失格者の本音

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「あの子の代わりになりたくても、私にはレイシフト適性がない。彼につらい役目を押し付けて、私は支えることしかできない。傍で助けてあげられない。一緒に戦えない。それがどれだけもどかしいか分かる?」

 初めて聞いた、祈里の本心。
 悲しそうな声で語った祈里の言葉が忘れられない。
 なぜだか、その後ろ姿が小さく見えた。



 サーヴァント同士の争いから数時間後、本日の業務が終わった祈里は最後まで医務室にいるアスクレピオスに声をかける。

「じゃあ、私は上がるね。今日もお疲れ様でした」
「待て」

 アスクレピオスが待ったをかける。
 一礼してきびすを返そうとした祈里は足を止めて彼に向き直る。

「仲裁のときに言っていたな。マスターに全てを押し付けてもどかしいと。お前は前線に立ちたいのか?」

 思わぬ質問に、祈里は目を瞠る。
 息を呑んだ彼女は、ふっと力無く自嘲する。

「正直に言って、前線に立つのは怖いと思う。でも、一般人の藤丸君に全てを背負わせるなんておかしいから」

 祈里は魔術師だというのにレイシフトの適性者に選ばれなかった。
 当初は悔しかったが、藤丸の不屈の精神を垣間見て、自分では敵わないと悟った。

「私にできることは限られている。……だからかな。藤丸君が少し羨ましいと思うのは。魔術師なのに無力だなんて……情けないよね」

 悲しくて、もどかしい。そんな感情を込めた微笑だった。
 微かに瞳が潤んでいるように見える。それでも祈里は誤魔化すように苦笑する。

「なんて、ね。こんなこと言ってもおかしいけど」

 傷ついた心を隠す、泣きたくても泣けない笑顔。
 アスクレピオスは、それが無性に腹立たしかった。

「確かに情けないな」

 アスクレピオスの痛烈な一言に、心臓が握り潰されそうになる。
 ぐっと手のひらに爪を立てると、溜息を吐いた彼が近づいてその手を取る。

「どこが無力だ。お前は十分すぎるほどサポートしているだろう。それを気付けないほど情けないものはないぞ」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。けれど一拍置いて、「情けない」の意味を理解する。

「……でも、ただのサポートだよ?」
「ただのサポートは、サーヴァント同士の争いの仲裁も含まれているのか? 普通なら怪我だけでは済まされないことだ」

 指摘され、目を見開く。
 笑顔が消えて、アスクレピオスは胸のつかえが取れた。

「お前が書いたサーヴァントのカルテも、マスターではないというのに細やかだった。僕でも見やすくて助かっている。十分力になっているだろう」

 この二週間で見てきたことを言う。
 実際、彼女が記してきた記録は、アスクレピオスにとって有益なものばかり。
 フィニス・カルデアの頃からの彼女の記録も読み、その影ながらのサポートに感心したほどだ。

 だが、人間の声は辛辣なものだった。


マスター適性者のくせに、レイシフト適性がない


 その理由から、陰では失格魔術師≠ニ呼ばれていた。
 偶然にも耳にしたその言葉は、なるほど、と、何も知らない当初は納得した。
 だが、彼女を慕う己のマスターとサーヴァントを見て、彼女の軌跡を調べて、その認識は覆された。

「マスターとサーヴァントはお前を認めている。他人の戯言ざれごとに耳を貸すな」

 アスクレピオスは、力のこもった祈里の手を解き、その手を握った。
 女らしい華奢で柔らかな手のひらだが、よく見れば、今つけたものだけではない古い爪痕が残っていた。
 どれだけ歯を食いしばって耐えてきたのか、漠然とだが感じ取れた。

「だから無理に耐えるな」

 願うように、祈るように告げる。
 すると、祈里の揺れる瞳から涙がこぼれ落ちた。

 頬を伝う涙が明かりで煌めいて見えて、どきりと心臓が跳ねる。
 くしゃり、顔を歪めた祈里。傷ついた心が表に出て安心するが、胸の奥が締め付けられるような感覚に陥る。

 なぜだろう。衝動的に彼女を抱きしめてしまうのは。


(……何をやっているんだ、僕は)


 放さなければならない。そう思っても腕が動かない。
 葛藤が押し寄せていると、祈里が胸板に寄りかかってきた。
 控えめに、それでいてすがるように服を掴まれ、また心臓が跳ねる。
 ただ、今回はどことなく甘い跳ね方だった。

「……ありがとう」

 掠れた声で伝えられた感謝の気持ち。
 無意識に腕に力がこもり、祈里を抱きしめた。


(何なんだ、これは)


 胸に込み上げる熱。だが、嫌な熱だとは言えない。
 むしろ、心地よく感じられた。



 次第に気持ちが落ち着いてきたのだろう。祈里は赤くなった目を擦り、顔を上げる。

「ごめんね。急に泣いちゃって」
「もういいのか」

 うん、と頷いた祈里は小さくはなすする。
 それを見て、アスクレピオスは「待っていろ」と告げ、医務室の奥から引っ張り出したタオルを濡らして持ってきた。
 濡れタオルを受け取った祈里は戸惑いながら礼を言い、顔を拭いた。

 だいぶスッキリしたのだろう。顔を上げた彼女は、ふにゃ、と笑った。

「アスクレピオスはすごいね。精神医療までできるなんて」

 素直に感謝し、素直に褒めてくるのは彼女の美徳だ。
 何となく思ったアスクレピオスは、そっと視線を逸らす。

「精神科は専門外だが……」
「でも、おかげで気持ちが楽になったよ。さすが医神ね」

 気の抜けた笑顔は、いつもしっかりして大人びた祈里を少し幼く見せた。
 なんとなく微笑ましく思ったアスクレピオスは、ふっと目元を和ませる。

「そうか」

 まなじりを下げて微笑む。
 アスクレピオスの表情の変化に、祈里は目をぱちくりさせた。

「どうした?」
「……うん。アスクレピオスは笑うと綺麗だよね」

 は、と目を丸くしたアスクレピオス。
 祈里は濡れタオルを持ったまま医務室の扉へ向かい、振り返る。
 そして自らの眉間に指を当ててみせた。

「いつも険しいけど、今の顔は好きかも」

 心からの言葉だろう。
 言った祈里は、ふわりと笑った。

「今日はありがとう。おやすみなさい」

 穏やかな声音で挨拶し、祈里は医務室から出ていった。

 ぽかん、と見送ったアスクレピオス。祈里の言葉を反芻はんすうし、徐々に顔を赤らめた。
 ペストマスクの下で口をわなわなと振るわせた彼は、込み上げる感情を抑えるべくひたいに手を当て、深く息を吐き出した。

「ただいま戻りました……おや、どうしました?」

 医務室に戻ってきたサンソンが目を丸くして訊ねる。
 アスクレピオスは自分の椅子に腰掛けると、脇息きょうそくに肘をついて、その手に額を載せた。

 ぐったりと疲れ切っている様子に、ピン、と察した。

「もしや、祈里さんですか」

 サンソンの一言に、じろりとアスクレピオスが暗い目で見やる。

「あれは人たらしか」
「はは……慣れていないとキますよね。あのわざとらしくない素直さは」
「記録には名門の魔術師の娘とあったが?」

 医術以外に興味を持たないはずのアスクレピオスが、医術以外に関心を持って調べた。
 その事実に気付いたサンソンは軽く目を見開き、そして微笑する。

「ええ。曰く、歴代最高と言われていたのだとか。とはいえ、彼女は黒魔術を嫌っていますし、本人も倫理観を大切に持っています。一流の魔術師だというのに魔術師らしくない。それが彼女です」

 古参であるからこそ、神永祈里という人物をよく見てきた。
 よく知っているからこそ、言える。

「だからこそ、サーヴァントの誰もが彼女にほだされる。人間と使い魔サーヴァント垣根かきねを越えて、尊重しつつも対等に接してくれる。マスターとは違った温もりを持つ彼女の虜になる者も少なくない。王族も神性持ちのサーヴァントも例外ではありません」
「……ずいぶん高く評価しているようだが」
「それだけ彼女は魅力的ですから。マリーが……我が敬愛する王妃がいなければ、おそらく傾倒していたでしょう」

 楽しげに笑うサンソンの独白に、なにやらモヤリとした気持ちに駆られる。

 いや、まさか、そんなはずはない。

「では、回診も終わったことですし、僕もそろそろお暇します」
「……ああ」

 一言告げたサンソンが医務室から出ていく。

 チラッと見送ったアスクレピオスは、深い溜息を吐いて背凭れに寄りかかった。
 目を閉じれば、浮かぶのは親愛を込めた明るい笑顔。

「……僕は……愚かな神にはならない」

 恋にうつつを抜かし、人間を翻弄して傷つける神にはならない。
 だからこそ、この感情は一時の気の迷いによるものだ。

 今、胸をくすぶるこの熱も、きっとすぐに忘れるはずだ。


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