神成家当主

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 静かに歩いて屋敷の奥まで行くと、松とつるを描いた豪奢ごうしゃふすまの前に着いた。

「当主様、お連れ致しました」
「……入ってくれ」

 東藤が襖越しで声をかければ、低くしぶみのある声が告げた。
 失礼します、と一言告げた東藤は片方の襖を静かに滑らせ、詩那を先に中へいざなう。小さく頷いた詩那は踏み出して、部屋に入る。

 十五畳くらいありそうな広い部屋は、いわゆる応接間。廊下と同じ深みのある渋い色の床。向かい合うように設置された天鵞絨ビロードのソファー。その間に低めの横に長いテーブルが置かれ、急須きゅうすと二個の湯呑が置かれている。

 声の主は、上質なソファーに腰掛けていた。
 元は黒だったのだが歳を重ねるごとに脱色し、今では毛先は白く、根元は灰色に変わってしまった髪。しかし、御年おんとしで七十二歳にもかかわらず頭髪は寂しくなく、むしろしっかりと生え揃い、後ろに流すような髪型に整えられている。
 目元と頬に刻まれたしわは威厳をかもし出しているが、今は黒曜石のような瞳を細め、穏やかな好々爺こうこうやを思わせる微笑みを詩那に向けている。
 薄藍色の着流しに紺色の打掛うちかけを羽織った、年を感じさせる風貌に似合わぬほど背筋を伸ばしている老人は、詩那ににこやかに話しかけた。

「久しいな、詩那。会うのは何ヶ月ぶりじゃろうか」
「……入学式が始まる前だから、一ヶ月半ぶりだよ。久しぶり、お祖父ちゃん」

 息が詰まりそうな場所。けれど、おきなの柔らかな笑顔で肩の力が抜ける。

 男の名前は、神成菱樹かんなり りょうじゅ
 詩那の実家である神成本家の当主であり、詩那の実の祖父。

「立ち話もなんだから、座らんか」
「ん」

 小さく頷いた詩那は向かい側のソファーに座り、学校用の鞄を足元の床に置く。その間に菱樹は保温性の高い急須から湯呑に温かな緑茶を注いだ。

「あ……ありがとう」
「礼には及ばん。おぬしはわしのれる茶が好きじゃろう? ただ美味いと言ってくれるだけで充分じゃ」

 菱樹の柔らかな声音に、詩那も柔和な笑みを浮かべて頷く。
 厳格な当主で有名な菱樹だが、孫娘にはどこにでもいる普通の祖父の顔をしている。
 退出する直前に見た東藤は目を丸くしたが、すぐに我に返って襖を閉じた。

 微かな音を耳にしつつ湯呑を持ち、息を吹きかけてゆっくりと飲む。すると、旨味うまみが口の中を満たし、香ばしい香りが鼻腔びこうくすぐる。

「……うん。やっぱり、お祖父ちゃんの淹れるお茶は香ばしくて美味しいね。凄くほっとする」
「それは何より」

 朗らかな笑顔で頷いた菱樹も淹れて間もない緑茶を啜る。保温性能のおかげで温度は保たれ、茶葉もタイミングよく取り出したため芳醇ほうじゅんな味わいが口一杯に広がる。
 自分で淹れた緑茶に満足した菱樹は話を切り出す。

「さて、詩那よ。学校生活はどうじゃ」
「ん、順調だよ。成績は十位以内に入っているし、体育の授業で試合をすると、親友と一緒に引張りだこになっちゃうし」
「ほう。その親友との仲は?」
「凄くいい。一緒にいて気が楽だし、趣味も合うし、楽しいよ」

 簡単に近況を報告した詩那は、一番気になっていることを訊ねる。

「お祖父ちゃん達もそうだけど……あの子達は元気?」

 あの子達とは、詩那にとって掛け替えのない身内。
 唯一ゆいいつ心から家族と思える大切な存在。

 寂しそうな微笑を浮かべた詩那の心情をみ、菱樹は鷹揚おうように頷く。

「わしらもそうじゃが、あの二人も充分元気にやっている。……ただ、な……」
「ただ……何?」

 言葉を濁して勿体もったいぶる菱樹に優しくうながすと、彼は苦い表情を浮かべる。

「……ただ、陰でブラックリストを作っておるようでな。おぬしの害になる門下生を粛清しゅくせいしとる」
「あらら……」

 思わず驚きの声とともに苦笑してしまった。

 あの子達ならやりかねない……と胸中で呟く詩那は、不謹慎ふきんしんにも嬉しいと思ってしまった。
 そばにいてあげられないのに心からしたってくれていると、他人の目からでも判る行動をしている。多少過激でも、これでは注意できそうにないと感じてしまうほど。

 詩那は、自分が家族に甘いことを自覚している。直した方がいいと指摘されたことはないため今まで直そうとしなかったが、そろそろ姉離れさせなければいけないと後々苦痛になるだろう。
 詩那も、そして彼女の大切な家族も。

「それってほとんどの人達だよね? 大丈夫なの?」

 気を取り直して指摘すると、菱樹は呵々かかと笑う。

「あれしきのことで音を上げるようなら修行が足らん。そもそも根性が捻じ曲がっている時点で破門にしたいところじゃが……」

 最後の最後で、菱樹は深い溜息を吐く。

「霊力を持ち、尚且なおか修祓師しゅばつしの素質がある者も徐々に減りつつある」

 菱樹の深刻な悩みに、詩那はそっと目を伏せた。


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