異形

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 帰りも東藤に送ってもらった詩那は、一度帰って洗濯物を取り込んで、制服から質素な私服に着替えて食料の買い出しに向かった。
 時刻は六時を過ぎた頃。ようやく近くのスーパーから出て家路を歩く。
 顔を上げれば茜色から群青色に変わりつつある空が見え、不思議と心が落ち着いた。
 本家に行く途中まであった、靄がかかったような黒々とした感情が洗い流される。

(少し……歌いたいな……)

 心が癒されると衝動を覚え、そっと口ずさんだ。

「君と見た空、鮮やかな色。今も覚えてますか?」

 高低を操り、切なく、穏やかな音色を奏でる。
 それは、『昔』の詩那が作った歌だ。

「想いを込めて奏でた歌は。今でも記憶の中に、刻み込まれている」

 切ないサビの部分を心地良く歌いきると、詩那は満足そうな笑みを浮かべた。
 住宅街の中だが、今は誰もいないため気にならない。それがとても気持ち良かった。


「――」


 しかし、そう言っていられなくなった。
 チリッと小さな痛みが首筋に刺さる。無意識に高まる緊張感に、詩那は顔をしかめる。

「本当、逢魔おうまが時って嫌だなぁ」

 夕方の薄暗くなる頃――逢魔が時。文字通り、からぬものと遭遇そうぐうしやすい時間帯だ。
 溜息を吐いた詩那は周囲にある禍々まがまがしい気配を数える。

(一、二……うわぁ、八体? しかもこれ……)

「妖怪じゃ、ないし……」

 渋面を作って嘆息した詩那は、住宅街の中にある公園を通り過ぎ、広い十字路に踏み込む。


 ――刹那、禍々しい気配が勢い良く飛びかかった。

 咄嗟に身をひるがえしてかわせば、コンクリートで舗装ほそうされた地面に亀裂が入る。道のすみに食材を入れたエコバッグを置いて向き合えば、大型犬が詩那を睨んでいた。
 雑種犬のようだが目は赤く血走っている。通常ではありえない状態に、詩那は眉間をけわしく寄せる。

魂喰たまぐいか」

 魂喰とは憑霊ひょうれいの一種。人間や獣の精気を捕食する化け物で、憑いた生物の体を乗っ取り、他者を襲って血肉を喰らい尽くす。
 妖怪に分類されず、悪霊として知られているのは、その生態せいたいが原因している。
 実体はあるが、何かをした黒いもやの状態なので、通常は触れられない。霊力を持つ人間でも肉体に宿っていなければ倒すことも難しい。
 だが、浄化の力を持つ詩那のような人間は、普通に触れることも倒すこともできる。
 一体だけなら丸腰の詩那でも対処できる。
 しかし、大型犬だけではなく中型犬の雑種が六体も現れた。
 計七体。同種との協調性が皆無かいむな魂喰が連携しているという異常な光景に、嫌な予感が膨らんで脳に警鐘が鳴り響く。

 その時、ゾッとするほどの悪寒が体中に走った。

 地面を強く蹴って後退すると、先程いた場所に見たこともない巨体を持つ生物が長い尾を叩きつけていた。
 バックステップで距離を置けば、それは生物ではなく化け物だと認識する。

 蛇のような鱗に覆われた、長くて太い尾。しかし、それは下半身のみ。人間のものと同じだが、大熊のように大きな上半身が接着している。
 巨大な体躯。木の幹のような太い腕。大人の頭が三個分くらいありそうなほど大きな人間の頭。
 歪な化け物を目にした詩那は、体の奥底からの震えを感じた。

「う、そ……。何で……禍殲卑まがつひが……」

 掠れた声に、人間の男の頭を持つ化け物は、にたりとわらった。

 人間や獣が負の感情を抱えて死ぬと変化する化け物。それが禍殲卑。
 妖怪に分類されるが、ただの妖怪ではない。禍殲卑は、人間や獣を襲って魂を喰って進化する。
 進化するたびに知能のほかに姿形まで変貌するため、『伊呂波』で階級をつけられている。

 腐敗した人間や獣の骸の形状は、初期段階の『波』。
 人間や獣、または人間と獣が合わさったような歪な姿は、進化段階の『呂』。
 人間や獣となんら変わりないが、優れた知能や能力を持つ、最終形態の『伊』。

 この『伊』の禍殲卑は、熟練の修祓師でも太刀打ちすることが難しく、油断した時点で命を落とす。
 それだけではない。上位に進化した禍殲卑は知能を以て、魂喰を従えることができる。
 今、目の前にいる禍殲卑は『呂』の中でも上位。その証拠に七体の魂喰が周辺を固めていた。

(これ……絶対死ぬ……!)

 絶望的な状況に心が折れかける。それでも瞳には諦めを宿さない。

「ほぉー。俺等の知識を持つなら……お前、裏側の人間だな? ハハハ、これは久々の馳走ちそうだ!」

 ハキハキと人語を話せる時点で『伊』に進化しようとしていることが判る。
 それでも詩那は恐怖を吹き飛ばすために、ダンッと地面を強く踏みつけた。

(ただでは死なない……。せめて魂喰だけでも……!)

 このまま放置すれば魂喰による被害も出る。禍殲卑に喰われれば進化をうながしてしまう以前に輪廻転生も叶わず消滅してしまうが、無意味に死ぬことはしたくない。

(最期に……あの子達に会えて、良かったかもしれない)

 死ぬと決まっている訳でないが、何となく思った詩那は僅かに口角を上げて、自嘲じちょうを浮かべた。

『グルァ!』

 次の瞬間、魂喰が一斉に襲いかかってきた。
 詩那は強く地面を蹴ると助走をつけ、まずは中型犬の魂喰に向けて特技の回し蹴りをます。

『ギャンッ』

 悲痛な鳴き声をあげた魂喰は、一瞬で霧散した。

 ただの蹴りではない。霊力を纏わせた足での蹴りだ。
 詩那に修祓師としての力はない。その代わりに幅広い武術を習得した詩那は、手足に霊力を纏わせる技術を編み出したのだ。
 詩那の霊力には浄化の力が宿っていることもあり、そのおかげで大抵の悪霊や魂喰は一撃で倒すことができる。

(まずは一体……)

 詩那の着地するタイミングを見計らい、いやな笑みを浮かべる禍殲卑が大きな拳を振り下ろす。
 見越していた詩那は素早く転がるように回避し、瞬時に体勢を立て直して、口を大きく開けて飛びかかる魂喰を紙一重で避け、眉間に拳を叩き込む。

(二体、三体……)

 二体目に続いて三体目を蹴りで倒したところで、余裕な笑みを浮かべていた禍殲卑が表情を消し、大蛇の尾をむちのように振るう。
 詩那は大きく飛び退いて回避するが、すぐ近くに大型犬の魂喰が迫っていた。

「くっ――!?」

 なんとか体をひねって避けたが、視界の端に禍殲卑の尾が映った。

「ガッ……!」

 ほぼ反射で左腕を上げて横へ一歩を踏み出すが、尾によって殴り飛ばされた。
 直撃を避けたのはいいが、骨がきしむほどの威力の所為せいで塀に体を打ち付けてしまう。

「カハッ……! ぐっ、ぅ……っ」

 激しい衝撃で脳震盪のうしんとうに襲われる。地面に倒れ伏した詩那は必死に動こうとするが、体中の痛みで這うことすらできない。
 唸り声を上げる四体の魂喰が詩那を包囲する。

(ここまで、か……)

 薄れかける意識の中で、詩那は泣きたい衝動に駆られた。

(せっかく……転生したのに、なあ……)

 誰にも話したことがない、詩那の最大の秘密。

 それは、平行世界パラレルワールドの現代から転生したこと。

 転生する前の記憶の断片がよみがえったのは幼稚園児の頃。
 最初は最悪な記憶が多すぎて苦悩したが、新たな人生を手に入れたことに喜んだ。

 しかし、現実は優しくなく、厳しい運命をせた。
 過酷な世界でも力の限り立ち向かった。それが、最悪の形で終幕をむかえようとしている。

(……やだ、なぁ……)

 掛け替えのない親友に「また来週」と挨拶した。
 大切な妹弟と夏休みに会う約束をした。
 けれど、それが嘘に変わってしまう。

(ごめん、ね……)

 目の奥が熱くなり、溢れた涙がこぼれる。

 とどめを刺そうと飛びかかる魂喰。 死を覚悟した詩那は、そっとまぶたを閉じた。


 ――しかし、更なる痛みが一向に来ない。代わりに、温かい何かに包まれた。


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