燻る感情

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 クレスクント国立学園の時間割は、約一時間ごとで区切りをつける。
 朝八時半までに登校し、八時四十分から十五分ほどショートホームルームを行う。九時から九時五十分の五十分までかけて一教科の授業を受けると、十分以内に次の授業の準備に取り掛かる。それを四回繰り返して午前中の授業が終わり、昼休みに入る。昼食と息抜きが一時間ほど与えられ、十三時五十分から同じく五十分もかけて授業を二回行い、十五時四十分から十五分間かけて終礼を行い、放課後を迎える。

 放課後は委員会やクラブ活動のほかに自由に時間を過ごせるため、学生のほとんどは放課後に楽しみを寄せている。特にクラブ活動は選択学科にちなんだものから文芸部など幅広くあるため、多くの生徒がクラブ活動に所属している。

 本日は、午前中に国語学、数学、大和語学、社会学、午後に歴史学、基礎的な知識を問う魔法学の学力考査に挑み、無事に放課後を迎えた。
 試験が終わるまで、休み時間も利用して復習する生徒全員はピリピリしていた。
 初めての学力考査に緊張していたユリアも、過ぎればピリピリした緊張感から解放される。

 ほっと一息ついていると、マリリンが声をかけてきた。

「ユリア、試験の手応えはどうだった?」
「ばっちり。マリリンは?」
「私も大丈夫。……でも、結果が怖いわね。できることなら上位の順位につきたいけれど……」

 鞄に筆記用具を入れるユリアは、マリリンの呟きに目を丸くする。

「順位、判るの?」
「ええ。ちなみに、エドモンは学年首席よ」
「えっ! 首席!? 凄い!」

 驚くと同時に、キラキラと瞳を輝かせて称賛の声を上げるユリア。
 クスクスと笑ったマリリンは、ユリアの隣にいるエドモンを見下ろす。
 純粋にたたえるユリアの言葉を聞いた彼は、眉間にしわを寄せてマリリンを一瞥いちべつする。

「余計なことを言うな」
「事実なのに? それとも、ユリアに褒められるのは嫌なの?」

 にこにこと良い笑顔で訊ねるマリリン。
 眉間のけわしさが更に刻まれると、エドモンは立ち上がる。

「下らん」

 辛辣しんらつに吐き捨てたエドモンは、そのまま教室から出て行った。
 見送ったユリアは、どこか苛立っていた彼の様子に気付き、少し気が沈んだ。

「私……不快なこと言っちゃった?」
「いや、言ってないよ。……あいつがあんな露骨ろこつな態度を取るなんて滅多にないんだけど」

 ジークフリートはフォローしつつ不思議そうに言い、マリリンとノエがいる上の席を見上げる。
 マリリンはユリアと対照的に楽しそうな笑顔を、ノエは困った表情で微笑を浮かべていた。
 三者三様の表情に、ジークフリートは怪訝けげんな顔でたずねた。

「寮で何かあったのか?」
「うーん……何て言うか、エドモン……難しく考えすぎて素直になれていないみたいでさ」
「どういうことだ?」

 ノエの隣にいるハイラムも気になって便乗するが、マリリンはにこりと笑って人差し指を口元に当てる。

「まだ確証がないから断言できないの。ただ言えるのは、エドモンも少し鈍いってこと」

(自分自身の好意にも無自覚なところもあるのよね、彼)

 内心で意味深に呟いてマリリンは、クスクスと笑った。
 そんな彼女の様子にノエは苦笑し、ジークフリートとハイラムは疑問符を飛ばすのだった。



 一足先に共同寮に戻ったエドモンは、鞄の中身を全て本棚に入れると椅子に腰かけた。
 深く息を吐き出して背凭せもたれに後頭部をつけ、疲労感から目を閉じる。
 すると、まぶたの裏にユリアの表情が浮かんだ。裏表のない純粋な尊敬を込めたそれは嫌なものではなかった。
 だが、マリリンの視線を感じると苛立たしくなり、必要のない悪態を吐いてしまった。


 ――ユリアに褒められるのは嫌なの?


 嫌ではない。けれど、それを答えれば周囲の目が鬱陶うっとうしくなると直感的に感じて否定した。

 あの後、ユリアはどんな反応をしたのだろう。不快に思ったのか、落ち込んだのか。
 ここで、自分の思考がユリアについて占められていることに気付く。

「……下らない」

 一時期の気の迷いだ。そう断言したくても焦燥しょうそうに似た感情が胸中に広がる。
 次第に苛立たしくなっていき、椅子から立ち上がった。

 考えても切りがない。近年で流行り出したコーヒーでも飲みに行こう。そう決めて部屋から出た時だった。

「ねえ、ユリア。エドモンのこと、どう思っているの?」

 ちょうど帰ってきたのか、一階でマリリンが問いかける。
 タイミングが悪いと内心で舌打ちして、部屋に戻ろうとしたが……。

「え? 優しい子だと思ってるけど……」

 その一言で、ドアノブに触れる前に手が止まる。

「優しい?」
「うん。だって、初対面なのに気遣ってくれたんだよ? 言葉は厳しいけど、裏を返せば心配してくれたんだなぁって」

 昨日、今にも倒れそうになった時は「倒れられる方が迷惑だ」と冷たく言った。それは倒れることで面倒がかかるからではなく、余計な心配をしたくなかったからだ。
 エドモンは確かに、表面上では判りにくくても、心の底では心配していたのだ。
 まさか自分でも気付かなかったことに悟られるとは思わなかった。

「不器用だけど優しいところ、私は好きだよ」

 そしてユリアは、温もりを感じさせる声音で優しく言い切った。

 瞠目どうもくするエドモン。一階では一緒にいるノエが「直球に言うね」と苦笑混じりに言う。

 ノエの声で我に返ったエドモンは、勢い良く扉を開いて中に入った。なるべく静かに閉じたはずが、いつもより大きな音を立ててしまう。
 いつになく動揺しているのだと自覚すると同時に、集まる熱を感じて右手で顔全体を覆い隠す。


 ――好きだよ。


 純粋な好意の言葉だと解っている。それでも、このタイミングでその言葉を聞いたエドモンは、心が散り散りに掻き乱された。

「……どうしろと」

 焼け焦げるような熱を、どう鎮めればいいのか。
 消化不良な感情にさいなまれるあまり、無意識に苦悩の声を漏らす。
 心が荒れ狂うようだ。けれど、はっきりと不快な感情だとは言えない。そう感じてしまう事実を自覚して、エドモンは更に頭を悩ませるのだった。


◇  ◆  ◇  ◆



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