それでも道は続いていく

東堂庵宿泊3日目の朝。
館内をうろついていた僕を母が呼び止めた。

「双葉、探し物?」
「いえ。人を待っているのです」
「もしかして、東堂くん?」
「どうしてそうなるんですか」
「東堂庵のサイトを見ている時に目が輝いていたのをお母さんばっちり見たんだから!」
「そんなことはないです」
「そうかしらー?」

にやにやと笑う母に僕は溜息を吐いて、東堂庵の立ち入り禁止先を見据えた。

この先に、東堂くんが居る。
けれど僕はただの客で、東堂くんは此処の大切な嫡男。
僕が立ち入って良いような世界ではない。

「双葉、あまり長居は出来ないわ」
「…そうですね」

後ろ髪引かれる思いのまま、僕は母の車に乗り込んで東堂庵を後にした。






それから5年の月日が流れた。
東堂庵に何度か宿泊したが、東堂くんとはあれ以来一度も会っていない。

「また遊ぼうって言ったのに…東堂くんのバカ…」

この身体で過ごしているうちに、思考回路が随分と幼くなってしまった。
以前の記憶はそのままなので、成人しながら幼少期を過ごすという不思議な感覚を感じていた。

「双葉」

抱えた膝に顔を伏せて唸っている僕を母が呼ぶ。

「中学は何処へ行きたいのかしら?今なら受験も間に合うわよ?」
「何処でもいいです。通えるのなら何処でも」
「あら、駄目よ。双葉の将来なんだからもっとしっかり考えなくちゃ」
「……そうですね」

人生二度目の中学受験を考え、気分が沈み憂鬱になってしまう。
以前の知識はしっかりと存在しているので忘れていることをしっかりと頭に叩き込めば、受験など楽に通過できるだろう。
そういうところだけは、記憶が残っていることに感謝している。

「受験か…」

正直、何処でも良かった。
朝早くに起きる習慣も身についているので遠い学校でも通うことは出来る。
ひとつだけ欲を言うなら。

「東堂くんと同じ学校には行きたくないなぁ」

地元の学校を選ぶとすれば、同じ学校に進学する確率は大いに高くなる。
会いたくないのであれば、自ら彼を遠ざけるしかない。

「お母さん」
「なあに?」
「僕、2つ隣の私立中学を受験します」
「随分と離れたところを選ぶのね。双葉がしっかり通えると言うのなら、私は反対しないわ。だって双葉が自ら選んだ道だもの」

そう言って朗らかに笑んだ。

母は昔から物分りがとても良い。
今まで僕の意見に反対したことなど両手で数えられる程しかない。
だから心配になってしまう。
親というものは子供の意見に反対し、ぶつかり、時に手が出て喧嘩になってしまう。
そういうものだと、昔から信じていた。
かつての僕がそう生きてきたように、今の人生もそうなるだろうと思っていた。
しかし、その考えはいとも簡単に捻じ曲げられてしまった。
優しい母、もうこの世には居ない心配性の父。
こんなにも甘やかされて良いのだろうか。
人生というものは、もっと高い壁という障害を越えていくものではないのだろうか。
だが、幾ら考えても明確な答えは出ない。
少なくとも、今の生活をしている間は、ずっと。

気付いた時には涙が溢れ、ぽろぽろと零れ落ちていた。
拭っても拭っても溢れ出る涙に僕は戸惑う。

「あらあら」

母は私の前で屈み、優しく頭を撫でてくれる。

「おか、あ…さん…」
「どうしたの?」
「僕、とても幸せです…お父さんとお母さんの子供で良かった…」
「まあ、随分と嬉しいことを言うのね。ふふ…双葉、ありがとう」

ハンカチで涙を拭ってくれる母は、いつもより特別柔らかく笑っていた。

この笑顔を何としてでも守らなくては。
母にはもう僕しか居ないのだから。
悲しませることなど、もう。

「僕、頑張ります。良い高校と大学に進学して、お母さんを安心させたいです」
「あら。そこまで頑張る必要はないわ」
「でも、」
「お母さんはね、双葉の選んだ道を進んでくれるのが何よりの幸せなの。挫折したり後悔することもあると思うわ。けれど、それが双葉の選んだ道なら必ず将来に繋がると思っているの。だから好きなことを見つけて、夢に向かって真っ直ぐ進んで欲しい。お母さんの願いはそれだけよ」

優しく頭を撫でてくれた母の言葉が胸にじわりと沁みていく。
こんなにも僕のことを考えてくれていたなんて、知らなかった。
僕はいつも自分の事しか考えていなかった。
自己中心的な考えで動き、憎たらしいような背伸びをした口振りで接する、ただの小さな子供だ。
今はただひたすら感謝の言葉が口からとめどなく溢れるだけだった。
嗚咽を漏らししゃくり上げる僕を抱き寄せて、母は微笑んだ。

「ゆっくりでいいのよ。双葉のペースでゆっくり進めばいいの。立ち止まりたい時は休めばいいわ」
「はい…」

涙を拭い、真っ直ぐ母を見据える。

「久し振りに会いに行きましょうか」
「え?」
「東堂くんに」

ぱちっ、とウインクして見せた母に、僕の血の気が急激に引いていった。
どうやら僕に逃げ道はないらしい。



←戻る



<< back next

Top page