ぼくのはじめて

強い衝撃、赤に染まる視界、朦朧とする意識。
死んだと理解するには十分過ぎる出来事だった。
短い人生に終止符を打った、はずだった。

浮上した意識とぼんやりした頭で、もしかしたら奇跡的に助かったのかも知れない、と思わせられたのは2人の男女の存在で。
此処は何処ですか?と訊く為に喉を震わせた。
しかし、きちんとした言葉は出なかった。
おぎゃあおぎゃあ、と大きく声を上げる自分はまるで赤ん坊。
女性はこちらを覗き込み、軽々と身体を持ち上げて優しく抱き寄せた。
その柔らかさに驚き、声を上げるのをやめ、瞼を閉じた。

そうか、なるほど。
すんなりと現実を受け止め、理解した。

どうやら人生の幕はまだ下りていないらしい。






あまりにも現実的ではない出来事が起こってから6年が経った。
すくすくと成長した自身はとても軽い。
子供らしい振る舞いをして生活していた自身に舞い込んだ変化。
それは、母の転勤だった。
あれよこれよと話が進んでいく中、自分は乗り気ではなかった。

「楽しみだねぇー」

にこにこと笑って頭を撫でてきた母の顔を見つめる。

「僕も行くの?」
「双葉もだよ。箱根、初めてでしょ。箱根は良いところだからきっとすぐに馴染めるわ」
「そうですか…」
「お父さんも一緒に行きましょうねー」

仏壇に優しく笑い掛ける母に、僕は従うしか選択肢が残されていなかった。

「東堂庵は絶対行きたいの。見て、双葉のひとつ上の格好良い息子さん」

そう言われ、画面を覗き込む。
偉そうな笑顔を浮かべる男の子。
その顔に何故か懐かしさを感じた。

「東堂尽八くんっていうらしいわ」
「とうどう…じんぱち…」

その名を復唱して、理解した。
まさか。
いや、しかし、旅館まで同じ名なんて偶然そうそうある筈がない。
ということは。

「そうですね。楽しみです」
「今度のお家は大きいからね!」
「はは…」

これ以上大きくしてどうするというのか。
母の幸せそうな笑顔に、僕は困ったように笑い返した。





トントン拍子に引越しは何事もなく進んだ。

「双葉、起きて。もうすぐ着くわよ」
「んぅ…」

揺さ振られ、ぼんやりとした頭でそれを見た。
大きく立派な建物に、遂に来てしまった、と小さく息を吐く。

「さぁ、降りましょ。楽しみねぇ」
「はい」

駐車場に車を停めた母に着いて歩き、東堂庵の中へ入った。





「双葉、凄いわ。大きな山が見えるわよ!」
「でしょうね」
「もう、双葉はいつも冷静すぎてつまらないわ」
「そう言われても…」

広い部屋で嬉しそうにうろうろする母を見て、はしゃぎ過ぎなのでは、と僕は苦笑した。

「お母さん、少し散歩してきてもいいですか?」
「あら、興味出てきたのかしら」
「まぁ、少し」
「いってらっしゃい〜」

自由放漫な母に、行ってきますと告げて僕は部屋を出て広い廊下を歩く。

「此処から先は実家かな。アホみたいに広いんだろうな…」
「何をしているのだ?」
「ひゃっ!?」

突然降ってきた声に、思わず座り込んだ。

聞かれて、ないよね?

加速する鼓動を抑えながら僕は声の主を見る。
大きく目を開き、懐かしさを感じた。

「そこから先は立ち入り禁止だぞ」
「す、すみません…」
「ほら」

すっと差し出された手を取って僕は立ち上がった。

「オレは東堂尽八。この旅館の息子だ。君の名前は?」
「今日から宿泊させて頂く栗崎双葉です」
「そうか。東堂庵はいいぞ!」

ぺらぺらと偉そうな口調で話し始めた男の子、東堂尽八は口を閉じて僕をじっと見つめる。

「な、なにか?」
「やけに落ち着いているな。まるで大人と話しているみたいだ」
「何を言っているのですか、東堂くん。僕は子供ですよ」
「分かってはいるが…。まあ良い。双葉、今は暇か?」
「はい」
「では少し遊ぼう!」
「ええっ!?」

ぐいぐいと引っ張られ、歩かざるを得なくなり僕は東堂くんの後ろを着いて歩く。
勿論、手は握られたままだ。

「何処に行くんですか?」
「公園だ!」

キラキラと瞳を輝かせる東堂くん。
ああ、こういうところは子供なんだ。
それが何だか嬉しくなり、小さく笑った。

「尽八、何処へ行くのです?」
「女将…」

えっ、この人が東堂くんのお母さん…?
めっちゃ美人。正直、タイプ。

「お客様が公園に行きたいと仰られたので案内をしてきます」

はい?

「そう。気をつけていってらっしゃい」
「はい。失礼します」

僕はぐいぐいと引っ張られたまま歩き進み、公園へ足を踏み入れる。

「すまないな、双葉」
「え…?」

流れた風が東堂くんの綺麗な髪を掬う。

「嘘をつかせてしまった」

眉を下げて申し訳なさそうに笑む。
その表情に、胸が強く痛んだ。

「いえ、構いませんよ。東堂くんなりの理由があるはずですから」
「双葉…」
「それより」

ぎゅっと手を握ったのは、僕の番だった。

「たくさん遊びましょう!」
「…っ、ああ!」

僕達は疲れ果てるまで目一杯、遊び倒した。
母が血相を抱えて呼びに来た時、初めて僕達は土や水で服がどろどろになっていることに気付いて、顔を見合わせて笑った。

「遊び過ぎてしまいました」
「ああ、だが楽しかったぞ」
「僕もです」
「双葉、また遊ぼう」
「はい、また」

ぶんぶんと大きく手を振って、僕と東堂くんはそこで別れた。
その日は遊び疲れたからか、とてもよく眠れた気がする。



しかし、翌日も翌々日の宿泊最終日も、僕が東堂くんに会うことは一度もなかった。



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