08-03




 おとずれたのは謁見えっけんの間ではなかった。
 綺麗な扉だけど、謁見の間のように大きくない普通の扉。

「宮廷魔導師見習いを連れてきました。陛下はおられますか」
「はい。……宰相閣下がお見えになりました」

 ヴィンス様が衛兵に告げると、衛兵は扉をノックして声をかけた。すると、穏やかなテノールの声が「通せ」と言った。

 衛兵が扉を開ける。先にヴィンス様が入って、私も部屋に足を踏み入れる。
 部屋はとても広い執務室だった。だいたい二十畳はあるだろうか。もしかしたらそれ以上かもしれない。壁際の一面に本棚があり、分厚い書物を並べている。立派な執務机と椅子の他に、来客用のソファーとローテーブルもあるようだ。
 見渡したくなるけど、ぐっとこらえて竜帝陛下に頭を下げる。

おもてを上げよ」

 竜帝陛下のおごそかな言葉にしたがって背筋を伸ばし、竜帝陛下をしっかり見る。目を合わせすぎるのは不敬ふけいになるので、そこも気を付ける。

貸与たいよしてくれた古代魔法書だ。念のために中を確認してくれ」

 机に置かれた古代魔法書をヴィンス様が受け取り、間接的に私に渡してくれた。
 両手で受け取った私は、ページを丁寧にめくって中を確認する。

 ……うん、汚れも見当たらない。

「問題ないか」
「はい。ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ。長らく写本にと貸し与えてくれて感謝する」
勿体無もったいないお言葉にございます」

 一度だけ一礼して、ヴィンス様に視線を向ける。
 気付いたヴィンス様は頷き、竜帝陛下に言葉をかける。

「陛下。こちらの彼女が陛下に頼み事があるそうです」
「頼み事?」

 不思議そうな顔をした竜帝陛下は、少しだけど人間味がある。
 やっぱり、すごく遠い存在とは感じない不思議な方だ。

「発言権を彼女に与えてもよろしいでしょうか」
「許そう」

 あっさりと言ってくれた。なんだか対応が早かった気がするけど、今はどうでもいいことだ。
 小さく深呼吸をして竜帝陛下に内容を伝える。

「私が生まれ育ったデオマイ村の人々を、デオマイ村から移住させてほしいのです」

 単刀直入だけど、ここは回りくどく言わない方がいい。

「……理由を聞こう」
「はい。デオマイ村の土地は痩せています。いくらたがやしても作物は満足に育たず、鉱山では採掘できる鉱物がほとんどありません。それに……鉱山の麓には、魔物がよく現れていました」

 そこまで言うと、竜帝陛下は軽く目を瞠る。
 私が何を言いたいのか解ったような……そんな顔。

「デオマイ村にいた頃、村人達が対処できない魔物は、私がひそかに討伐していました。今のデオマイ村には『護り』がありません。低級の魔物ならまだしも、中級の魔物となると、放っておけば村がほろんでしまいます。ですから――」
「移住させてほしい、か……」

 私の言葉を引き継いでつぶやいた竜帝陛下は、少し表情をけわしくした。

「貴殿はあの村で迫害されていたと聞いたが?」

 ……どうして、竜帝陛下まで知っているの?

 驚きのあまり息を詰めてしまったけど、何とか声を絞り出す。

「……村人の中に、私の心を支えてくれた子供達がいます」

 蔑称べっしょうではなく、私を『魔女さま』と呼んでしたってくれた子供達。
 つらい記憶ばかりだったけど、その中でわずかな光を与えてくれた。

「あの子達がいなければ、私の心はすさんだままでした」

 下手すれば死んでいたかもしれない。けれど、それは言わなかった。

「貴殿は、その子供だけを移住させたいのではないのか」
「いいえ。村人全員です」

 即座に否定すれば、竜帝陛下は意外そうに軽く目を見開く。

「子供達だけを移住させたとしても、守ってくれる大人がいなければ意味がありません。それに、親をうしなうという不幸を与えたくないのです」

 親の大切さを知っているからこそ、どれだけ苦しく悲しいことなのか理解している。

「助けられたとしても、心まで救えなければ意味がありません」

 親を喪った時の私は、本当に死ぬほど苦しかった。
 何度も泣いて、何度もなげいた。そんな思いをしてほしくない。

「善意ではありません。これは私の自分勝手な自己満足……見捨てて後悔したくないというエゴです。こんな私が陛下にこのようなことを頼むなんて烏滸おこがましいですが……」

 私は彼等に感謝なんてされたくないし、彼等もきっと感謝しないだろう。
 だけど、それでも……。

「彼等を助けてください。お願いします」

 見捨てて後悔するなんて、絶対にしたくない。

 魔法書を胸に抱きしめたまま、深く頭を下げる。
 静けさが支配する空間の中で、痛いくらい脈打つ心音がよく聞こえる。
 一秒が長く感じるほどの沈黙に苦痛を感じ始めた。

「――……」

 不意に聞こえた竜帝陛下の呟き。
 よく聞き取れなかったけど、頭は上げない。

「いいだろう。その頼み、受け入れよう」
「……! あ……ありがとうございます!」

 頼みを受け入れてくれた竜帝陛下の言葉に安堵して、声に喜びの色が混じる。
 安心感から頬が緩んでしまう。それくらい嬉しいのだ。
 顔を上げると、竜帝陛下は優しい表情で微笑んでいた。

「他に何か頼みたいことはあるか?」
「いえ、ありません。本当にありがとうございます」

 これ以上はない。そもそもこれ以上頼み事をするなんて厚かましいだろう。

「……どういたしまして。ヴィンセント」
「はい。御前、失礼します」

 ヴィンス様が深く頭を下げて、私を連れて執務室から出た。
 本当によかった。これで皆を助けられる。
 古代魔法書を抱きしめて頬を緩ませていると、ヴィンス様は小さく苦笑した。

「シーナさんはすごいですね」
「え、そうですか?」
「ええ。陛下におくさずあのようなことを言いましたから。素敵でしたよ」

 素敵って……言い過ぎ。でも、この称賛は悪くなくて、嬉しいと感じた。

「ありがとうございます」

 ヴィンス様のおかげで村人達……あの子達を救える。
 私は感謝の気持ちを込めて、穏やかに笑った。




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Aletheia