変わり出す日常

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 月曜日の朝。詩那はぐったりとした様子で辻葩つじはな学園へ登校していた。
 原因は、先週の金曜日に詩那の式神にくだった人ならざるもの――霊人の彪人にある。

 そろそろ暑くなるからベージュのカーディガンに衣替えしたのはいいが、問題は学生服のスカート。短く折り曲げていないのだが、彪人にとって許容外きょようがいだったらしい。

「何だ、その服は」
「何って……学生服だけど?」
「違う、そうじゃない。その下衣のことだ。何故なぜそんなに短い。何故足をさらすんだ」
「いや……これ、スカートって言って、現代では当たり前にある服なんだけど……これでも長い方だよ? 他の子なんて、かなり短く折っているし」

 どこの学校も同じだと説明すれば、彪人は衝撃を受けた顔で詰め寄った。

「ズボンにしろ」
「は? いや、持ってないよ? そもそも男子制服なんて、女子が買えるわけないし」
「普段から着ているもので代用しろ」
「そんな無茶な……」
「無茶でもスカートは駄目だ。肌着が見えたらどうする」
「スパッツ履いているんだから大丈夫だって」

 肩を掴んでせまる彪人のけわしさに、無意識に後ろ足を引いてしまう。
 お前は私の父親か、と言いたくなった詩那は冷静に言い返すが……。

「お前が大丈夫でも、俺が大丈夫じゃない。お前のそういう姿は俺だけに見せろ」

 まるで執着心の強い恋人のような台詞せりふに、理解した途端に赤面してしまった。
 とんでもない発言をしている自覚はあるようで、詩那の反応に満足そうな笑みを浮かべる彪人。その意地悪な表情に、詩那は思わず胸板に向けて頭突きを喰らわせてしまった。


 ――そんな一幕ひとまく所為せいで疲労感があり、教室の席に座った途端に机に突っ伏した。

「詩那?」

 深い溜息ためいきいていると、心から信頼できる親友が声をかけた。
 ゆっくり体を起こせば、隣の席に純白の髪が美しい少女・白崎一颯が座った。

「あー……おはよー」
「おはよ……って、なんか滅茶苦茶疲れてない? 何かあったのか?」

 気の抜けた挨拶あいさつをすれば、一颯は心の底から心配そうな顔をしてたずねる。
 容姿は超然としていても普通の対応をしてくれる一颯に癒されていく。そんな感覚を持ちつつ、詩那は苦笑い。

「金曜日なんだけど……夕飯の買い出しの時に、ちょっとあって」
「……金曜日って、あたしも帰り途中で色々あったけど」

 曖昧あいまいに説明すると、一颯は思い出しながら渋面を作った。
 思わぬ返答に、詩那は目を丸くする。

 一颯も、詩那と同じように「霊的な存在に狙われやすい」という悩みを持っている。
 える、触れる、話せるといった超が付くほどの霊媒体質れいばいたいしつを持つ一颯は、幼い頃から幽霊にかれやすかったが、人に憑く幽霊――憑霊ひょうれいによる影響を受けないくらい強い霊力を持っている。
 だが、その霊力を狙って妖怪に襲われることも少なくはなかった。

 先週の金曜日に「ちょっと遭遇した」と言った内容も、絡んできた妖怪のこと。
 週に二回ほどのペースで狙われるため、詩那は自ら編み出した対霊用の護身術を伝授した。そのおかげで、今まで憑霊以外に対処できなかった一颯は、妖怪に引けを取らない強さで追い払うことができるようになった。
 町内の武道館で一通りの武術を習得し、中学二年生に出場した全国大会で優勝した経歴を持つため――優勝した時点で道場をやめた――、実力としては当然のこと。

 ただし、限度がある。いくら強くても、倒せるのはせいぜい魂喰たまぐいまで。妖怪に至っては心をへし折って追い払うまでが限界だ。
 もし禍殲卑まがつひに襲われてしまえば、一颯も無事では済まされない。
 見た限りでは怪我をしている様子は見受けられないが、心配と不安が先立つ。

「一颯も? えっ、まさか……死にかけたりしてないよね?」

 声を潜めて恐る恐る訊ねると、一颯は目をひんく。

「い、いや……それほどじゃないけど……は? 詩那、まさか死にかけたのか?」
「あ……あっはは……」

 一颯の鋭いかん誤魔化ごまかしが効かないと知悉ちしつしている詩那は乾いた笑いを漏らす。
 肯定こうていの意味がある図星の反応に、一颯は表情を険しくして勢い良く席から立ち上がった。

「来い」
「……ハイ」

 詩那は見てしまった。未だかつてないほど怒りを込めた青い瞳を。

 久しぶりに向けられた詩那は背筋が凍りついた。
 同時に悟った。

(あ、これ死んだかも)

 肉体的ではなく精神的な死が間近に迫っているのだと。

 引きりかける口を引き結んで立ち上がった詩那は、足早に教室から出る一颯の後を追い、自身も教室から出る。

「おーい、神崎、白崎。そろそろショートホームルームだぞー」

 階段へ向かおうとした二人に、後ろから間延びした男の声がかけられた。
 顔を向ければ、ボサボサな焦げ茶色の髪に黒縁メガネをかけた白衣の男がいた。
 服の着こなしは緩く、一見ではだらしなさそうな風体だが、じっくりと見れば滲み出る色香が伝わってくる。

 荒俣琢磨あらまた たくま。理科を担当する一年三組の担任教師だ。

 一度振り返った詩那は、荒俣が一人の少年を連れていることに気付く。

 あごにかかるほどの黒髪は程良く整えられているが、頭のてっぺんにひと房のアホ毛が立っているという珍しい髪型。
 怜悧れいりな目付きは凛々しく、物静かな印象を持たせる。だが、それに反するように、真紅の瞳には強い意志を物語る光が秘められていた。

 一颯の海のように澄み渡った青とは違う、熟れた林檎より強烈で、ルビーより色鮮やかな赤。
 黒と赤の組み合わせは珍しいが、その色を引き立てる美貌も珍しいもの。
 筋の通った高い鼻も、程良く薄い唇も、細めの柳眉りゅうびも、引き締まった小顔に似合う形。

 病的な白さではない健康的な白い肌は、まるで屋外へ出たことがないと錯覚さっかくしてしまうだろう。
 長い手足も体躯たいくもスリムだが、全く弱そうに見えないのは、一七〇センチ以上もある身長のおかげだろう。
 そんな珍しい秀麗しゅうれいな美貌は、人間ではそうそうお目にかからないものだった。

(……あれ?)

 少年を瞳に映した瞬間、詩那はある違和感を覚える。
 彼から人間のものとは思えないほど強い霊力を感じたのだ。
 人ならざるもの――彪人のような気配に、詩那は目を見張って立ち止まる。

「先生、今はそれどころじゃ……詩那?」

 振り返らずに階段へ足をかけた一颯は、ようやく詩那がついて来ていないことに気付いて足を止める。

「……一颯か?」

 不意に、少年が少し高いテノールの声音でつぶやく。
 まさかの知り合いという事実に驚き、勢いよく一颯に振り向けば、彼女は口をあんぐりと開けていた。

「は……え、えぇええっ!? なっ、何でいるんだ!?」

 驚愕きょうがくのあまり絶叫する一颯に、詩那は更に混乱する。

「え? え? ……知り合い?」
「知り合いっつーか……金曜日にちょっと……」

 金曜日、という単語に引っ掛かる。そう言えば教室で、金曜日の帰り道で色々あったと言っていたことを思い出す。

「……一颯? あとでじっくり教えてくれる?」

 予想が正しければ、その話題にあの少年が出てくるはずだ。

 にっこりと良い笑顔で訊ねれば、ひくり、と一颯は口元を引き攣らせた。
 先程まで自分が怒っていたのに、立場が逆転したからだ。

「……まあ、なんか知らねーが、知り合いなら転入生に校内の案内をしてやれよ」
「はあっ!?」

 頓狂とんきょうな声を上げる一颯は不本意そうだ。これは手伝った方が良さそうだと思っていると、荒俣はもう一つの爆弾を投下した。

「つーか早く教室に入れ。ショートホームルームの後は、体育祭のミーティングがあるんだから」

 体育祭。それを聞いた詩那は目をひん剥いた。


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