自覚する罪悪感
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不意に、頬に何かが当たる。ゆっくり
どうしたのかと首を傾げたところで、頬が冷たいと……涙に濡れていると気付いて、慌てて服の袖で拭う。
「ごめん、暗くなって……。話は終わりだから……」
「詩那」
彪人は呼びかけると同時に詩那の腕を掴み、目元から剥がす。
露になった詩那の眼に光はなくて、涙に濡れている。
心臓が痛いほど跳ねて、締め付けられた。それを振り切った彪人は詩那の頬に触れる。
「どこが汚い? その鬱憤は人として当然の感情だろう。だと言うのに、何故お前はそいつらに罪悪感を持つんだ」
「え……? ……罪悪感?」
細く整った眉を寄せて眉間に軽い
詩那の怪訝な表情に、彪人は呆れから嘆息した。
「無自覚か……」
「……いや、罪悪感なんて……」
「なら、何故お前は、そいつらを罵った自分を責める」
彪人に指摘され、詩那は驚いて眉から力が
思い返せば、詩那は彼等へ悪態を吐くたびに自分が醜いと……自責の念を感じている。
相手を罵ることに罪悪感を持つ者は少ない。相手を責めることばかりに集中して、自分自身の負の感情に目を向けない。
しかし、詩那は自身の感情を顧みている。気付いて、自身の抱く感情を責めている。
確かに、罪悪という感情を抱えていた。
自覚した途端、詩那はくしゃりと顔を
悲しみと戸惑いを秘めた表情だが瞳に光が戻ったことに、彪人は安堵から眉を下げた。
「肉親に関しても、お前は自分を責めすぎだ。自由を望むことに罪はない。自由になって与えられる罰などありはしない。現にお前の肉親は、お前の自由を願っているのだろう? なら、その願いを汲み取りはしても、己を責めるな」
優しく諭せば、詩那は徐々に視線を下げる。
彪人の言うことは解る。けれど……。
「……でも、やっぱり私は酷い奴だよ。やっと修祓師になって、あの子達と戦えるのに……本家に知られて自由を奪われないか……。結局自分を選ぼうとするんだよ?」
「それのどこが悪い。言っておくが、詩那。お前のそれは自分勝手な我儘にもならん。お前は他人を思い遣りすぎて、自分を
詩那は、少し違和感を覚えた。
彪人と出会ったのは昨日の夜だというのに、どうしてそこまで言えるのだろう。
自分を蔑ろにしていると、今まで指摘する人はいなかった。それを会って間もない彪人に気付かれ、自分でも気付けないところまで理解された。
それに気付いた詩那は戸惑い、彪人を見上げる。
「どうしてそこまで言えるの? 昨日会ったばかりなのに……」
純粋な疑問を口にする。
次の瞬間、彪人は表情を固めてしまった。
その表情は、どこか傷ついているような翳りがあった。
「……彪人?」
恐る恐る声をかければ、彪人はそっと目を伏せて、詩那の頬に触れていた手を伸ばす。
そして、詩那の後ろへと伸ばした手で詩那の後頭部を優しく掴み、自分の肩に顔を押し付けた。
「え……? あの……どうしたの?」
昨夜もそうだが、家族以外で異性と密着したのは初めてだ。
いくら人ならざるものでも、彪人は男。
身内ではない異性に対しての
だというのに、彪人に安心感を持ってしまっている。
この事実に困惑していると、彪人は横に倒れた。
「うわっ!? ……えっ? 彪人?」
巻き込まれて同じく倒れた詩那は顔を上げようとする。しかし、彪人によって、目の前の胸板に押さえつけられてしまう。
「少し眠れ。俺も買い物で疲れた」
だからと言って密着するだろうか。
緊張感から心臓が痛いほど鳴り響く。そんな詩那の心音に気付いた彪人は、ふっと小さな吐息を漏らして笑みを浮かべた。
「心臓が
「っ……彪人の所為だっ」
「そうだな。だが、お前だけではないぞ」
ムキになって言い返せば、更に胸板に頭を押し付けられる。
不貞腐れた詩那は、そこから
詩那ほどではないが、とくとくと速く脈打つ心臓の音が聞こえたのだ。
自分だけではないのだと知った瞬間、詩那の不機嫌な気持ちが一気に消えた。
「……彪人も?」
「そうだ。だから気にせず眠れ。四時になったら起こしてやる」
きっと夕飯の買い出しのことを
彪人の気遣いが身に
「ありがとう」
穏やかな声音で礼を言えば、彪人の心音が大きく聴こえ、鼓動の強さを感じた。
正直に言って、買い物のことや過去話で精神的に限界だった。
目を閉じれば、彪人の呼吸音と心音に包まれる。それが心地良く感じて、詩那は静かに意識を手放した。
(……眠ったか)
あっという間に眠りについた詩那の穏やかな呼吸と心音で感じ取って、彪人は薄目を開けて詩那を見下ろす。
あどけない寝顔だが、まだ涙の名残を感じさせる濡れた
どれだけ辛い人生を歩んできたのか、出会ったばかりの彪人では
けれど、一番知りたかったことを聞き出せて解ったことがある。
(お前はもう、『お前』ではないのだな……)
胸中で呟いた彪人は切なさのある笑みを口元に浮かべて、自分自身も眠るために瞼を閉じた。
少しの寂しさと、安心感。
その意味を知るのは、やはり彪人だけだった。
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