修祓師

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 この世には正常な人の営みが続いている表世界と、人々の平穏な日常を脅かすモノが蔓延はびこる裏世界がある。
 正と負があるように、表世界は秩序を司り、裏世界は混沌を司るとされている。

 裏世界に潜むよこしまな存在――
 それが、悪霊や妖怪といった異形――霊的な化け物。

 大昔に比例ひれいして、江戸時代から裏世界の被害が増えつつある。しかし、世の中の人々はその存在に気付かない。
 裏世界の住民はそれをいいことに人々を襲っている。

 取りかれて衰弱死すいじゃくしを迎える者。
 事故に見せかけて殺される者。
 血肉を狙われ、直接手にかけられる者。

 化け物の被害が相次あいついでいる世界で、とうとう日本の政府は化け物の存在を認め、明治時代から化け物退治をする職を政府機関の一部として取り扱うようになった。
 だが、彼等にも限界がある。ただ倒すだけでは完全に祓いきれない。

 そこで政府は、もう一つの知られざる一族に助力を願った。
 それが、修祓師という退魔職たいましょくを生業とする神成家。

 神成家は退魔の能力を有する一族なのだ。
 二百年前の江戸時代に現れた、摩訶不思議まかふしぎな霊能力を持つ者を起源きげんに誕生した修祓師。

 ただし、修祓師になるためには条件が必要となる。
 霊能者であり、悪鬼退散あっきたいさんに必要な霊力を秘め、魂の根幹こんかんに眠る霊なる武器を目覚めさせる素質がある者。

 修祓師にとって一番のかなめは、霊なる武器を目覚めさせる素質。それが、修祓器しゅばつきと呼ばれる退魔の武器の顕現けんげん

 修祓器は魂に宿る霊力から生み出される武器。形状は個々の内面、趣味や嗜好しこうによって千差万別せんさばんべつで、術師本人の任意で選ぶことはできない。しかし、その形状は術師に一番適した形状であり、特殊な能力も付随ふずいしている場合もある。
 付随する能力は、術師の本質に反映はんえいされるのだが、現在の修祓師の門下生は気に留めていないようで、江戸時代におこした頃と比べて修祓師の質が下がっている。
 それでも時代によって霊能者が激減しているので、修祓師の素質を持つ卵が発見されると、一族が手塩てじおをかけて育成し、一族の一部として吸収している。



 神崎詩那は、そんな神成本家に生まれた母親を持っていた。
 過去形であるのは、詩那が十歳の頃に修祓師の父親とともに交通事故にい、帰らぬ人となったからだ。

 残されたのは、詩那と、血を分けた双子の妹と年下の弟。
 当初は神成家に引き取られ、修祓師としての教育をほどこされていた。

 しかし、詩那は修祓師の才能に目覚めなかった。歴代最強と称するに相応しい霊力と実力を兼ね備えているというのに、修祓器が開花することはなかった。それ故に『出来損ない』の烙印らくいんを押され、分家や門下生から『神成家の汚点』と揶揄やゆされている。

 そんな詩那の代わりに、修祓師として修行を初めてすぐの頃に修祓器を顕現した妹と弟が、修祓師として本家に取り込まれてしまった。
 詩那は息苦しい環境の中から抜け出すために、中学へ進学することを機に一人暮らしを始めた。

 大切な妹弟きょうだいと離れ離れになる苦痛に襲われることもあった。
 二人から離れることで見捨ててしまうのではないかという罪悪感にさいなまれることもあった。
 けれど詩那は、今日こんにちまで過ごすことができた。

 ……自身が秘める霊力に誘われて狙ってくる妖怪にしばしば襲われているが、その場合は詩那自身の霊力を駆使くしして倒している。
 詩那の親友である一颯にも伝授でんじゅしたため、同じように化け物に狙われやすい一颯も対処できるようになったことは秘密の話だ。

 そんな特殊な経緯を持つ詩那は、菱樹が言わんとしていることが手に取るように解ってしまう。

「残念ながら、私の周りには修祓師の才能がある人なんていないよ」
「……そうか」

 先読みして伝えれば、菱樹は困ったような表情で笑った。

「それより詩那。本当に神室かむろ学院を選ばなくて良かったのか? あの子と同じ学校を楽しめるはずじゃったのに……」
「何度も言うけど、私には修祓師の力はない。違う戦い方ができたとしても、あの子と姉妹という時点で、私が神成家の人間だって気付かれる。そこでも『出来損ない』のレッテルを貼られたら心労で倒れて中退……なんてこともあり得なくないんだからね」

 変化球で来た話の内容に渋面を作り、苛立ちを隠しきれない所為せいで、つい刺々しい声で言葉を返してしまう。

 都会に近い位置にある神室学院は、通常の高校とは違い退魔科たいまかという学科がある。霊感や霊力を持つ者がこぞって入学することで有名だが、はっきり言って詩那にとって苦痛以外の何ものでもない。
 妹と同じ学校に通えない悔しさと寂しさはある。けれど、自分をかえりみることもしなければならない。でなければ――『昔』と同じ運命を辿ってしまう。

 脳裏に過る『過去』が詩那を苦しめる。だが、それがあるからこそ詩那は前を向ける。
 新しい運命を切り開ける。その力を実感できるのだ。

 苛立ちが幾分か落ち着いて、改めて菱樹を見る。すると、彼は目を丸くしてしまっていた。

(……あ、しまった)

 言い切った瞬間に焦りから表情が硬くなる。
 口を引き結んで視線を彷徨わせる詩那。そんな彼女を見詰める菱樹は、力無く笑みを浮かべる。

「本当に……おぬしは良く先を見据えているな」
「……自分に甘いだけだよ」
「そうだとしたら、罪悪など感じんぞ。詩那、おぬしはちと自分に厳しすぎる。あまり自分を責めるでない」

 神成家の当主としてではなく、一人の祖父として、詩那にさとすように優しく言い聞かせる。不意に見せた当主の顔ではない菱樹の言葉に、詩那は肩の力が抜けた。

「……善処ぜんしょする。……って、もうこんな時間?」

 部屋の奥にある置時計に目を向けると、午後五時まで、あと数十分を切っていた。
 目を丸くした詩那は慌てて鞄を取り、冷めてしまった緑茶を飲み干す。

「お祖父ちゃん、ごめん。そろそろ帰らなきゃ……」
「泊っていくと良いのじゃが……仕方ない。じゃが、その前にあの子達に会っていきなさい。おぬしに会いたいと愚痴ぐちるんじゃ」

 溜息混じりで伝えた菱樹に、詩那は穏やかな笑顔で頷く。

「うん、そうする。じゃあ、また」
「うむ。体には気を付けなさい」
「お祖父ちゃんもお体、ご自愛じあいくださいね?」

 最後に気取ったような口調で言い、詩那は応接室から出た。
 残された菱樹は、切ない感情を秘めた複雑な微笑びしょうを深める。

「本当に、詩那はお前の孫娘じゃな。……理紗りさよ」

 今亡き妻を思い出させる孫娘。
 傍に置いて、危ない目に遭わせたくない。しかし、彼女は今亡き妻と同じように自由を好み、自分の足で立って進むことを選ぶ。
 大切な妻に似た、そして今亡き娘にも似ている孫娘の背中が遠くなっていくことに、菱樹は一抹いちまつの寂しさと切なさを覚えるのだった。


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