少年の人影は、巽の誕生日パーティーの傍らいつの間にかいなくなっていた。
一緒にパーティーをして満足したのかどうかはわからない。そのままいつも通り心霊スポットへ突撃した俺たちは、東の空が白む頃に帰宅した。俺はというと昼前まで寝こけてから風呂に入り、昼からのバイトに出発したのだった。
その帰りにバイト先の隣の花屋で小さな花束を購入すると、昨日してやられたばかりの丁字路に向かう。
少年が轢かれた瞬間を再現するためのエネルギーとして集まっていた瘴気の群れは、一掃したまま少し戻ってきたのみらしく、丁字路に足を踏み入れても昨日までの嫌悪や恐怖は感じなかった。
電柱の足元にある花やジュースは、昨日のままだ。
しゃがみ込んで、重ならないように買ってきた花束を置く。こうしてやってきたはいいものの、いざとなると言葉も出てこないもので、俺はがしがし頭を掻いてから手を合わせた。
すると、右耳の奥からきぃんと耳鳴りが始まる。
手を合わせたまま背後を振り返ると、二メートルほどのところに黒い靄があった。昨日よりも姿かたちがぼんやりとしている。俺の目の調子の問題か、それとも少年側の都合か、それはわからない。
「……俺についてきたって、何もしてやれんぞ」
昨日、師匠と話をした時から漠然とした違和感があった。
力のない人にも無理やり姿を見せつけてくるほどの理不尽なものであるにも関わらず、俺についてきた少年はただの靄で、師匠をして『化け物レベル』と言わしめるほどの見鬼を持つ姉御とも意思疎通ができなかった。人間相手に実際の事故と誤認させるほどの存在なら、俺程度相手には少年の姿がはっきりと映ってもおかしくない。そもそも師匠や姉御が家に招き入れるのを許すはずがなかった。
つまり、理不尽な執念を持つのは少年ではなく、この場所。
いつからかなんてわかりもしないが、この丁字路自体が悪いものをしこたま呼び寄せる『場』となってしまい、事故を呼び寄せているのだ。
だけど俺にはどうしようもない。
視えるだけで、マンガや小説みたいにお祓いする力なんてないし。
そもそも視える力に関しても弱い方に入るし。
立ち上がって小さく息を吐いたところで、「あ」と声をかけられた。
「……あ、昨日の救急隊員さん」
「どうも」
ぺこりと頭を下げてきたのは、昨日俺に呼びつけられた救急車から下りてきて、この丁字路のことを教えてくれた人だった。
非番なのか私服を着ている。
彼は手に持っていた缶ジュースを供えて合掌した。二メートル背後の少年は身じろぎもせずにその様子を眺めている……ように視える。なにせ靄なので詳しいことはわからない。
「……よく来られるんです?」
慣れた様子の彼に、ふと訊ねてしまった。
ゆっくりと目を開けてこちらを見つめる彼は「まあ」と肯く。
「先輩たちには、気にしたってしゃぁないって言われるんですけど。これだけ何度も何度も繰り返し、誰かの目の前で事故に遭って救急車を呼ぶってことは、きっと救けてほしかったんだろうなと思って……やりきれないので」
「二年目で五回って言ってましたっけ」
「そうそう、五回。さすがにそろそろ慣れてきましたけどね……だからって電話越しに、『それ幽霊ですよ』って言うわけにもいかんじゃないですか」
彼の苦笑いに、俺もつられた。
「ご遺族の方が可哀想ですよね。……亡くなったあともこんな風に息子が目撃されて、もはや心霊スポット扱いですもん。いつまでこんなことが続くのやら」
ざり、と地面を踏む音がした。俺の背後に目をやった彼がぱちくり瞬いて少し驚いたような表情になる。
振り返ると、師匠がいた。
涼しそうな縞模様の薄物を身に纏い、時代錯誤な蛇の目の傘を差している。師匠が着物姿なのにはもう馴染んでいるものの、こうして突如として路地に現れるとやっぱり異次元めいた空気を感じてしまう。
新たな客足を悟った救急隊員の彼は「じゃ、俺はこれで」と一礼してから丁字路を去っていった。