丁字路は繰り返す 05



「……どうしたんですか、師匠」
「暑いね」

 会話が成立していない。
 師匠が人の話を聞かないのはよくあることなので、気にせず「暑いですね」と返す。
 彼は右眼をふと伏せて、お供え物を見下ろした。傘で翳って表情がよくわからない。

「こんなに暑けりゃ、お供えも腐るというものだ」

 と言いながら彼は蛇の目の傘を閉じて俺に持たせると、着物の袂からゴミ袋を取り出した。ゴミ袋に対して反応が一拍遅れる。俺がきょとんとした隙に、師匠はばさりと袋を広げて地面に置かれているお供えを引っ掴んだ。
 空き缶に入れられた花や、俺が買ってきたのと同じような花束、お菓子、マンガ。どれもこれもだいぶ年季が入っている。

「ちょっ……何してんですか!」
「何って。棄てるんだよ。腐ったものをいつまでも置いていたってしょうがないだろう」
「だからって勝手に! お供え物ですよ!?」

 師匠の傍若無人っぷりを知っている俺ですらドン引きしてしまう行動だった。
 缶を開けて引っくり返す。オレンジジュースのはずだが、中から出てきたのは茶色い汚泥のような液体だった。地面で跳ね返ったそれが師匠の足袋に滲みていく。それを見下ろしながら至極嫌そうな顔になったが、彼は三本ほどあった缶の飲み物を全て地面に飲ませた。

「こういう話を知らないかな。仏壇の蝋燭の炎が不自然に揺れている時、高い確率で仏壇の中の位牌や本尊が汚れあるいは破損している。また仏壇周辺で何か不思議な音や現象が起きた場合、墓地や墓石に異変が起きていることが多い。……それと同じだよ。祀られるもの、供えられるもの、手を合わせられる場所、そういったところが荒れていると、その対象たる彼らだっていい気はしないのさ」

 俺の背後二メートル、少年の人影はぴくりとも動かない。恐らく彼の家族や友人が供えていったはずのものが、無情にも赤の他人に棄てられていく様を、じっと見つめている。

 師匠が手を止めた。
 すらりと長いその指先に摘ままれているのは、黒い木片のようなものだった。

「何ですか、それ」
「……お供えに便乗してゴミを捨てるような奴もいるってことさ」

 肩を竦めてその木片もゴミ袋へ突っ込んだ。
 律儀にも缶と燃えるゴミは分別し、師匠は袋の口をきゅっと縛る。

「轢き逃げをされた少年の思念が残る。通りがかった人がお供えを目にして『ここで人が死んだんだな』と考える。お供えのお菓子やジュースや花が腐ると空気が淀む。そういった小さな欠片が集まりに集まり、地形も相まって淀みが渦を巻く。そして、少年の思念を巻き込んだ瘴気の群れが、一番強く残っている記憶を再現してしまう」

 電柱の足元に残ったのは、先程供えられたばかりの真新しい花束とジュースの缶だけになった。

「悼む気持ちは大事だが、生きている人間の何かしらを削ってまで手を合わせるべきではない。火葬を終え位牌も墓もあるのなら、そこに祈れば済むことだ。だというのにこうやっていつまでも忘れられない人がいるから繰り返してしまうのさ」

 師匠は缶を拾い上げると俺に投げて寄越す。

「はい、それ飲んで」
「お供えものですよ!?」
「飲めない彼よりも生きているきみが飲んだ方がよっぽど生産的さ」
「いやいやいや……」

 花束を手に持って踵を返した師匠がそのまま駅方面に向かって帰ろうとするので、俺は慌てて後を追った。
 二メートル背後、少年の人影。
 もう俺について来ようとはしていない。


 師匠は燃えるゴミと空き缶を駅のゴミ箱に捨てた。

「……これであの場所は大丈夫になるんですか」
「まあ、しばらくはね。だけど遺族があの場所で嘆く限り、お供え物はなくならないし腐って淀んで瘴気は澱を作るだろう。誰も彼もがあの場所を――あの少年を忘れるまで……あの丁字路は、繰り返すさ」

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