旅立ちの前日

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 淡い紅色の花が咲く木が一本だけそびえ立つ泉に訪れたユリアは、直系一メートル以上もある平たい大理石を亜空間から取り出して設置していた。

 通常、竜族以外の種族は亜空間を持たない。しかし、時空の精霊クロノスと契約しているユリアは亜空間を作成することができる。広さは魔力量によって決まるが、ユリアの亜空間は上位の竜族と同じくらいの広さを持つ。更に言うと竜族でもないこと――亜空間に入るという奇天烈きてれつな行動に出ることもできた。
 そんな亜空間から出した白い大理石は丸く、表面には全体を埋め尽くすほど大きな魔法陣が刻み込まれている。

 先月の上旬に完成した転移魔法陣。それを刻んだ黒い大理石を家の近くにも設置しているが、それとは違う記号も付け足していた。こうすることで魔法陣の違いをはっきりさせて多岐式にすることができるのだ。

「……よし。こんなもんかな」
「ユリアさん」

 大理石を軽く沈めて大地と一体にする。
 自分でも上出来だと思っていると、馴染みのある声がかけられた。振り向けば、ふさふさした純白の体毛が美しいケット・シーがいた。

 泉に集まるケット・シーのリーダー、アルフィンだ。

「あ、こんにちは」
「……シェイナさんから聞きました」

 アルフィンの硬い声音で何が言いたいのか理解した。
 ユリアは眉を寄せて小さく笑い、アルフィンに向き直って目線を合わせるために片膝をつく。

「ごめんね。せっかく護ってくれたのに……」

 クリスと邂逅かいこうした時のことを含めて謝る。その切ない表情に、アルフィンは金色の瞳を伏せた。

「ユリアさんは……これから人間の営みに入るのですね」
「……うん。ここに来れるのは、月に三回だけ。しかも光曜日か闇曜日の休日だけ」
「……え? 学園は長期休暇以外、帰れないのでは?」

 意外そうな顔をするアルフィンにユリアは微笑む。

「私は『黒持ち』で禍人わざわいびとだから。不安定になった時に戻ることを許可されているの。人と関わって心が病んだら元も子もないからって」
「それは……良いのやら悪いのやら……」

 微妙な顔をするアルフィン。彼の反応に、ユリアは思わず笑ってしまった。
 けれど、すぐに切ない表情に戻ってしまう。

「これから会える機会が減ってしまうのは寂しいけど……頑張るよ」
「……ご無理だけはなさらずに」

 アルフィンの心配が嬉しくて、穏やかな笑顔で頷く。

「それでね、もし何か大変なことがあったら、これを使って連絡して」

 そう言ってユリアは亜空間から紫色の布を被せた大きな球体を取り出す。
 ユリアはそれを転移魔法陣の近くに起き、布を取り払う。
 姿を現したのは透明の水晶玉。人間の頭ほどあり、八角形の金属製の台座に鎮座ちんざしている。
 華美な装飾は一切ほどこしていないが、見る者をきつける魔性の力を感じた。

「これは?」
「大型版の通信魔道具。これなら通信相手の姿も映し出されるから」

 またしても新しい魔道具を作ったのだと理解したアルフィンは、その内容に目を丸くする。
 ユリアが最初に作った通信魔道具は小型で装飾品として携帯できる仕様しようになっている。それが置物になり、映像まで付くという進化をげたのだ。

 通常では製作に数年はかかるだろう。しかし、ユリアは短期間で完成させてしまった。
 やはり天才だとしみじみ思ってしまう彼の反応に満足したユリアは説明した。

「これは相手も台座に触れないと通信できないけど、通信相手に判るように光るから大丈夫だよ」
「……凄いですね」
「ありがとう。で、これを使うのは夕方にしてね。学校の寮に戻れるのは夕方になるから」

 解りました、と頷くアルフィン。受け入れてくれたことに安堵して、頬を緩める。

「アルフィン。また会おうね」
「勿論です」

 アルフィンが明るい笑顔で頷いて、ユリアも満面の笑顔を見せた。



 空が薄いオレンジ色に染まる頃。
 作業が終わったユリアは、魔法陣を使って家の近くに転移した。

「ただいまー」
「おかえり、ユリア」

 家に入って居間に行けば、ミケーレとマヤが一つのソファーに座っていた。

「あれ? 今日は早かったんだ」

 普段から仕事に出かけているミケーレとマヤが昼間に帰っていることは少ない。特にミケーレは数日も帰ってこないことがざらにある。
 珍しいことに驚いたユリアに、二人は微笑んだ。

「明日はユリアの誕生日ですから。仕事を早く終わらせるのは当然です」

 ミケーレの言葉に思い出す。
 明日――四月の月初めは、ユリアの誕生日。

 そして、ユリアがクレスクント国立学園に編入する日。

 毎年当日に祝ってくれていたのだが、今年は祝ってくれないのだと諦めかけていた。
 けれど違った。当日ではなくても前日に祝ってくれるとは思い至らなかったユリアは、喜びから口を引き結んだ。

「今年から当日に祝えなくなっちゃうけど……」
「……ううん。いいよ。お父さんとお母さんに祝って貰えるなら、いつだっていい」

 マヤの気遣いに、嬉し涙が浮かびそうになりながらも満面の笑顔で言う。
 ユリアのその笑顔と言葉に、ミケーレとマヤは胸の奥から込み上げるほどの熱量を感じた。

「……ユリア。こっちに来てくれますか?」

 ミケーレに言われて、ユリアは二人の正面にあるソファーに座る。すると、ミケーレが床に置いているかばんから長方形の箱を取り出し、低いテーブルの上に置く。

「開けてみなさい」

 マヤにうながされて、ユリアは横幅が十五センチ以上もある箱を取って、ゆっくりふたを開ける。

「……うわあ……!」

 クッションに包まれた箱の中から取り出したのは、見たことがない美しいつやのある箱。

 長方形の平らたいらな蓋の表面には、ラピスラズリでかたどった三日月、その先端の間に五枚の花弁かべんしたピンクダイヤモンドでケラソス――この世界での桜――の形を作ってめ込み、その周りを囲む金製のプレートには唐草からくさと月桂樹が絡み合った模様もようを施していた。

 微細で繊細な造りをしたマホガニー材に似た箱の蓋を開ければ、鉄製の鍵盤けんばんと刺のような突起がついた筒状の装置がガラスケースの奥に入っていた。
 そして、華美な装飾を施した蓋を開けた途端に旋律が鳴り渡る。

「凄い……オルゴール……」

 この世界にもオルゴールがあることに驚いたユリアはオルゴールの音色に聴きれる。
 同時に、その美しい穏やかな旋律がどんな曲なのかを理解した。

「……! これっ……!」
「気付きましたか」

 ミケーレが笑みを深めて、目を見張るユリアを愛おしそうに見詰める。

「……うん。これ、私の歌だ」

 前世のユリアが作った、譚詩曲バラードに近いポップ曲。
 前世でも楽譜がくふを作ったことはなかったはずなのに、オルゴールのために作ってくれたのだ。

 一から手探りで作るのは大変だったはず。それを相談もしないでやり遂げた。
 ユリアは二人の想いと素敵な贈り物に、感動から赤い瞳がうるむ。

「お父さん、お母さん。……本当にありがとう」

 両手で優しくオルゴールを包み込んで破顔はがんすると、ミケーレとマヤは達成感と満足感で笑みを浮かべる。
 涙が出るほど喜ぶユリアの笑顔を見ることができた。それが二人にとって何よりも勝るお礼だ。

 また一つ、大切な宝物ができた。


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