静寂ブレイカー



 バタバタッ、と軒から滴る水音にハッと我に返った。昼間から雲行きは芳しくなかったが、部屋に籠っている間に時間は随分と経ってしまっていたらしく、空はすっぽりと闇と雨雲に食われていた。そういえば、何回かゴーストに紅茶のおかわりについて尋ねられた気がするが、テーブルの上で湯気を蒸かしているティーセットを見る限り、どうやら甲斐甲斐しく淹れ直してくれた様だった。
 1人部屋と呼ぶには幾分も広い自室を与えられてから、今日で1年が経とうとしていた。ツイステッドワンダーランド内の魔法士養成学校で名門とされるナイトレイブンカレッジに如何なる手段を使っても入学すると誓ってから早数年。この学園を卒業する事は、アイス・ルーレッドが掲げる夢への第一歩に過ぎないのだ。



そう、僕なら出来る。

……やってやる。



 テーブルの傍らに積まれた手紙の束に、アイスは小さく息を吐いた。今手元で書き終えた物で全てが整った。あとは封蝋をして、夜の内配達する様に寮のゴースト達にお願いすればいい。
 時計を見ると、時刻は20時を少しばかり過ぎたところだった。食堂の夕食も食べ損ねてしまった事だし、手紙をゴーストに預けるついでに何か軽食でも摘むとしようか……。アイスが席を立った時だった。



「お嬢!!!」



 壁をすり抜けて、何体ものゴーストがアイスの自室に逃げ込んできたのだ。悪戯好きとはいえ、この寮に住み着いているゴースト達は皆紳士的なので、声掛け無しに彼女の部屋に入室してくる事はまず無い(何度声を掛けられても反応しない場合は別として)。珍しいこともあるものだ、とアイスはその大きな瞳を2、3度瞬かせた。



「何です、大勢で。随分と騒々しいですね」

「お嬢、それどころじゃないんだよ」

「変な生徒と狸がオンボロ寮に入ってきたんだ」

「生徒と狸……?」



 このオンボロ寮は、ゴースト達彼らの悪戯故に生徒達に見放された言わばゴーストハウス。そもそもこの寮に人が住んでいる事は一般生徒らには知られていないはずだし、一部の変わり者を除いてこの時間に好んでゴーストハウスこの屋敷を訪れる者等いるはずもない。



「……新入生が迷子にでもなったのでしょうか……?」



 在校生として入学式に参列するのは各寮長のみ。ポムフィオーレやハーツラビュル、オクタヴィネルはともかくとして、スカラビアやイグニハイドの寮生だったら無きにしも非ずな話だ。やだやだ、新学期早々に面倒事なんて。そうは言っても、ゴースト達彼らの言う侵入者をどうにかしない限りゆっくり休む事も叶わないだろう。



「で、その侵入者さんはどちらに?」



 どこの寮生であったとしても、この責任は寮長にしっかりと追及する事としよう。
 アイスが1階へ降りると、辺りはシン…と静まり返り、仄かに焦げ臭さが漂っている。侵入者は火の魔法の使い手なのだろうか?ここはオンボロ寮、火災等起こされたらたまったものじゃない。臭い以外には特段変わった事は無い様だが、長い廊下を更に突き進んでいくと、ぼんやりと揺らめく人影に気付いた。人数は…2人。背の高い人物と、比較的小柄な人物。



「グリムも一緒にこの寮に置いてもらうことは出来ませんか?」



 小柄な人物の影が動いた。



「なんですって?モンスターを?」



 背の高い人物の影が動いた。と、この声にはアイスも聞き覚えがある。近付く度にくっきりとしてきた見覚えのあるペストマスク……間違いない。



「あら学園長先生、こんばんは」

「おや、ルーレッドさん」



 アイスは出来る限り愛想良く声を掛けたつもりだったが、途端に宙に浮かんでいた小さな影はサッと小柄な人物の影に隠れてしまった。



「こんな時間にどうなさったんです?私の部屋に次々とゴースト達が逃げ込んでくるものだから驚いてしまいましたわ」

「にゃに?!さっきのゴースト達か?」



 小柄な人物の背後から顔を覗かせたのは、猫にも狸にも似ているモンスターだった。ただ、恐らく前述のどちらでも無いのだろう。グレーでふわふわとした愛らしい見た目をしているが、耳には蒼色の炎が揺らめき、右往左往するしっぽの先は三叉槍の様になっている。



「さっきの……かどうかは分かりませんが、ゴースト達彼らは挙って「生徒と狸が侵入してきた」と言っていたから、恐らく間違いないでしょう」

「オレ様は狸なんかじゃないんだゾ!!」

「あら、それは失礼しました。お名前は?」

「オレ様はグリム!大魔法士になる天才なんだゾ!で、こっちは魔法も使えない出来損ないのユウ……まぁ、このグリム様の子分ってとこだな」

「誰が子分だよ…」



 成程、小柄な青年がユウ、ふわふわと浮かぶモンスターがグリムというらしい。しかし名前を聞いても、アイスには彼らがこの寮を訪れた理由が全く掴めずにいた。グリムの言葉が本当だとすれば、ユウという少年には魔力が無いという事になる。魔力が無い人物が、この学園に足を踏み入れる事など出来るのだろうか?



「ええ、ええ、言われなくても貴方の言いたい事は分かっていますよ。どうやら闇の鏡が誤って彼の魂を呼び寄せてしまった様なのです。入学式はモンスターに荒らされるし、魔力の無い人物がゲートから出てくるし………嗚呼、今年は何事もなく入学式を終えられると思っていたのに…」



クロウリー学園長はわざとらしくおいおいと泣き真似をし始めた。妙に癪に障る言い方をする男だ。



「へぇ……それで?魔法の鏡学園の失態なのであれば、早くその少年を元の場所に返してあげれば良いじゃないですか」

「それがそうともいかないのです」



 そこまで言うと、クロウリーは語尾をごにょごにょと濁らせる。どうやらのっぴきならない事情がユウにはあるらしい。ならば深く追及するのは得策ではない。何度も言うが、面倒事はごめんなのだ。



「ところでお前、急に出てきて何なんだ?」

「ゴースト達がどうとか、言ってましたよね?」



 丸くて無垢な4つの瞳がじぃ、とアイスの姿を捉えている。その姿はまるで、実家で自分の周りをきゃっきゃと走り回る弟達に似ていた。アイスは少しだけ目尻を緩め、グリムの頭にそっと手を伸ばした。



「申し遅れました、私の名前はアイス・ルーレッド。ナイトレイブンカレッジに通う2年生です」

「ルーレッド…さん?」

「アイスで良いですよ、ユウさん」



 ずっと緊張しっぱなしだったユウは、ようやく肩の力を抜いた。
 目を覚ませば見た事もない場所にいて、頭の整理が追い付かないままグリムと追いかけっこをし、学園の入学式とやらでは魔力が無いので入学の許可が出来ないと一方的に断られる始末。おまけに元の世界に戻る事も叶わず、クロウリー学園長に言われるがままにオンボロ寮今夜の宿を訪れれば今度はゴーストの大群だ。ユウの頭は有り得ない出来事のオンパレードにキャパシティ・オーバーの寸前まで来ていた。
 目の前でグリムの頭を撫でる女性……アイスは、どうやら悪い人物では無い様だ。薄暗いオンボロ寮の廊下でも分かる程に、アイス・ルーレッドという女性は美しい人物だった。背は自分よりやや低いくらいだろうが、姿勢良く背筋がピンッと伸びた出で立ちと、品の良い口調、立ち振る舞いが相まって、ユウは彼女が現れてから終始心が休まる事が無かったのだ。



「大方、学園長が次におっしゃりたい事は理解しましたわ」

「嗚呼、貴方は話が早いのでとても助かります」



 これまたわざとらしく声を上げたクロウリーに、アイスは「白々しい…」と言わんばかりに白い目を向けた。



「闇の鏡に選ばれなかった……しかもモンスターの入学を許可するわけにはいきません。ユウさんについても、元の世界に戻るまでただ居候させるわけにはいかない。ただ、ユウさんの魂を呼び寄せてしまった事に対しては、闇の鏡を所有する学園にも責任の一端がある。とりあえず、当面の宿についてはオンボロ寮ココを無料でご提供します」



 一見聞こえは良いが、要は宿は提供するが他の事については自分で何とかしろ、という言葉の現れである。更に言えば、学内の雑務を引き受けてくれるのであれば衣食住丸ごと面倒を見てやる、という文章がそれに続く。



「ひとまず2人1組で『雑用係』はいかがです?そうすれば、特別に学内に滞在する事を許可して差し上げます。元の世界に変えるための情報集めや学習のために図書館の利用も許可しましょう。私、優しいので……ただし仕事が終わってから、ですよ」

「ええ〜!?そんなの嫌なんだゾ!オレ様もあのカッケー制服着て生徒になりたいんだゾ〜!」



 今までされるがままに頭を撫でられていたグリムが、途端に不満の声を上げる。



「あら驚いた、グリムさんは生徒志望だったんですか?」

「言ったんだゾアイス、オレ様は大魔法士になるんだって!」

「嗚呼…言われてみれば、確かに…」



 これは確かにクロウリーが疲弊した様子なのも納得がいく。モンスターが入学志望した話など、未だかつて誰にも聞いた事も無い。



「不満なら結構。また外に放り出すだけです」

「ふな゛っ!?わ、わかった!やればいいんだろ、やれば!」

「仕方が無い……」



 ユウもユウで、無一文な現状を考えればクロウリーの出してきた条件が良心的なのは幾分も理解していた。魔法という縁も所縁もない事象が存在する世界と、相棒となったモンスターとに一抹の不安を感じないわけでもないが。



「よろしい。では2人とも、明日からナイトレイブンカレッジの雑用係として励むように!」



 ユウとグリムは肩を落としながら、小さく「はぁい」と返事をした。



「寮内での生活で分からない事があればルーレッドさんに聞いてください。彼女はこのオンボロ寮に住んでいる唯一の生きた人間です。何かとチカラになってくれるはず……ねぇ、ルーレッドさん?」



 思わず手が出なかっただけ褒めてもらいたいくらいだ。マスクで隠れた内でどんな表情をしているのか見てやりたい。アイスは「コホン」と咳払いを一つして、



「私は2階を自室にしているので、1階は好きにして頂いて構いませんよ。時折ゴースト達に頼み事をしているので廊下で鉢合わせ、なんて事もあるかと思いますが……まぁ、すぐに慣れるでしょう」



と言い、胸元に挿していたマジカルペンを振った。



「私も明日があるので、今日はこれで失礼します。それは差し上げます……お二方とも、明日から頑張ってくださいね」



 オンボロ寮の給湯室から呼び寄せたのは、アイスが夜食用に作っていた卵サンドと具材用のツナ缶だった。気付けば時刻は21時を回っている……こんな時間から夕食なんて、ヴィルにバレたら何を言われる事か……。さようなら、僕のサンドウィッチ。



「ふなっ!!!ツナ缶なんだゾ!!!」

「いいんですか?」

「ええ。それでは、お休みなさい」



 何とも想定外の出来事が起きたが……まぁ、今のところ何の問題無いだろう。下手に反対して更に面倒な事になる方が厄介だ。自室に戻ると事の終始についてゴースト達にアレコレ尋ねられたが、アイスはスキンケアの片手間に「彼らが1階に暮らす事になった」「明日の朝起こしてやると良い」とだけ話すと、当初の目的であった手紙の束を預けて自分はさっさとベッドに潜り込んだ。

 明日から、アイスの学園生活の2年目が始まろうとしているのだ。


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