開花




 私には生まれつき、三つの姿がある。

 竜族としての竜の姿。
 竜族の誰もが持っている竜人の姿。
 そして、人である母から受け継いだ人間としての姿。

 私は人間の姿の時は『アレン』と名乗り、息抜きで城を出る。
 今回の花嫁候補の時に出会ったシーナが知っているのは、アレンとしての人間の姿だ。
 詰まる所、『アレン』が竜帝であることを、信頼できる者以外で知る者はいない。
 信頼できる者は、私の直属の部下。宰相を務めるエルフ『ヴィンセント』、近衛騎士団長の獣人『オーエン』、宮廷魔導師長の人間『ジェイソン』――この三人だけだった。


 城に帰還きかんしてすぐ、ヴィンセントはこれまで溜まった書類を押し付けるように渡した。
 今まで溜まるに溜まった怒りをにじませて。
 少し息抜きに行くと伝えたが、少しどころではなかった所為せいだった。
 申し訳ないと思っているが、後悔はしていない。
 その理由は、やはりシーナにある。

 シーナと出会って、私は変わった。彼女の優しさと強さ、もろさとはかなさに触れて、感謝と守りたいという想いをいだくようになった。
 彼女は凄い。三百余年も生きている竜帝である私に、いろんなことを教えてくれた。
 だからか。シーナに会う日を心待ちにするようになった。

 けれど、溜まった仕事の量は一向に減らない。むしろ増えていく。
 原因はヴィンセントにあることは知っているが、私が悪いことは自覚済みなので仕方ないと言えば仕方ない。
 できる限り急いで半数以下に減らすことができたのは、城に戻って一週間余りだった。
 その頃にはシーナの部屋が整ったので、ヴィンセントに案内を頼もうとした。

 だが、竜帝としてやっておかなければならないことがある。

「ヴィンセント。宮廷魔導師見習いになる娘と謁見えっけんするから連れてきてくれ」

 仕事がひと段落した昼間に頼めば、ヴィンセントは目を丸くした。

「……陛下が勧誘した者ですか?」
「そうだ。彼女から例の古代魔法書を借りている。そろそろ褒美ほうびを渡さないとな」

 理由を言えば、ヴィンセントは驚きのあまり目を見開く。

「それは……陛下が直接渡すほどではないと思いますが……」
「あの古代魔法書は国宝として充分な価値があるのに?」

 大層なことだが事実だ。それを言えば、ヴィンセントは考え込む。

「……国宝級の物なら、普通は献上けんじょうするはずですが……」

 確かに普通の者なら簡単に献上するだろう。
 だが、シーナは違う。

「あれは彼女の数少ない思い出の品だ。大切だからこそ、百歩譲って貸してくれたんだ」

 あの時の強い想いを込めた言葉は、今でも思い出せる。

『お金とか褒美なんて、私の思い出に比べると価値がない』


 真っ直ぐな眼差しで言った想いは強く、真っ直ぐだった。
 私では想像できないくらいの思い出は、シーナの心を支えたのだと感じた。
 思い出を大切にする直向きな心は、とても尊敬できるものだった。
 思い出すたびに不思議な気持ちになれる。その不思議な気持ちは悪くなく、表情まで穏やかになれた。

 ふと、ヴィンセントを見ると、彼ははと豆鉄砲まめでっぽうを食らったような顔になっていた。

「どうした?」
「あ……いえ……。ところで、褒美はどれくらい用意すればよろしいでしょうか」

 それは考えているが、シーナは受け取ってくれないだろう。
 だから、少し考えがある。

「王金分の金貨を用意してくれ」
「……はい?」

 王金分の金貨。それは三世代が一生遊んで暮らせるほどの金だ。信じられないという顔をするのも仕方ない。

「おそらくシーナは受け取らないだろうが、一応用意した方がいい。それに国宝級の古代魔法書が汚れた場合も含めたら妥当だとうな謝礼金になる」

 受け取らない可能性。それを聞いたヴィンセントは、更に驚愕する。
 念のために頼めば、ヴィンセントはぎこちなく頷いて用意し、謁見の手続きを行った。

 ……シーナは、竜帝である私を見てどんな対応をするのだろうか。

 少しの不安を抱えて、私は近衛騎士団長のオーエンと、その部下を連れて謁見の間へ向かった。



 謁見の間に待つこと数十分後、ようやくシーナが訪れた。
 慣れない所作しょさもあるというのに、彼女は凛然りんぜんとした姿勢を崩さずにいた。
 本当なら気楽でいて欲しいが、立場上そう言っていられない。
 顔を上げるよう声をかけると、シーナは少し目を見張ったが、あまり表情を変えなかった。

 私は他人から見ればかなり整った美貌を持つことを自覚している。
 少し微笑めば女性は一目惚ひとめぼれするほど見蕩みとれ、目を細めれば大人の男でもひるむ。

 けれどシーナは、態度を崩さなかった。
 おごそかな言葉をかければ、シーナはあの日と同じ言葉をつむいだ。

 女ならたましいが抜けるほど、男なら緊張から言葉を発することができなくなる。
 だが、シーナは対等な態度で言った。それがとても嬉しかった。

 けれど、私は竜帝。試すような言葉をかければ、シーナは強い眼差しで言った。

「人にしたわれるような方が、人の想いを踏みにじるようなことはしません」

 あの真摯しんしな言葉は、きっと忘れないだろう。初対面であるはずの竜帝である私の神髄しんずいを理解しようとしてくれたのだから。

 湧き上がる歓喜をおさえて褒美を言えば、シーナは恐縮きょうしゅくしてしまい、受け取ることをこばんだ。そこで誘導ゆうどうすれば、面白いくらい表情を変えた。
 あれは楽しかった。竜帝の私と対等に言葉を交わすやり取りは初めてだったから。

 それからシーナの実力を見せてもらい、いろんな意味で驚愕きょうがくした。
 古代魔法を披露ひろうするように頼めば、真っ先に氷の竜を作り上げたのだ。
 竜を見たことがないはずのシーナが明確なイメージで作り上げた魔法。その時の氷の竜に触れ、表情を穏やかなものに変えた。あの表情に、思わず見惚れてしまった。

 自分で作り上げたからか、それとも恐ろしくないのか。判らないが、あの時のシーナのいつくしみを込めた微笑みを見た瞬間、心が震えた。



 いろいろと衝撃を受けた謁見が終わり、執務に戻って仕事にはげんだ。
 しばらくして戻ってきたヴィンセントは、とても嬉しそうな顔をしていた。

「ヴィンセント。シーナを見てどう思った」

 たずねると、ヴィンセントは笑みを浮かべた。

「とても優しい方です。陛下のことも、怖くないと言いましたから」

 それを聞いて、心が歓喜に震えた。
 普通の人間は私を敬遠してしまうというのに、シーナにはそれが無いらしい。
 それが、何よりも嬉しいと感じた。


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Aletheia