して時々質問してくる。

 職務に生真面目で自分にも他人にも厳しく、興味のあるものに対して熱中しやすくて、それでいて退屈を嫌う。そんな彼に目を付けられてしまったのだ。

 二人は高位の貴族なのに、平民である私と対等に接してくれる。それが嬉しくてよく話していると、いつの間にか友達になっていた。
 周囲はいい目を向けないけど、私達は気にせず友好を深めている。

「シーナもそろそろ仕事に戻れ。先輩にどやされるぞ」
「あ、うん。心配してくれてありがとう」

 生真面目だけど優しい子だなぁ。
 ありがたみを感じて笑えば、ドナルドは口元に笑みを浮かべた。

「ジャンヌもドナルドも、無理せず頑張ってね」
「シーナも。また夕食に!」

 ジャンヌと手を振り合って、私は一階の部屋から出た。

 実は一階の薬草園で採れる薬草の採取を頼まれていたのだ。充分なほど薬草を入れた籠を持って三階に行き、ジェイソン様の研究室に入った。

「ジェイソン様、これでいい?」
「……ああ。それでいいよ。少し遅かったな」
「友人に魔法陣の解読を頼まれて」

 素直に言うと、ジェイソン様は納得したように頷いた。

「シーナは博識だから仕方ないな。古代魔法書の複写が終わったら、どんな魔法ができるのか教えてくれないか」
「うん。私のできる範囲でなら」

 仕事に関係することならおとがめはないようだ。ちなみに今のところ咎められたことはない。
 覚えることはたくさんあるけど、やり甲斐がいがあるから頑張っていられる。

 アレンと会えないのはさみしいけど、充実していることに変わりない。
 それでも思い出した時、とても会いたくなる。なるべく思い出さないようにしているけど、寂しいと感じた時はどうしてもね……。

「ジェイソン様、宰相閣下が御出おいでになりました」

 テーブルに籠を置いた時、ノックの後に扉越しから声が聞こえた。

 宰相閣下……ヴィンス様?

 生真面目な宰相閣下で有名なヴィンス様が来たことに驚いていると、私と違って動じていないジェイソン様が「お通しください」と丁寧語でうながす。
 宮廷魔導師長補佐であるマーヴィン・マースディンが扉を開くと、ヴィンス様が入ってきた。
 ジェイソン様が立ち上がって挨拶しようとしたが、その前にヴィンス様が片手を上げて制し、口火を切る。

「お久しぶりです、シーナさん」
「あ……はい、お久しぶりです」
「仕事の方はどうですか?」

 ……世間話をしに来たのかな? いや、そうじゃなさそうだけど……。

「順調です。皆さん親切で……仕事の手順など、いろいろと教えてもらいました」

 親切なのはジェイソン様の部下と友人だけ。あ、あと薬草園を管理している人達も。
 頬を緩めて話すと、ヴィンス様は笑みを浮かべ、「それは上々」と満足した。

「仕事の最中に申し訳ありませんが……シーナさん、古代魔法書の複写が終わりました」
「本当ですか!?」

 まさかの吉報に声がはずんで、宰相閣下の前なのに喜色満面になってしまう。

 喜びから明るい表情になる私に、ヴィンス様はクスクスと笑った。

「ええ。お時間がよろしければいつでもお返しできますが、どうしますか?」
「仕事が終わり次第――」
「シーナ」

 まずは仕事が終わってからと思ったけど、ジェイソン様にさえぎられる。

「行ってきなさい」
「えっ、でも……」

 仕事の最中なのに放り出していいのだろうか。

 渋っていると、ジェイソン様は苦笑する。

「今日も古文書から魔法陣の解読を休まずにしているんだ。たまには息抜きに外に出た方がいい。籠りすぎると、僕みたいに虫になるよ」

 本の虫ならぬ魔法の虫? 私は虫ほどじゃないけど、好意は受け取ろう。

「……じゃあ、行きます」
「わかりました。では、シーナさんをお借りしますね」
「はい。ごゆっくりどうぞ」

 ……ごゆっくり? どういうこと?

 少し不思議に思ったけど、ジェイソン様に頭を下げてヴィンス様と魔導宮から出た。




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Aletheia