2話


深夜2時。
健康的な生活をする人ならば就寝をしているであろう時刻。ニナはなかなか眠気が訪れてくれず、霜月の子で借りている部屋のベッドに横になりながら石で作られた部屋の天井を意味なく眺めていた。

「(……眠れない。……気晴らしに少し外に行こうかな…)」

純白のネグリジェの上に夜空のような深い紺色のカーディガンを羽織り彼女は寝静まる夜の霜月の里に繰り出した。外は夜風が少し冷たかったが厚手のカーディガンのお陰で彼女が寒さを感じることはなかった。

とくに行くあても考えず外に出た彼女は、とりあえず霜月の里の北に向かって歩いてみることにした。次第にこの里で一番の存在を放つ巨像、霜月の子がクータルと呼び祀る少女の像が見えてくる。像の前に立ち見上げると、彼女の体の何倍もの大きさに見上げる首が段々と痛くなってきた。

「………月神様、か」

ぽつり。と誰に聞かせるでもない呟きが彼女から溢れ出る。
霜月の里を拠点に生活をするようになり里の人達との交流も増えてきた彼女は、霜月の子の者たちが月神に祈り信仰する姿を日々目にしており、その中の妄信的な信者が自分に言い聞かせるかのように「私たちの祈りにいつか月神様は応えてくれる」と言っていたのを何度か耳にしていた。
テイワットの人々は……そうではない者も居るだろうが……、いずれも各国の神を崇めている。無法地帯と呼ばれるナド・クライも例外ではなく月神を信仰している様子だったのだから、クータルが生まれたという霜月の子らが月神に対して絶対的な思想を持つのも不思議ではない。
ニナも昔は神に祈ったことがある。だが、どれだけ祈り願っても、彼女にテイワットの神は応えてくれなかった。彼女自身もあまり期待はしていなかったとはいえ少し気落ちしたこともあり、霜月の子らの祈りも自分と同じく叶わないかもしれないと思うといつまでも晴れない曇天のように複雑な気持ちを燻っていた。かといって神を崇める行為を否定も制止するつもりもない彼女は彼らに何を言うでもなくただ静観の姿勢を見せるだけだった。巨大な月神像の横の道を上りその先の崖で彼女の歩みは止まった。

「(………行き止まり…、)……っ!」
「…………」
「…君は、…月霊…?」
「…………!」

続く道がなくなりただその場に立ってボケーッと対岸を見る彼女の視界に小さな何かがうつり込み、彼女は驚いた。その小さな何かは淡い赤色に発光する月霊であった。月霊はニナと対岸を交互に見ながら耳のような部位を動かして意思を伝えようとしている。

「……向こう岸に連れて行ってくれるの…?」
「…!!」

月霊はそうだと言わんばかりに頷いた。
ニナは月霊に身を任せるとその体は無重力空間にいるかのようにふわりと浮かび対岸へと飛んだ。まるで体が磁石になったかのように引力に引き寄せられるような不思議な感覚だった。

「ありがとう」
「……♪♪」

移動の時とは違って着地は体が浮いた時と同じように優しくふわりと足を地につけた。無事に対岸へ渡れたことの感謝を伝えると月霊は嬉しそうに体を揺らした。歩き始めると月霊は彼女の周りをふわふわ飛びながら着いてくる。可愛らしい同行者が増えたなと胸の内で小さく笑ってニナはそのまま進んだ。

対岸の先の地はいつに舗装されたのか分からない石造りの道ができており、進むと途中に崩落の跡であろう大きな穴があった。好奇心で下を覗いてみるとずいぶんと下まで崩れているようで落ちたらひとたまりも無いだろう。落ちた時の悲惨な状況を想像してニナはゾッとした。落ちないよう慎重に穴を迂回して登りきった先には、天辺が見えない程にうんと高くそびえ立つ石柱がある。それは先程、霜月の里で見た少女の姿の巨石よりも大きい。島で一番大きなその石柱を遠くから見ることは今まで何度もあったが真下から見るのは初めてのことだった。どういう原理か石柱は昼夜問わず光を放っており、そのお陰でヒーシ島は夜でも比較的明るい。もちろん光の元である石柱の下は部屋の電気をつけたように明るかった。

石階段の上段に積もった砂塵を手で払い除けニナは腰掛けた。島の高いところまでやってきた彼女はそこから見る麓の麗しい景色に感嘆の息を吐く。さらに上を見ると石柱の光に負けず劣らずに輝く星々が見えた。

「(……星空はどこも同じく綺麗なんだな…)」
「………?」
「…心配させちゃった?何でもないよ」

空を見上げて黙り込む彼女に月霊は心配したようにそわそわと様子を伺っていた。それに気がついた彼女は、心優しい月霊に気を使わせてしまった申し訳ない気持ちとそれを嬉しく思う温かい気持ちに眉をたれてふわりと笑いかける。ニナの反応に月霊は安心したと言うように小さな体を揺らした。

「…なんか、歌いたい気分かも…、聞いてくれる?」
「……!!」
「ふふ。ありがとう」

冷えた空気を吸い込んでニナは詩を紡ぎだした─


♪ 夜の空に瞬く 遠い金の星
  ゆうべ夢で見あげた 
  小鳥と同じ色



彼女の透き通るように美しい歌声が夜のヒーシ島にこだまする。その柔らかく心地よい音色に釣られるかのようにツノシカやガケツノメドリ達は彼女の周りに集まり、モサモサアナグマがその歌声をよく聴こうと地面から顔を出す。



♪ 優しい夜に
  ひとりうたう歌
 
  明日は君とうたおう 
  夢の翼にのって



どこか切なくも美しいバラードを一曲歌い終えると、彼女の周りで腰を落ち着けていた動物達が突然、一斉に走り去っていく。それは背後にキュウリを置かれた猫のように焦った様子で走り去る動物達にニナと月霊は驚き首を傾げた。

「おや、すみません。驚かせるつもりはなかったのですが」

彼女たちの背中に言葉を投げる落ち着いたテノールにニナは聞き覚えがあった。振り向いた先には全身に漆黒を纏う男、フリンズが蒼い炎を宿したランプを片手に携えて立っている。太陽が頭上で明るく照らす時間だったとしてもきっと人が居ないような場所で夜更けに人がいたこと…またそれが知人であったこと…に驚き、思考がぐちゃぐちゃになっていたニナは上手く言葉を紡ぐことが出来ず壊れた玩具のように「え」とか「あ」などの母音を発することしか出来なかったが、それだけで彼女の心情を読み取ったフリンズが「ああ」と頷いて「夜回りをしていたら貴方の歌声が聴こえてきたものですから」と続けて言った。

フリンズはライトキーパーだ。
職務である夜警の最中に普段は聞くことがない歌声が聞こえてきて様子を見に行くことはなにも不思議ではない。ただ、彼が駐屯地とする夜明かしの墓から霜月の里はとても近いとは言えない距離な上、ヒーシ島の夜警が基本は彼の管轄外である(全くしない訳ではない)ことからフリンズがこの場にいることは本来であれば不自然とも言えるのだが、そんなことを知る訳がないニナはフリンズの言葉をそのまま素直に受け取り納得した。

「お疲れ様です」
「お心遣いありがとうございます。もし、よろしければお隣に失礼しても?」

ランプを持つ反対の手を胸に当て優雅に会釈をしたフリンズは居住まいを正すと彼女の隣を見てそう言った。ニナは一瞬ぽかんとした後、コツ、コツ、と石畳の上を硬く重厚な音をさせながら近づいてくるフリンズを見て我に返ると頭を縦に振って自身の隣に残る砂塵を払おうとする。しかし、彼女が砂塵を払う前にその手を制したフリンズが「その必要はありません」と言いうっすらと砂塵が残る彼女の隣に気にせず腰を下ろした。上背がある男は座高も高く、とくに小柄であったニナは彼の顔を見上げることになる。

「(…座ってても背が高いなぁ、)」
「ところで、ニナさんはこのような夜分にお一人で歌の練習をされていたのですか?」
「あ、いえ、ただ寝付けなかったので少し散歩に出ただけなんです」



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