鏡写しの聖女


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 自分自身がわからなくなったジャンヌは疑心暗鬼におちいっている。
 そんな彼女にはげましの言葉は通じない。だからありのままの言葉で彼女を肯定した。でなければ、彼女は自分の存在価値を自らおとしめてしまいそうだったから。

 私の言葉で、少しは立ち直れるといいんだけど……。

『待った! 先ほど去ったサーヴァントが反転した! まずいな、君たちの存在を察知したらしい!』

「数は!?」

 その時、ロマニの緊迫した声が聞こえた。
 マシュが問いかけると、ロマニは絶句しかけたのか掠れた声を漏らした。

『おい、冗談だろ……!? 数は五騎! 速度が迅い……これは、ライダーか何かか!? と、とにかく逃げろ! 数で勝てない以上、逃げるしかない!』

「ですが――!」

『数が同じだったら勝負を挑んでもいい! だが、戦力的に君たちの倍以上ある相手と戦わせる訳にはいかないだろう!? 撤退しよう、こんなの誰だって逃げる! 三十六計さんもそう言ってる!』

 数が同じだとしも、戦えない藤丸君、戦い慣れていないマシュ、そして戦闘能力が大幅に下がったジャンヌでは難しい状況だ。
 私もさすがに五騎を相手にするのは不可能だ。バーサーカーでも一騎までが限界。

「ジャンヌさん! サーヴァントがやってきます、すぐに――」
「……逃げません。せめて、真意を問いたださなければ……!」

 マシュの言葉を拒絶し、その場で待ち構えることを決めたジャンヌ。
 自分が倒れるとフランスは救えない。それでも真実を知りたいのか。

『ダメだ、もう間に合わない! 藤丸君、マシュ、詩那ちゃん、とにかく逃げることを考えるんだ。いいね!?』

 ロマニが言った直後、大きな影が生じる。
 頭上には巨大な竜。そこから飛び降りたのは五騎のサーヴァント。

 長い白髪に髭が特徴的な、青白い顔色の男。
 仮面で目を隠し、アイアンメイデンを携えた女性。
 中性的で性別が判らない、煌びやかな装いをした騎士。
 真っ直ぐな長髪に強い意志を秘める目付きをした女性。

 そして――漆黒の装いをした、薄い金髪に金眼の少女。
 彼女は、色彩は異なるが、ジャンヌと瓜二つの容姿をしていた。

 彼女が竜の魔女=\―ジャンヌ・ダルク・オルタ。
 クラスは――

「――なんて、こと。まさか、まさかこんな事が起こるなんて」

 衝撃を受けたような言葉だが、どこか狂気を孕んでいる。

「ねえ。お願い、だれか私の頭に水をかけてちょうだい。まずいの。やばいの。本気でおかしくなりそうなの」

 その証拠に、彼女は徐々に口角をつり上げた。

「だってそれくらいしないと、あんまりにも滑稽で笑い死んでしまいそう!」

 聖女ジャンヌ・ダルクとは似ても似つかない言葉。
 動揺するジャンヌを、ジャンヌ・オルタは歪んだ笑みで饒舌じょうぜつに罵る。

「ほら、見てよジル! あの哀れな小娘を! なに、あれ羽虫? ネズミ? ミミズ? どうあれ同じことね! ちっぽけすぎて同情すら浮かばない!」

 盛大に笑い飛ばす彼女は、心の底からおかしそうに言った。

「ああ、本当――こんな小娘わたしにすがるしかなかった国とか、ネズミの国にも劣っていたのね!」

 フランスをネズミの国と蔑称する。
 時々「ジル」という言葉が出てきたが、その名を持つ者はこの場にいない。

 ……確か、セイバーとキャスターのクラスが別々にあるサーヴァントだったはず。

「貴女は……貴女は、誰ですか!?」

 思い出そうとしていると、ジャンヌが叫ぶ。
 すると、ジャンヌ・オルタは不愉快そうに眉をひそめた。

「それはこちらの質問ですが……そうですね、上に立つものとして答えてあげましょう」

 そして、狂気を込めた笑みでジャンヌに告げた。

「私はジャンヌ・ダルク。蘇った救国の聖女ですよ、もう一人の私=v

 自らを救国の聖女と名乗ったジャンヌ・オルタ。
 本来の聖女であるジャンヌは「馬鹿げたことを」と否定する。

「貴女は聖女などではない。私がそうでないように」

 憤りを込めて言い放ったジャンヌは、弱々しくかぶりを振った。

「それより――この街を襲ったのは何故ですか?」
「……何故、かって? 同じジャンヌ・ダルクなら理解していると思いましたが。属性が転換していると、ここまで鈍いのでしょうか?」

 心底不思議そうな顔で呟いたジャンヌ・オルタは告げる。

「この街を襲った理由? 馬鹿馬鹿しい問い掛けですね。そんなもの、明白じゃないですか。単にフランスを滅ぼすためです。私、サーヴァントですもの。政治的に、とか経済的に、とか回りくどいわ。物理的に、ぜんぶ潰す方が確実で簡潔でしょう?」
「バカなことを……!」

 邪悪な笑みで言ってのけたジャンヌ・オルタに、ジャンヌは憤った。
 けれど、ジャンヌ・オルタは不快そうに顔をしかめるだけ。

「バカなこと? 愚かなのは私たちでしょう、ジャンヌ・ダルク」

貴女≠ナはなく、私たち≠ニ言った。

 それはジャンヌと同じ存在だから、そう言えるのだ。

「何故、こんな国を救おうと思ったのです? 何故、こんな愚者たちを救おうと思ったのです? 裏切り、唾を吐いた人間たちだと知りながら!」

 憎悪に満ちた顔で思いの丈を吐き出すジャンヌ・オルタに、ジャンヌは悲痛に顔を歪める。
 それは、と言いかけるが、ジャンヌ・オルタはさえぎるように続けた。

「私はもう騙されない。もう裏切りを許さない。そもそも、主の声も聞こえない。主の声が聞こえない、という事は、主はこの国に愛想をつかした、という事です。だから滅ぼします。主の嘆きを私が代行します。すべての悪しき種を根元から刈り取ります」

 人類種が存続する限り憎悪は収まらない。フランスを沈黙する死者の国に作り替えるのが、ジャンヌ・オルタの目的。

「まあ、貴女には理解できないでしょうね。いつまでも聖人気取り。憎しみも喜びも見ないフリをして、人間的成長をまったくしなくなったお綺麗な聖処女さまには!」
「な……」

 憎しみと怒りを込めた顔で、ジャンヌを罵倒する。
 本来のジャンヌなら絶対に言わないだろう下品な暴言に、ジャンヌは顔を赤らめて絶句する。


『いや、サーヴァントに人間的成長ってどうなんだ? それをいうなら英霊的霊格アップというか……』


 それに対してロマニは通信機の向こうでツッコミを入れた。
 彼の声に、ジャンヌ・オルタは不快そうにホログラムを睨む。

「――うるさい蠅がいるわね。あまり耳障りだと殺すわよ?」

『!? ちょっ、コンソールが燃えだしたぞ!? あのサーヴァント、睨むだけで相手を呪うのか!?』

 呪う――その単語に、心臓が嫌な音を立てた。

 まさか、ジャンヌ・オルタはひとを呪えるほどの力を持っている……?

「詩那さん……?」

 藤丸君がそっと声をかける。
 でも、今の私は応えられなかった。

「貴女は、本当に私≠ネのですか……?」
「……呆れた。ここまでわかりやすく演じてあげたのに、まだそんな疑問を持つなんて。なんて醜い正義なのでしょう」

 この憤怒を理解できないのではなく、理解する気さえない。
 ジャンヌ・オルタがジャンヌに対して下した認識は、それだった。

「ですが、私は理解しました。今の貴方の姿で、私という英霊のすべてを思い知った。貴女はルーラーでもなければジャンヌ・ダルクでもない。私が捨てた、ただの残り滓にすぎません」

 ジャンヌ・オルタの発言に、ジャンヌは息を詰める。
 同一の存在で、尚且つ同じクラスであるなら何かしら感じるものもあったはず。
 けれどジャンヌには何の価値もない、亡霊に他ならないと断ずる。
 そして――

「バーサーク・ランサー、バーサーク・アサシン。その田舎娘を始末なさい」

 自らが使役するサーヴァントに命じた。

「――よろしい。では、私は血を戴こう」
「いけませんわ王様。私は彼女の肉と血、そしてはらわたを戴きたいのだもの」

 残忍な会話を交わす、狂化をかけられたランサーとアサシン。
 この会話で、ようやく思い出す。

「ヴラド三世と……エリザベート・バートリー? いや、カーミラか」

 男は、ルーマニア最大の英雄、串刺し公<買宴h三世。
 女は、少女の血を浴びると若返ると信じ、そのために数百人の少女を虐殺した血の伯爵夫人<Gリザベート・バートリー。

 記憶にある通りなら合っているはずだ。

「……人前で我が真名を露わにするとはな。不愉快だ。実に不愉快だ」
「良いではありませんか。悪名であれ人々に忘れられないのであれば、私はそちらを選びます。それに……真名で謳われる方が、私の好みです。恐怖と絶望、そのスパイスに仄かな希望。いつだって一番良い声で啼くのは、これで逃げられる≠ニ思い込んだ子リスたちなのですから」

 うわぁ……さすが悪名高い血の伯爵夫人。考える事が悪辣あくらつすぎる。

 頬が引き攣ると、ヴラド三世が私に目を向ける。
 そして、針のような槍を構えた。

「やばっ」

 反射的に手袋をつけた左手で指を弾き、目の前に翳した。
 これがお得意の【結界魔術】の、一つの技を行使する合図サイン

 神崎家は東洋・西洋魔術に精通する一族。結界魔術は基本として、物心つく頃から叩き込まれた。
 それに、私はこれを限りなく極めた。領域を守るだけではなく、支配することすらできる魔術へ進化を遂げた。

「ぐっ!?」

 ――【魔鏡の盾リフレクション
 物理・非物理に関わらず、攻撃・飛来物を跳ね返す結界。

 瞬時に展開した直後、ヴラド三世は呻き声をあげて仰け反る。
 典礼化てんれいかしておいてよかった。じゃないとこんなに早く発動できない。

「藤丸君! マシュ、ジャンヌ! 構えて!」
「は、はい!」

 呼びかけると同時に英霊の幻影を召喚した。


 
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