お茶目な寮監

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 アグラフォノス公爵家が統治するアグラフォノス領。
 都市に匹敵ひとする大規模な領地は、カエレスティス王国の南東側の海沿うみぞいにある。そのため気候は常春とこはるで、南の一部は亜熱帯あねったい。滅多にない地域では、同じくらい希少価値の高い作物が生産されている。

 アグラフォノス領を治める公爵家は王族に連なる血筋であるため、権力も発言力も強い。
 しかし、現当主であり領主であるブランドン公は領民を大切にする貴族らしい貴族であるため、王家も無闇に力を削ぐことはできずにいる。
 しかもブランドン公の政策はどれもこれもが最先端で、各領地でも取り入れられるほどの領政を築き上げていた。

 領民の仕事の幅を広げるために、識字率しきじりつ向上の初等部、職業訓練ができる中等部、農業や医療の研究開発などを行える高等部といった学園を各地に開校。

 ほかにもいくつかの港を有しているため、港湾こうわん都市に匹敵するくらい海外――東の島国との交易こうえきに取り組んでいる。その積極的な貿易のおかげで、島国が独自で編み出した布製品を見つけ出し、それを独自で生産し、自ら経営しているアイーダ商会と兄弟商会と協力して、最先端のドレスを生成して着実に人気を上げつつある。

 ブランドン公が行った改革のおかげでカエレスティス王国は最先端の政策を取り入れることができ、その辣腕らつわんによる功績から例外的に中央集権を無効にされている。それ以来、社交シーズンなどの必要以外に王都に寄り付かないが、独自の領地政策によって巡りに巡って国に貢献こうけんしていた。



 政治に興味がないユリアだが、その領だけは頭に入っていた。

(地球と同じ政策なんだよねぇ……)

 平民の誰もが無償で通うことができる学園。そのカリキュラムと義務教育のシステム。アグラフォノス領が初めて設立して国内各地に普及ふきゅうした銀行。搾取さくしゅするだけだった税制の改正。保険制度などの医療の発展。果てには領内の安全な運搬業うんぱんぎょうの発展をむねにした道路整備。
 どれもこれもが地球で行われた政治政策と同じだった。

 このことからブランドン・フォン・アグラフォノス公爵は、ユリアと同じ地球から転生したのではないかという疑惑を抱いてしまった。

(その子女が、『災禍の瞳』持ち)

 警戒対象と定めた相手だが、その娘がユリアと同じ禍人と謗られる色を持っていた。
 意外過ぎて驚いたが、物怖じしない彼女の態度で、とても良い境遇きょうぐうで育てられたのだと感じた。
 恐らく異世界から転生したことから、領民の差別意識を改める働きもかけていたのだろう。そうでなければ『災禍の瞳』ということから迫害されてしまう。

 ユリアはマリリンという少女の存在で、ブランドン公への警戒心が軟化なんかしていく感覚を持った。

「えっと……ユリア・ティエールです。今年からこの学園に編入することになりました」

 とりあえず自己紹介でもしようと思い至って言うと、マリリンは更に目を丸くした。

「……編入? えっ!? イリーナ先生! 本当ですか!」
「ええ、本当よ。ちょうど春休みに決まったの。もしかして、聞かされていない?」
「はい、全く」

 はっきりと答えたマリリンに、イリーナは溜息交じりで「あの子ったら……」と呟いた。

「ハリエットはいる?」
「今呼んで来ます!」

「必要ないよ」

 不意に建物の奥から中性的な声が聞こえた。ハスキーで深みを感じる声だが、女性のものだと聴き取れた。
 片方だけではなく、もう片方の扉が大きく開かれる。そこから現れたのは、毛先が跳ねている黒いボブヘアが似合う榛色はしばみいろの瞳の女。
 すっきりとしたラインが特徴的な白い上衣にタイトな赤いスカートを着用している。

 黒髪であることと服の色合いで、まるで地球の島国の神職で有名な巫女みこのような印象を持つ。
 そして、この世界では長髪の女性が多いため、今時の女性と違って髪を短く切っていることに新鮮さを覚えた。

 三十代後半ぐらいの年齢に見えるが、もう少し年上に見えなくもない。そんな彼女は、意地の悪そうな薄い笑みを浮かべて片手を上げた。

「やあ、イリーナさん。その子が例の新入りかい?」
「そうよ。それより、ちゃんと説明しなきゃ駄目じゃない」
「多少の刺激も必要だろう?」

 つまり、ドッキリさせたいのだ。
 ニヤリと口角を上げた彼女に、イリーナは呆れ顔で嘆息した。

「あたしはハリエット・ザヴィアー。君がユリアだな」
「はい。今日からよろしくお願いします」

 ユリアが礼儀正しくお辞儀すると、ハリエットは顔をしかめる。

「あたしに堅っ苦しい挨拶あいさつはいらん。あと、敬語と『さん』を付けるなよ。あたしを敬称で呼ぶのは気に入らない奴だけだ」

 ハリエットの言葉は、ユリアを気に入っているように聞こえた。
 目を瞬かせるユリアに気付いたイリーナは小さく笑う。

「見ての通り、ハリエットは貴女と同じ黒持ち。ユリアが言った通りの人だから安心してちょうだい」
「……ん? 何のことだ?」

 怪訝な顔をするハリエットに、イリーナは学長室でのことを教えた。

「学長室で彼女が言ったのよ。『痛みを知る人こそ他人ひとに優しく在れる』――それを良く知っている子なの」
「……へえ」

 ハリエットは軽く目を見張って驚いた。

 常に冷静で柔らかな物腰だが、他人に激情をさらすことは滅多にしない。それがイリーナだ。
 しかし、今のイリーナは大切な友人を自慢する時の優しい笑顔をしていた。
 身内を慈しむ笑顔を表に出したのだ。それを引き出したユリアに、ハリエットは並々ならぬ興味を抱いた。そして、ユリアが言っただろう言葉を聞いて心がいだ。

「面白いな」

 ハリエットの呟きが聞こえたイリーナは柔和な笑顔を浮かべる。

「それじゃあ、後はよろしくお願い。ユリア、頑張るのよ」
「はい。ありがとうございました」

 きっちりとした礼を言えば、イリーナはユリアの頭を軽く撫でて去っていった。

 見送ったユリアは、共同寮の玄関へ行く。
 すると、ユリアの顔立ちと瞳がはっきりと判ったマリリンは目を見開く。

「……え。ユリアも……禍人なの?」
「そうですけど、どう思いますか? 『黒持ち』の上に『災禍の瞳』って」

 何気ない質問だが、原色の瞳の奥は気付けないほど仄暗ほのぐらい。

 もし怖がられたらどうすればいいのか。そんな不安が過る。
 けれど――

「珍しいと思う。そんな組み合わせ、聞いたことがないもの」

 それは杞憂に終わった。
 取りつくろっていない態度に安堵したユリアは表情を柔らかくする。その穏やかな表情に、マリリンは見惚れた。

「立ち話も疲れるから、さっさと中に入るぞ」
「あ、うん」

 ハリエットの一声でユリアは頷いて、二人に続いて入る。
 あっさりとハリエットのことを受け入れたユリアの自然体な態度を見て、マリリンの中で我欲がよくが芽生えた。

(ハリエットだけ狡い。私も敬語、取り消せないかしら?)

 一度芽生えた我欲は不満に変わり、徐々に膨らんでいく。
 マリリンは自分の心情を自覚して、思い切ってユリアに声をかけた。

「ねえユリア。見たところ、貴女も中等部の三年生でしょう? 同じ寮生で同級生なんだから、敬語はいらないわ」

 上品な口調で告げたマリリンの言葉にユリアは軽く目を見張る。
 自分より身長が低くて幼く見えると思ったが、意外なことに同級生。
 驚いたが、彼女の言うことも一理あるので頷いた。

「わかった。じゃあ、マリリンでいい?」
「勿論。私もユリアと呼ばせて貰うから」

 深く考えることなく受け入れれば、マリリンは嬉しそうにはにかむ。彼女の笑顔を見て、ユリアは胸の奥に広がっていく熱を感じた。

 そして思う。同年代から名前呼びされるのは初めてだと。そもそも同年代と親しくできたこと自体が生まれて初めてだ。
 新鮮な感覚を持つと同時に友人ができたことに喜びを抱き、ユリアは破顔した。
 心からの笑顔だった。ユリアの明るい横顔を見たマリリンは、ぽっと頬を赤らめた。

「……」
「……? どうしたの?」
「……いえ」

 マリリンの変化に気付いたユリアは訊ねるが、マリリンは頬の熱を隠すために前を向く。

(素敵な笑顔……。そう言ったら可笑しがられる……よね?)

 自然体な笑顔は優しくて、思わず見惚れてしまうほど綺麗だったのだ。

(この魅力を知ったら、殿方とのがたも放っておかないわ。私がしっかりしなくちゃ)

 今日が初対面なのだが、ユリアを仲間の一人だと受け入れたマリリンは、強い使命感を抱くのだった。
 決意に燃えるマリリンと、不思議そうに首を傾げるユリア。温度差のある二人の様子を流し目で見たハリエットは笑い出しそうになる声を噛み殺して肩を震わせた。


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