覚醒

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 瞬きした直後、詩那は男の腕の中にいた。
 驚きのあまり声を上げそうになったが、何とか呑み込んで辺りを見渡す。
 現在地は上空。群青色に染まった空の地平線が赤く色付いている景色と、明かりが点いた家屋が立ち並ぶ住宅街が一望できる。

 元の世界に戻ったのだと自覚して、肩の力が抜けた。

「どうした?」

 形の良い柳眉りゅうびを寄せる男――彪人の声に、詩那は小さく笑む。

「……ありがとう」

 きっと、あれは詩那の精神の根幹が形作った世界――精神世界なのだろう。
 彪人と仮でも契約したことがきっかけだったのか、そこで武器を手に入れた。

 ――修祓師の命である、修祓器を。

「貴方のおかげで戦える」

 体の痛みはある。それでも確固たる決意が宿り、力が湧く。
 さっきまでの弱々しさがなくなったことに驚いた彪人は、その眼差しを直視して息を詰め、そっと目を伏せた。

「……本当に戦えるのか?」
「多分。貴方と契約したからかな……?」

 胸に手を当てて呟いた詩那は、小さく息を吸い込み――

「――『彼岸桜ひがんざくら』」

 吐息と共に、そっと紡ぐ。
 胸の奥に熱が灯り、手を離すと光の球が胸部から現れた。
 うっすらと桜色がかかった白い光を右手で掴んで横へ振るえば、光の中から一振りの打刀が音もなく抜かれた。

 神々しい打刀を目にした彪人は目を見開き、詩那を凝視する。

「魂喰、お願いしていい?」
「あ……あぁ。……無理だけはするな」

 うん、と柔らかな笑顔で頷き、詩那は彪人の腕から抜け出す。
 十メートル以上の高さに一瞬だけ怯んだが、真下には『呂』の禍殲卑がいる。
 それを良いことに、詩那は着地に備えた。

「ぐがっ!?」

 目を丸くして固まっている禍殲卑の顔面を踏みつけ、華麗に地面へ降り立つ。
 短い悲鳴を上げて顔を押さえる禍殲卑は、血走った目で詩那を睥睨へいげいする。

「こっ、のぉ……! クソガキがァ!!」

 握り締めた拳を振り被り、鋭く突き出す禍殲卑。
 弾丸のように放たれた拳だが、詩那は一歩横へずれようと足を動かす。
 しかし、ズキッと走る痛みの所為で強く踏み出してしまう。

「……あれ?」

 一歩だけ踏み出した。たった一歩のはずが、五メートルほど離れた場所で立っていた。
 体中は痛むのだが、打刀『彼岸桜』を出してから、体が羽根のように軽くなったことに気付く。

「どこ行きやがった!?」

 禍殲卑は目の前から消えた詩那を探している。その姿を見て、残像すら作らなかったのだと理解した。
 もう一度、今度は軽く踏み出す。すると、思い描いた通りに禍殲卑の背後に立つことができた。

(なるほど、神速か)

 何となく『彼岸桜』の効果を理解し、操るコツを掴み始める。
 思案していると、後ろから魂喰の気配を感じた。
 迫りくる大型犬の魂喰。だが、詩那は振り返らない。
 飛び上がった魂喰は詩那の頭部を狙う。

 ――刹那、熱を帯びた何かが魂喰の胴体をつらぬいた。

 それは、槍をかたどった黒い炎。
 黒炎が貫通した瞬間、魂喰は一瞬で消し炭になり、突き刺さったコンクリートの地面が音を立てて壊れる。

 破壊の音が背後から聞こえた禍殲卑は勢い良く振り返りながら裏拳を下から放つ。
 鋭い攻撃だが、詩那は強く踏み出して、すれ違いざまに禍殲卑を――斬った。

 料理に使う肉ではない、生き物の肉を切る手応えに顔をしかめる。
 初めての感触に気持ち悪くなりかけたが、気を抜かないように素早く振り向く。

「……え?」

 そこにいたのは禍殲卑ではなく、人間の男だった。
 中年期を迎えたばかりと思われる男は自身の手を見詰め、大粒の涙を流していた。

 靄のように消えかける霊体。完全に消える直前に、男は泣き笑いの顔で口を動かす。

『――ありがとう……』

 儚く消えた禍殲卑だった男の霊。感じ取っただけでは判断しづらいが、おそらく黄泉への旅路へつくことができたのだろう。

 旅立った男を見送った詩那は、涙ながらの感謝に鳥肌が立つほどの震えを心に感じた。

「なるほど。その刀は一撃で魂を浄化し、黄泉へ送るのか」

 かたわららに降り立った彪人の声で我に返った詩那は彼を見上げる。
 そこで彼が現代では珍しい和服姿ということに気付く。
 先程まで抱きしめられていた状態だったので、彼の服装が判らなかったため驚いた。

 藍染の帯で締めた、濃厚だが上品な緑色の着物と、藍染のはかま。その上に若竹のような黄みの薄い爽やかな緑色の羽織を纏い、前を銀の羽織紐で固定している。
 髪はけがれを知らない白で、瞳は宝石のような金色。そんな異国情緒いこくじょうちょを感じさせる風貌だというのに、不思議と和装が似合う。
 和洋折衷わようせっちゅうの人形と表現できる美貌に、詩那は目を奪われた。

「さて……」

 彪人は唸り声を上げつつ後ろ足を引く魂喰を一瞥いちべつする。その眼差しは、氷のように冷え切った鋭さを帯びていた。
 たったひと睨みを受けただけで本能が委縮したのか、魂喰は一歩も動けなくなる。そのすきを彪人は逃さず、右手に灯した黒炎を無造作に放つ。軽く手を振っただけだというのに、三本の黒炎の矢が魂喰に向かい、的確に射貫いぬいて肉体と共に本体を消し炭になるまで燃やし尽くす。

 あっという間の出来事に、彼が戦闘において手練てだれなのだと判った。

「一瞬で……」
「魂喰など、ただの羽虫だ」

 さらりととんでもないことを言われて苦笑いが浮かびそうになるが、彪人の実力の片鱗を見れば認めざるを得ない。

 魂喰は悪霊の分類に入る憑霊だが、ただの憑霊。意思はあっても、それは本能的なものなので、知能は低い。倒した後にわざわざ回収して浄化しなければいけない禍殲卑に比べて対処しやすい。


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