修祓器

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 ここで、詩那は自分の修祓器が普通ではないことに気付く。
 いくら特殊な武器とは言え、詩那の修祓器のように便利なものではない。いくら霊なる化け物を倒したとしても、死後の魂が犯した罪まで清めることはできない。

 生前の罪はともかく、死後の罪は数えられない。ただし、犯した分だけ魂が穢れる。
 修祓師は、そんな魂を回収して穢れを祓い、禊を施す。そうすることで、この世――現世に留まることなく黄泉の旅路へ送ることができる。

 しかし、詩那の修祓器『彼岸桜』は、その手順がいらない。
 霊的なものに対して一撃必殺と言っても過言ではない効果を持ち、更にその場で魂を浄化して、黄泉へ旅立たせられる。
 不思議な打刀を見詰めていると、『彼岸桜』は粒子のように消えた。
 ふわりと手元からなくなった修祓器が魂魄に戻ったことを感じる。

「ゔッ……!」

 次の瞬間、体の痛みが全身に走り、膝の力が抜けた。踏ん張ることができなくて、ギュッと目を閉じて身構える。
 けれど、痛みは来ない。代わりに温もりを感じて、また彪人に抱き留められたのだとさとった。

「全身を打撲したのだ。あれだけ動けばガタが来るのも当然か」

 呆れ交じりで詩那の容態を見抜く彪人。
 体中の痛みの所為で曖昧な笑みすら浮かべることができない。

 詩那の歪んだ表情に柳眉を寄せた彪人は、懐からある物を取り出し、詩那の目に触れるように差し出す。
 それは、扇子。全てが純白で彩られているため、どんな素材で作られたのか判らない。

「これで自分を扇いでみろ」

 どうして軽い風を起こすだけの扇子を使えと言うのか。
 解らないが、詩那は言われるとおりに扇子を取って軽く振って広げる。

 軽い音を立てて広がった扇子の扇面せんめんには、和紙ではない丈夫な絹に似たものが貼り付けられている。絹のような光沢感のある淡紅色の扇面には、白い桜の雅やかな絵が中彫りを施した中骨まで食み出すほど描かれていた。

 儚い絵柄と色遣いの割に華美な風情のある扇子を見て、何故か胸の奥が締め付けられ、焦がれるほど熱くなる。

(何だろう……。なんか、懐かしい……?)

 初めて見るのに、初めての気がしない。

 不思議な感覚に支配された詩那は、戸惑いながら自分に向けて扇ぐ。
 軽く扇いだはずなのに、ふわりと長い髪が揺れるほど強い風が生じる。その風から清浄なる気を感じ取った途端に、体が軽くなる。
 まるで、最初から怪我をしていなかったような……。

「……え? ……あれ?」

 彪人に寄りかかっていた詩那は離れると、打撲したところに触れる。
 左腕と背中に手を当てるが、痛みが綺麗さっぱり消えていた。
 驚き顔で何度も確認する詩那を見ている彪人は、喉を鳴らして笑う。

「それは浄化の他に治癒の力が宿っている。その扇子に扇がれた者はたちまち癒える」
「……すごい」

 彪人の説明を聞いて扇子に目を向ける。眺めると、不意に頭の中に何かが浮かんだ。

「……白桜はくおう?」

 浮かんだ言葉を口に出せば、彪人が息を呑む。
 同時に扇子が淡い光を放ち、白い球体になると詩那の胸に飛び込んだ。

「へっ? えっ、何で!?」

 詩那の中へと消えた扇子に驚愕する。
 手を当てて、バクバクと音が鳴る心臓を胸の上から押さえる。

 落ち着け、と頭の中で何度も繰り返しながら思考回路を働かせようとする。

(落ち着け……落ち着くんだ、私! ただ浮かんだ名前を口にしただけ……ん? 浮かんだ、名前……?)

 混乱しかける頭が、何かに引っ掛かる。

(精神世界で修祓器を手に入れた時と同じ……? じゃあ、あの扇子は……)

「……修祓器?」

 導き出した答えに目を丸くして、彪人を見上げる。
 彼は無表情だが、雄弁ゆうべんな瞳に哀愁あいしゅうが秘められていた。

「あ、の……ごめんなさい」
「何の謝罪だ」
「だってあれ……貴方の物でしょう? なのに……」

 望まずして奪ってしまった。その罪悪感から眉が下がる。
 そんな詩那に、彪人は小さな笑みを浮かべる。

「あの修祓器は持ち主を選ぶ。扱えるのも持ち主以外ありえない」
「……そうなの?」
「ああ。俺の見込み通り、あれはお前を選んだ。だから気にする必要はない」

 気遣うのではない、ありのままの言葉。
 詩那は胸に当てている手を軽く握り、小さく頷いた。

「それより、ここから離れないか? 長居すると、騒ぎを聞きつけた民間人が来るぞ」
「あっ!」

 彪人に言われて、ハッと気付く。

 コンクリートの地面と塀が無残にも壊れているこの場に居続ければ警察に捕まる。そして血縁である神条家の人間が来て、修祓師の力が開花したことを知られると拘束される。
 自由を望む詩那にとって、それだけは絶対に避けたい。

 血の気が引いた詩那は辺りを見渡し、食材を入れているエコバッグを見つけて拾う。中身は奇跡的に無事だった。

 ほっとした詩那は、彪人に振り返る。

「彪人、帰ろう」

 契約時以外で、初めて彪人の名前を呼ぶ。そして、身内と受け入れた証である言葉をかけた。

「……ああ」

 ちゃんと詩那に受け入れられたのだと感じられた彪人は小さな笑みを浮かべて応え、詩那と共に夜道を歩いた。


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