共同寮

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 イリーナに連れられたユリアは、進学式の後で人の気配が全く感じられない校舎から出て、学園の居住区へ向かう。
 およそ十五分も歩いた先にある建物は、勉学にはげむことを目的とするため派手な造りをしていないようで、外観はシンプルだが綺麗な七階建ての洋館だった。
 代わりに、どちらの玄関には整えられた庭園があり、所々に蔓薔薇つるばらを編み込んだ豪奢ごうしゃなへいで囲まれている。

 手前に女子寮、続いて男子寮があるが、イリーナは並び合っている寮のちょうど中央から、かなり離れた正面にある洋館へ進んでいく。
 黒い屋根が特徴的な洋館の大きさは巨大な各寮の半分以下――二回り小さな四階建てだが、一般と比べて少ない『黒持ち』と禍人が暮らすには充分すぎる大きさだ。
 薔薇を編み込んでいない普通の塀の奥には、芝生で整えられているが閑散とした空間が広がり、両脇にこぢんまりとした花壇、奥の隅の二ヶ所にログテーブルと四脚のログチェアが設置されている。

 広々とした味気ない玄関は、まるで訓練場のようだと感じた。
 漠然とした感想を抱くユリアに気付いたのか、イリーナは説明する。

「気付いていると思うけど、この広場は訓練場よ。平日の朝六時半に起きて魔力制御の訓練を行うの。寮監から合格を貰った人から朝食を食べに行くことができるけど、できない場合は七時まで続けなければいけない。訓練は両手に一定の魔力を込めて、魔法を五分間維持させる。得意ではない属性で訓練するから、魔法を満遍まんべんなく使うことができるようになるの」

 理に適っている訓練方法に感心して、ふと思う。自分の苦手な魔法は何だろう、と。

「ユリアの苦手な魔法は?」
「特にないです。属性魔法の持続も一時間くらいできますし……」

 以前、マヤに訓練の一環いっかんとしてさせられたことがあり、それ以来から一時間以上も持続させることができるようになった。
 通常、魔法を維持させるにはかなりの集中力と魔力が必要になる。一般的な魔力量でもできないことはないが、精密な魔力の制御コントロールを続けなければならない。早い話、魔力操作に少しでもむらが出てしまえば魔力を無駄に使ってしまい、一時間も保たなくなるのだ。

 しかし、ユリアは魔力量もる事ながら制御の技術も緻密ちみつで無駄がない。
 ユリアには簡単すぎる訓練方法に、やる気が湧かなくなってしまう。

(やっぱりそうよね……)

 難しい表情をするユリアの発言に、イリーナは苦笑いが浮かびそうになった。

「じゃあ、開発した魔法を維持させるというのはどうかしら?」
「あ。それ良いですね! ……あ。でも、重力操作は目立つから無理か」
「重力操作?」

 聞いたことがない魔法に首を傾げるイリーナ。
 当然の反応に気付いたユリアは説明する。

「重力は万物を引っ張る目に見えない力です。物が落下するのは、地面から発生している引力という力で引っ張られているから。この引力がないと、私達生き物も建物も浮いてしまいます。それを無重力と言います。とどのつまり、重力を操る魔法は地属性に該当がいとうする魔法なんです」
「……なるほど?」

 前世の知識の一部と論理でおぎなった説明に、解ったような解らないような、曖昧あいまいな感覚でイリーナは疑問符を浮かべる。

「試しに見せますね」

 この世界では、化学現象は言葉だけでは理解できない。なら、実際に見せた方が早い。
 手っ取り早く理解してもらうために、ユリアは一呼吸で魔法を発動した。
 跳躍ちょうやくする時のような勢いはなく、見せつけるためにゆっくりと浮上する。現在一六〇センチほどのユリアより一四センチも高いイリーナより目線が高くなり、頭一つ分の差で見下ろすと、ぽかんとイリーナは口を開けてしまっていた。

「まぁ、こんな感じです。風魔法による飛行術より安全ですが、勢いは風魔法の飛行術に劣ってしまいます。……どうですか?」
「……本当に何でも有りなのね……」
「魔法は想像力がかなめですから」

 当たり前のことを言えば、イリーナは乾いた笑みしか出せなかった。

「えぇええええ!?」

 その時、少女の叫び声が聞こえた。
 驚いて共同寮に顔を向ければ、見目麗しい少女が愕然がくぜんとした顔で口を開けていた。
 毛先に波打つような癖がある髪は、マヤとイリーナのような淡い色ではなく鮮烈な輝きを持つ金色。
 整った容貌ようぼう愛嬌あいきょうを付け足している、若干垂れた大きな真紅の瞳。
 綺麗な風貌だが目の形で若干童顔な印象を持たせて、更に起伏きふくとぼしい体型と小柄な身長で、余計に幼く見えてしまう。

 マヤと同じ色彩の少女の反応に、やってしまった、とユリアは頬を引きらせて静かに地面に足をつけた。

「イリーナ先生。やっぱり使えませんね、これ」
「……いいえ。ここの寮生だけでも知って貰った方がいいわよ。せっかくの才能が埋もれてしまっては元も子もないもの」

 イリーナの言葉も一理あるが、やはり無理があるのでは、と不安が過る。

「イ、イリーナ先生! い、今その人……! 浮いて……!」

 目撃してしまった少女は、震える声でぎこちなく言う。
 そんな彼女の様子に引き攣った笑みが浮かんでしまったが、イリーナは深く息を吐いて気持ちを切り替える。

「……彼女が作った地属性の魔法なのよ」
「あれが地魔法なのですか!?」

 驚愕する少女の声に、ユリアは軽く説明する。

「地属性の魔力で重力を操っているから、新しい地魔法と言えばいいかな?」
「……ひえぇぇ……」

 言葉にならない音を漏らす少女。
 仕方のない反応にどうしても苦笑いが浮かんでしまったが、イリーナは咳払せきばらいして紹介する。

「彼女はマリリン・フォン・アグラフォノス。アグラフォノス公爵の子女よ」
「……あぁ。あの最先端の技術発祥で有名な?」

 カエレスティス王国の地図を頭のすみから引っ張り出したユリアは思い出した。


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