有能ローズガーデナー



 淑女の朝は早い。登校時間よりも2時間早く起きるや否や、朝食を食べ、入念に身支度を整え、軽い部屋掃除と洗濯を行ってから寮を出る。辛くないと言えば嘘になるが、嫌々ながらも1年間続けてしまえばこのルーティーンは自然と身に付いてくるというもの。ナイトレイブンカレッジに入学するまでは触れた事すらなかったメイク道具も今やすっかりと使い込まれ、苦手だったメイクという行為も慣れてしまえばアイシャドウやルージュの色を考える事が楽しく思えてくる。『ナイトレイブンカレッジ』への入学がきっかけというのが少々引っかかるが、結果オーライなので言及はしないで欲しい。



「では行ってきます、後の事はよろしくお願いしますね」

「はいよ」

「お嬢、いってらっしゃい」



 意気揚々と送り出してくれるゴースト達は、どうやらまだぐっすり眠っている雑用係の2人に悪戯をしかける事に決めたらしい。ふよふよとユウ達の部屋に集まりだしたゴースト達の様子に、アイスは心中で「お気の毒に」と申し訳程度に同情した。

 ナイトレイブンカレッジは魔法士の養成学校の『名門』として有名だったが、周知の事実でこの学園は『男子校』でもあった。紆余曲折ありアイスはこの学園への入学資格を得たわけだが、現時点でそれを知っているのは彼女と同学年以上の在校生だけである。つまり、ちらほら見受けられる新入生と思しき学生達は、いるはずもない異性の存在に視線が釘付けになるのも仕方の無い事なのだ。



「あら、今日も早いのね?」

「ご機嫌よう、ヴィル先輩」



 メインストリートに差し掛かった時、アイスの肩を小さく叩く人物がいた。ヴィル・シェーンハイト。ポムフィオーレ寮の寮長である。学園一と言っても過言ではない美貌の持ち主は、今日も爪先から頭のてっぺんまで抜かりなく身嗜みを整え、美しい笑みを浮かべている。



「それ、アタシがこの前マジカメにアップしたルージュ?」

「よく分かりましたね。別日に上げていたティントも気になったのですが……私、唇が荒れやすいみたいなので」



 ふぅん、と鼻を鳴らすと、ヴィルはその美しい顔をぐっと近付けてきた。今でも彼の美しさにはドキッとさせられるが、悲しい事に何度も同じ状況下に置かれ続けると「嗚呼、今日も麗しいかんばせだこと」くらいにしか思わなくなるのだから、慣れとは本当に恐ろしいものである。



「確かにあのティントの色味の方がアンタには似合いそうね。いいわ、似た色味のルージュ紹介してあげる」

「それは助かります。私の情報源は先輩のマジカメくらいなので」

「宝の持ち腐れ、って言葉を知ってる?アンタがウチの寮生だったらもっと指導してやれたのに……」



 ヴィルは艶めかしい溜息を吐くと、「そうだったわ」と制服のポケットから小さな小包を取り出した。



「これは…?」

「アタシからの進級祝いよ。新入生には鼻の利く奴・・・・・も多いから、騒がしいうちはソレを使うといいわ」



 「開けても?」と目で尋ねると、ヴィルは小さく頷く。綺麗にラッピングされた包みの中には、細工の綺麗なガラス瓶が納められていた。



「……香水?」

「そう、メンズ物虫除けだけどね。無くなる頃には周りも落ち着くでしょ」



 他寮とはいえ、彼はこういう点で非常に面倒見が良い。その理由の1つとして、アイスの見目が彼のお眼鏡に適ったという点が大きいわけだが、ヴィルの心情としては宝石の原石を自分の手で磨いている優越感がたまらなく心地良いのだ。昨年彼女が入学したての頃を思い返せば、見目の良い彼女は確かにジャガイモ畑に咲く1輪の薔薇には違いなかった。通る人々の目を惹くまでに凛と艶やかに咲いてはいるのだが、どこか粗削りで幼さの残るその姿はまるで、まるで剪定の行き届いていない野薔薇の様だった。
 去年程では無いにせよ、少なくとも数日の間は彼女が話題の的になる事は避けられない。恐らく自分以外の寮長らも目を光らせるのだろうが、先手を打つには越した事が無い。中でも最も血気盛んな坊ちゃんサバナクロー寮生らを黙らせるには最適のはずだ。



「ここまで綺麗に咲いてくれるなら多少の苦労は仕方ないわよね」

「はい?ヴィル先輩、また植物園で何か難しい植物でも育て始めたんですか?」

「まぁね。少し香りが強くて、変な虫が寄ってきやすいのが難点だけど」

「はぁ……?」



 困惑の意を隠す事なく眉を潜めたアイスの頭を軽く小突く。この1年でそれらしい淑女に仕上がったのだが、時たま現れる素の姿僕っ娘が如何ともしがたい。気を許してくれている、と捉えれば嬉しくもあるが、育てている側ガーデナーとしてはヴィルの完璧主義の意に反するのだ。



「眉間に皺を寄せるんじゃないって何度も言ってるでしょ?跡がついたらどうするのよ」

「申し訳ございません…」

「今日の授業は?」

「魔法史なので、このまま教室に行きます」

「そう、じゃあ早く行くわよ」



 時間に余裕がある時は彼女を無事に教室へ送り届けるのは、ヴィルの日常の中では至極当たり前な事。自身が手塩に掛けた艶やかな薔薇アイスを、どこのモノとも分からない虫に食い荒らされるなど言語道断だ。とりあえず、今日のアイシャドウの色は似合わないから変えろ、というお小言は忘れないうちに伝えるとしよう。


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