「ギンコ、これ何?」
「ほんとは雪ぐつの方がいいんだが…」
雪が降り始めた道で、ギンコは私に座るよう指示し、足首に藁で作られたものを巻き始めた。
木々の葉は落ち、動物の声も減った。なんだか山が寂しそうだ。
空は灰色。地面に張り付いた草だけ緑に色付いている。
「雪ぐつ……」
「雪で足が冷えないようにする靴だ。草履じゃ足が壊死しちまう可能性があるからな。他にも深靴とかジンベイとか……。その時、その場所によって使い分ける靴がある」
「ふーん」
「まぁお前も、俺と同じ草履じゃないから、装備も同じので良いだろ」
「装備って…。そんな大変なとこに行くの?」
「そうだな。間違えれば凍死する」
「えっ」
「はぐれたら終わりだな」
そう言いながら黙々と足に巻いていくギンコ。
私の顔が青ざめた。
「わ、わ、私、死んじゃうの…?と、凍死しちゃうの?」
「はぐれたらな」
「そうか…私…死ぬんだ…凍死するんだ…」
「……何ではぐれる前提なんだよ」
次に、持っていた風呂敷から私のコートとマフラーを出して私に巻いた。
「おー!温かいよ!これなら凍死しないんじゃない?!私無敵!」
調子に乗ってポーズを取る私を尻目に、ギンコはため息をついて、立ち上がり、歩き出した。私も後ろについていく。
「ここよりもっと寒い。雪が積もるからな」
「雪が積もったら綺麗だって書物に書いてあった!」
「そうだな。まぁ、行けば分かる。が、とりあえず」
と、いきなりギンコは振り返って、私の頭を掴んだ。
すごく怖いお顔だ…。
「マジで離れるなよお前…」
「えっ、あ、はいっ」
「分かってるのかほんとに。見たことがない植物、動物、蟲がいても、突っ走るな」
「………ぇ」
「突っ走るな」
「……ハイ」
気圧されながら返事をすると、ギンコはまたいつものように歩き出した。相変わらず蟲煙草を吸ったまま。
私は手のひらを出してゆっくりと落ちてくる雪を乗せた。形のあった冷たいそれは、一瞬で水へと変わる。
「うわあ!冷たい!本当に結晶だ!凄い!あ、こっちも!」
「あっこら!(名前)!言った側から!!」
「……ぁ」
「お前引き返してすぐ近くにあった村で待ってろ。言うこと聞けないなら連れて行けない」
「嫌だ!言うこと聞く!ごめんなさい!!」
最終的にはギンコのコートを掴みながら目的の地に向かった。
「コートを離すと何処かの村に置いていく」という条件付きで。
!!!!!!!!!!!!!!
「ささささ、寒い……!さむっ、寒い…!!」
「だから言ったろ」
「ぜ、ぜ、全然綺麗じゃない…。死にそう…!!」
「言わんこっちゃない……」
「何でギンコ平気なの!妖怪か何かなの?!」
「何回か来たことあるからな」
「いやぁぁ……ざむいー……」
鼻水をすすり、縮こまりながらギンコについていく。
周りは見渡す限りの雪、雪、雪。
所々に木が生えてる。雪が積もっていてチラチラ肌は見えるものの、真っ白だ。
空は曇天。雪が降り、刺さるように冷たい風が体に吹き付ける。
感じたことのない温度に頭の整理が追い付かない。
「人間がこんな場所に住むなんて……」
「基本人は何処でも住む。高山、水の上、森、それから洞窟」
「洞窟は分かるよお!」
……私が住んでたんだから。
それよりも、口が震えて言葉が思うように出てこなくなってきた。
どうにか叫んでやけくそに発している感じだ。
でも、ようやく目的の場所に着いたようだ。
ギンコは戸の前に立ち、依頼主を呼んだ。
出てきたのは、白髪の女性のご老人。村長の白沢さんと言うらしい。
白沢さんはすんなりと私達を通し、囲炉裏のある部屋へと案内してくれた。
「彼女は随分震えていらっしゃるようですが…」
「あぁ、こいつは雪がある所に来たことがないんで、慣れてなんですよ」
「まぁ。それはさぞかし大変だったでしょうね。今何か暖かいものを持ってきしょう」
「や、すみませんね。ご迷惑をかけて」
「いいえ。お呼びしたのはこちらですから」
そういって出ていってしまった。
凄く親切な村長さん。顔つきも優しそうだし。
濡れた髪から水滴が落ちた。濡れた、と言っても下半分だけ。上は布を被っていたから大して濡れなかった。
少し薄暗い部屋。それにとても広い。畳30畳以上あるんじゃないか?
「大丈夫か?」
「泣きそう」
「泣くな」
ギンコは「ヨイショ」と立ち上がり、私の後ろに回って髪を布で拭き始めた。
「手や足の感覚はあるか?」
「ある」
「じゃあ大丈夫だ 」
「だいじょばないぃ……」
「囲炉裏に手を伸ばしとけ。暖かくなるから」
「んぅ」
しばらくして戻ってきたおばあさんの手には急須とコップ。
「生姜湯です。ほんとは何か食べ物をと思ったのですが、すぐに出せるものがありませんでしたので」
「いえ、充分ですよ。ありがとうございます」
それを私に渡してから、おばあさんは今日この場に呼んだ理由を私達に話始めた。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
「ここはご覧の通り、深い山の底……。風の通らぬ静かな里でございます。特にこのような雪の晩には、物音ひとつしなくなり、話し声すら消えてしまうこともあると言います」
白沢さんは眉を寄せ、静かに語る。
囲炉裏の火の燃える音が充分に聞こえるほどに。
「そういう時、耳を病んでしまう者が出るのです」
「それはぁ両耳ですか?」
「殆どの者が片耳です。麓の町のお医者方は首をひねるばかりで、もしや異形の影響やもしれぬと思い到ったのです」
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それから場所は変わり、片耳が聞こえぬと言う人の家を訪問した。
ギンコは家につくなり木製の大きめの針のような道具を取り出す。
「何それ」
「これで耳の中を見る。まぁ言ってしまえば、診察器具だな」
「え、それが?」
「まぁ見てろって」
先の細いそれを患者の耳に少し入れ、棒の中を覗く。
見終わると私を手招きした。
「(名前)。中を覗いてみろ。あ、それ、動かすんじゃねぇぞ」
言う通りに私が覗いている間、ギンコは患者に原因を伝えた。
『吽』という、音を喰ってしまう蟲で、普通は森で棲息しているらしい。
しかし雪で音が吸収されてしまった。だから音を求めて里へ下りて来たんだろう。と。
「ギンコー……これ凄いわ。めっちゃ大きい……触れそう!」
という説明も今の私は右から左に抜けていく。
なぜなら、この器具の中には硝子のような物しか入っていないのに、すごく拡大されて見えるから。
どうなってるの?意味が分からない。
だって向こう側は指も通らない程の細さと小ささなんだよ?
こんな小さい器具でこんなにはっきりと大きく見えるだなんて…!
「ほら、返せ」
「えー!私これ欲しい!」
「お前が持ってても使わねぇだろ。はい、没収」
「あああ!酷い!もっと色んなの見たいー!」
「はいはい。また今度。で、どんなのが見えた」
「え、えー?黄緑っぽい粘液?」
「あぁ。それが吽の特徴だ。覚えとけよ。耳の中に黄緑の粘液が着く」
「『吽』…?」
「……お前聞いてなかったな」
「え?だってそれどころじゃなかった!!」
「………たく……ほんとお前は……」
「怒るとしわ増えるよ?」
「呆れてるんだよ馬鹿」
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
「あー、ここにいました。……(名前)、見ろ」
「えぇ?……うわぁ……。気持ち悪ぅ…」
「見えるか?」
「動かないのが幸いだよ」
「ああ。かなり大きな群れが巣くってる。これじゃあ音を喰いつくしてしまうわけだ」
家の隅の方に提灯を上に向けて蟲を照らす。
100はいるのではないか、と思うほどの群れだ。
ギンコはそのうちの1つを取って手の内に転がした。
人にも見える蟲なのだろうか。
患者がそこを見つめ「蝸牛のようだ」と言い、数秒すると、群れは煙のようにいなくなってしまった。
まるで幽霊。
「っ!消えた」
「移動したんですな。耳の中に蝸牛そっくりな器官があるのをご存知ですか」
飢えた「吽」は自らの殻を捨て、そこに寄生し、入ってくる音を全て喰ってしまう。
「ですが、器官が壊されたわけではありません」
「あの……お湯って……これぐらいで?」
「どうも」
患者の妻が、桶に湯を入れギンコに差し出した。
それを受け取り、ギンコはその湯の中に「白い砂」を入れる。
そのお湯を小さい水差しに移して患者の耳に流し入れた。
「これを耳に流し込めば……」
ちゅぱっと中から水のような音がすると、黄緑色のナメクジの様なものが耳から出てきた。
あぐらをかいていた患者の股に落ちると、また煙のように消えた。
「あ、ナメクジ消えた」
「これ、この通り」
「うえ!ぺっぺっ!辛っ何だこれっ」
耳から口に入ってきたらしい。舌を出して顔をしかめている。
それを見て、食べても平気なんだと思い、私は湯に指を入れてなめてみた。
「げっ!塩水!しょっぱ!」
「そう。塩です」
「塩?…っ!…聞こえるぞ」
「後はそれを屋根裏中に吹き付けておけば、問題ないでしょう」
「え、何。ナメクジ対策とほぼ一緒じゃん」
「ナメクジみたいなもんだろう。見た目的に」
「耳から出てきたやつビチビチいってたけど?!ナメクジそんなに活動的じゃないよ?!」
「驚きました……。蟲師の仕事というのを初めて見ました……」
一面真っ白な山道を、俯きがちに歩く白沢さん。
ギンコを先頭に登っていく。
まだ慣れたとはいえない寒さの中、私は耳と鼻を真っ赤にしながら、一番後ろをついてきていた。
「あとは一人だけ、両耳を病んでしまった者が……。私の……孫なんですが……」
その言葉にギンコは足を止め、ゆっくり振り向いた。
相変わらず蟲煙草をふかしている。
白沢さんは俯いていた顔を上げ、ギンコを見つめた。
不安と心配そうな声で話し出す。
「他の者とは明らかに様子が違う……。孫の様は、村の者には一切漏らさないで頂けますか」
ちらりと此方を見たギンコに小さく頷き返した。
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障子の向こうで何やらぼそぼそと話している様だ。
怒っている様だが、何せ声か小さくてよく聞こえない。
白沢さんが障子を開くと、白の着物と紫のような色の上着を着ている少年が、灯籠一つ付けた薄暗い部屋の中で、額に拳を作ってうずくまっていた。
7歳か8歳程に見える。
白沢さんが声をかけても聞こえていない様子だった。
「真火です。前の冬からこのような事に……」
周りを見渡すとそこら中蟲だらけであった。
ギンコは真火という少年の角に少し触れてから顎に手を当てた。
原因は何か、考えているんだろう。
「突然その角が生えたかと思うと、それまで聞こえていた音が聞こえなくなり、「これまでに聞いたこともない音」が聞こえ出したと言うのです」
これまでに聞いたこともない音
というのは蟲の音だろうか。
それを聞こうにも、彼の目は心ここに有らずという感じで無理そうだ。
外は静かに雪が降り、日が沈んだことで暗闇に包まれていた。
「こんな物音ひとつしない夜でも、家の内で外で音がする。囁くような音、轟くような音……。耳を塞いでも、隙間を埋めても変わらない。」
角から音が入ってくる
そう言った。
「これも吽なの、ギンコ。………あの蝸牛がこんな強そうに……」
「…馬鹿言え。これは……『阿』……」
「あ?」
「え?」
しかめっ面で問い返すと、白沢さんと声が被った。
「ぁ、すみません」と頭を下げる彼女に慌てて「いや、此方こそ」と両手を振った。