悪夢




 この世界の町村は、魔物の被害が出ないよう高いへいに囲まれている。
 遠くの空が茜色に色づく頃に到着した町も、頑丈がんじょうな塀で守られていた。

 アレンが門番から通行証を貰って、町に中に入る。

「わあ……!」

 そこは、村では見たことがないくらい活気づいた人々であふれていた。
 建物は立派な石造りで、道も敷石しきいしが敷き詰められている。路上では屋台や露天商などがあって、どこかの店の客引きでいそしむ女性が立ち回っていた。

 初めて見るこの世界の町の情景に、すっかり見入ってしまった。

「すごい……」
「帝都はもっと凄いぞ」

 アレンが馬から降り、私を地面に降ろす。すると、馬に乗っていた時の揺れを足に感じた。
 少しふらついてしまったけど、アレンが支えてくれた。

「大丈夫か?」
「う、うん……」
「馬の旅はあと十一日ほどかかる。そのうち慣れるさ」

 今日も合わせて十二日も馬の旅が続くのか……。今日の疲労感を考えると大丈夫だと思うけど、少し気が遠くなりそうだ。

「さて、まずは……」

 辺りを見渡して呟いたアレンは、私の手を引いて歩き出した。
 まるで親子、兄妹のような感じで、ちょっと恥ずかしい。

 でも、嬉しかった。誰かと手を繋ぐなんて祖母が亡くなって以来だから。
 三年ぶりの人肌の温もりに、胸の奥が締め付けられるほど切なくなった。

「シーナ?」

 アレンの声に我に返る。

 しまった、感傷的になりすぎた……。

「気分が悪いのか?」
「……んーん。ちょっと疲れただけ」

 本当は少し悲しい。けれど表情に出さないよう、小さく微笑んで誤魔化ごまかした。

「それより、どこに行くの?」
「……まずは床屋とこやだ」

 納得してないけど、アレンは深く追求せず教えてくれた。
 聞き慣れない単語に首を傾げると、アレンは「髪を切るお店」と簡潔かんけつに告げた。

 髪を切る。それを聞いて、改めて自分の髪に触れる。
 まっすぐ伸びた黒髪は繊細せんさいで、腰下まである。前髪は鼻にかかるほど長いため、幽霊ゆうれいに見ても仕方ない。

 切った方がいいのは解るけど……瞳は隠したかったな。

 アレンが馬を止めて、私を連れて一軒の店に入る。ドアベルが付いているようで、カランと軽やかな音が店内に反響した。
 店内は大きな広い部屋で、片側の壁にいくつもの鏡が貼り付けられている。その一つ一つの鏡の前には椅子が並べられていて、そこには首にタオルを巻いた人達が座っていた。彼らの周りにははさみくしを持った人達がいて、座っている人達の髪を整えている。
 床屋なんて、前世以来だ。

「いらっしゃい」

 店の奥から中年の女性が近づいてきた。スラリとした細い体型が特徴的な人だ。エプロンのポケットに鋏や櫛、髪を留めるヘアクリップなどの小道具を入れている。
 彼女が来ると、アレンが私の肩に手を置いた。

「彼女の髪を切ってやってくれ」
「この子ね。わかりました。さあ、こっちに座って」

 背中を押してうながされて、チラッとアレンを見上げる。
 アレンは情けない顔になってしまった私に苦笑して、片手を軽く上げた。

「宿に馬を預けてくるだけだ。すぐ戻るから」

 そう言って、アレンは店から出ていった。
 心細いけど我慢して、女性に促された椅子に座ると、タオルを首に巻かれた。

「綺麗な黒髪ねえ。こんな繊細な髪は久しぶりに見るよ」
「……怖くないの?」

 普通に髪を梳く女性は、黒持ちである私が怖くないのだろうか。
 不安になると、女性は苦笑した。

「ここまで綺麗な黒は見たことないけど、黒に近い色は何度も見たことがあるし、仕事柄で切ったことだってあるさ。お客さんが怖くて髪が切れないだなんて、美容師じゃないからね」

 ほがらかに笑って安心させることを言ってくれた女性は、とても優しかった。

「短く切るのは勿体無もったいないから、後ろは毛先を整えて……前髪はまぶたの上ぐらいまでひかえめに切りましょうか」

 女性はテキパキと髪をまとめ上げ、前髪もヘアクリップで上に留められた。

 ふと、正面にある鏡に映る自分が目に入り、驚いた。
 黒髪に映える肌は白く、さくらんぼ色の瑞々みずみずしいくちびる。目付きは穏やかそうでいて凛としているけれど、そんなに凛々しく見えない。どちらかと言うと優しい面差しだ。

 鏡なんて持っていなかったから、水鏡以外で見たことがない。だから、ちゃんと自分の顔を見るのは初めてだった。

「まあ! 綺麗な瞳じゃない! どうして隠してたの?」
「ちょっと事情があって……。でも、もう大丈夫だから」

 はぐらかしながら切っても大丈夫だと伝えれば、女性は笑顔で頷いて鋏を操る。
 鏡越しで躊躇ためらうことなく切る女性の手並みを見る。その手際はとても鮮やかだ。
 見蕩みとれている私がおかしいのか、女性はクスクスと笑って話しかけてきた。

「身形からして、出稼ぎってわけじゃなさそうだね」

 これは……話してもいいのかな?

 頭の中で言葉を整理して、声に出す。

「……えっと、魔導師にならないかって勧誘されたの」

 一瞬、女性の持つ鋏の音が止んだ。

「……あんたまさか、帝都の宮廷魔導師に?」
「まずは見習いから始めるんだって。どんな仕事なのか、まだわからないけど」

 アレンがそばにいないのは心細いけど、彼の信頼できる人が先生になってくれるなら頑張れると思う。不安だけど、せっかくのチャンスだ。逃したら負けだ。

「てことは一人で帝都に? あんたすごいんだねえ」
「そんなことないよ」
「いいや。家族も付けずに一人で帝都に行くんだ。並大抵の勇気じゃできないよ」

 まさかここまで褒めてくれるとは思わなかった。
 私には家族がいないから、並大抵の勇気がよく分からない。
 でも、その言葉は嬉しくてほおが熱くなり、誤魔化すためにはにかんだ。

「ありがとう」
「……えと、どういたしまして」

 ぎこちなくうなずいた女性は後ろの髪を終わらせ、前髪をシャギーカットで整える。
 顔についた髪を刷毛はけで払って、勢いよくタオルを剥がされる。

「さあ、終わったよ」

 タオルについた髪を払っている女性に促されて席から立ち、等身大の鏡を見る。

 鏡面に映る私は、さっきまでの幽霊のような不気味さはなく、普通の女の子になっていた。黒持ちとヘテロクロミアが普通とかありえないけど、どこにでもいる女の子と同じ。服はまだボロボロだから、少し貧相ひんそうに見えるけれど。
 でも……自分がこんなにも変わるなんて思わなくて、まじまじと見てしまう。

「これ……私?」
「そうだよ。あんた人形みたいに整っているんだから、いい服買ってもらいなさい!」

 そこまで整っているとは思わないけど……そう言ってくれると嬉しいな。

「ありがとう。さっぱりした」

 感謝から笑顔を見せると、女性と店員、お客がぼーっとしてしまった。
 え、何故なぜ

 不意に、カランカランというドアベルの音が聞こえた。
 アレンが戻ってきたのかな?と期待を込めて顔を向けると、戻ってきたアレンはドアを開けた状態で固まっていた。

「アレン、早かったね。……アレン?」
「あっ……あぁ、そっちこそ。……見違えたな」
「そこまでじゃないよ」

 ちょっと照れくさくなったけど、見違えるほどだなんて大袈裟おおげさだ。

「いかがですか?」
「ああ、いい感じだ」

 クスクスと笑っている女性にお金を払うと、アレンは私の手を引いて店から出た。
 私の髪を切ってくれた女性は店から出て、私達を見送ってくれた。

「本当にありがとう」
「どういたしまして。この町でいい出会いがありますように」

 女性に手を振って、私はアレンに連れられて街中に入った。




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Aletheia