ハッピービーンズデー



 ホリデー休暇も終わり、すっかり休みボケも抜けた2月のある日の放課後。モストロ・ラウンジのソファに腰かけたアイスは、足を組みながら帰りがけにクルーウェルに手渡された紙きれをしげしげと見つめていた。紙切れの中心にはデフォルメされた怪物のイラストが描かれている。



「おや、アイスさんは怪物チームですか」

「!!……びっくりした…」



 後ろからアイスの手元を覗き込んだジェイドは、眉尻を下げて「すみません」と謝罪の言葉を述べた。表情は上手くつくろっているが、謝罪の気持ちなど微塵も無い事は明らかである。不満の意を視線に込めてじぃ、と睨んでみたが効果は全く無く、彼はこぽこぽと良い香りをたてながらカップに紅茶をそそいでくれるのであった。



「それ、明日の『ハッピービーンズデー』の組み分けのくじですよね?」

「みたいだね……どうやら今年は僕も『ハッピービーンズデー』に参加できるみたいだよ」



 唇を尖らせるアイスの姿に、ジェイドはクスクスと笑みをこぼす。
 『ハッピービーンズデー』とは、2月に行われるツイステッドワンダーランドで周知されている伝統行事だ。この伝統行事は、ある逸話になぞらえて生まれたとされている。
 昔々、この国のとある『幸福の谷』と呼ばれる谷に、とても美しい歌声で歌う魔法の竪琴があったという。竪琴が歌うと木々は青々と生い茂り、大地は潤い、人々は豊かな自然の中でそれはそれは幸せ≠ノ暮らしていたという。ところがある時、天空に住む巨大な怪物が谷の魔法の竪琴の存在に気が付いた。谷の幸せ≠羨んだ怪物が竪琴を盗み去ってしまうと、途端に谷の木々は枯れ、大地は痩せこけ、人々は飢えに苦しんだ。そんな中、ある農民が偶然『ハッピービーン』と呼ばれる魔法の豆を手に入れた事で事態が一変する。『ハッピービーン』から育った豆の木の蔓は一晩で雲の上の怪物の住処すみかに届いた。農民はこの好機を逃す事無く無事に竪琴を奪還すると、素早く地上に戻り豆の木を切り倒し、追ってきた怪物の退治に成功。こうして幸福の谷にはまた、魔法の竪琴の歌声と豊かな自然が戻った―――。
 この話は『取られたものは取り返せ』『やられたら倍返しせよ』という教訓として、ツイステッドワンダーランドのプライマリースクールで必ず習う逸話であり、ある時から農民役が怪物役に豆をぶつけて厄払いする行事『ハッピービーンズデー』が始まったのだ。

 さて、ここナイトレイブンカレッジでもその伝統を重んじて代々厄払いの行事が行われてきた。しかしある時、怪物役が豆をぶるけられるだけ、という事に耐えかねた生徒ら数人が農民役に反撃する珍事件が起き、結果両者入り乱れて大乱闘となった。この珍事件を好機と捉えたのは、意外にも教師陣である。

『どうせ乱闘騒ぎになるくらいなら、いっその事体力育成の一環として対決行事にしてしまえ』

 こうして何とも不思議なナイトレイブンカレッジ式『ハッピービーンズデー』……つまり寮・学年関係無しの異種試合スポーツ大会が誕生したのだ。何というか、流石は堪え性の無いナイトレイブンカレッジ生。その我慢弱さはプリスクールの幼児と良い勝負ではなかろうか。とはいえ、身体を動かす事が好きなアイスは昨年この行事の存在を知ってそれなりに楽しみにしていたのだ。この異種スポーツ大会は個人の成績にも影響する授業の一環として行われる。どういうわけか知らないが、一方的に運動部への入部を断られたアイスにとっては誰にも文句を言われずにスポーツを楽しむ絶好の機会になる―――はずだった。



「ルーレッドさん、貴方は我が校の正式な寮には所属しておらず、の生徒らに所属している寮を隠している身……貴方が農民・怪物どちらかのチームに所属する事は、個人の力量や寮の偏りを無くす≠ニいう我が校の『ハッピービーンズデー』のルールに反します。よって、残念ながら貴方の『ハッピービーンズデー』への参加を容認する事は出来ません」



 昨年の『ハッピービーンズデー』の前日、クロウリーに呼び出されたアイスはこの言葉に絶句した。



「運営を手伝って頂ければ、今回の『ハッピービーンズデー』分の成績は保証しましょう。私、優しいでしょう?」



 などとクロウリーの自画自賛が暫く続いたのの、残念ながらアイスの心に響く単語は1つも含まれていなかった。気が付くと、アイスは自室のベッドの上に座りぼーっと藍色に染まった窓の外を眺めていた。差別だ!横暴すぎる!と叫びたいところだが、淑女はそんな科白を口にする事は無い。そもそも、少しばかり脅して……いや、学園の好意で入学を許可してもらい、さらには多少おもむきはあるとはいえ宿泊場所も特別に手配してもらっている手前、学園の方針に意見出来る身分ではないのは重々承知している。ただ、このやるせなさを吐き出す術も場所も見つからず、アイスは歯をキリキリ鳴らしてふて寝するしかなかった。



「『今年は参加できる』って、昨年も十分参加してたじゃないですか」

「君の目は節穴か?君達が競技に勤しむ中、僕は運営という激務に追われていたというのに……」



 アイスは目を見開いてわざとらしく驚いて見せると、ジェイドが出してくれたティーカップに口を付けた。
 長ったらしいクロウリーの開会のあいさつを憂鬱な面持ちで聞いていたアイスだったが、先日学園長室で言い渡された言葉を思い出す。クロウリーは『運営を手伝え』と言ったが、どう手伝えとは指示を出さなかった。なんだ、選手プレイヤーとして楽しめないのなら、思う存分に運営の権力を行使させてもらおうじゃないか。にんまりと口角を上げるアイスも、やはり堪え性の無いナイトレイブンカレッジの生徒の1人であった。



「まさかどちらのチームにも所属せずに仕掛け人トラッパーとして両陣営を狩り漁るとは思っていませんでしたよ」

「人聞きの悪い事言わないでくれかい?怠けている生徒を粛清する事も運営の立派な仕事だろう?」

「ええ、それはそれは素晴らしい働きっぷりでしたよ。閉会式で学園長が、開始30分で全校生徒の半数が脱落したのは快挙だったと言っていましたね」



 運営側のアイスは競技に参加する事は勿論、選手プレイヤーらに支給される捕獲・撃退アイテムを所持する事も使用する事も叶わない。ただ一点、最大のメリットは選手プレイヤーではないが故に誰かに攻撃される事も、競技会場から退場させられる事もないという点である。怪物を退治出来ないのであれば、農民が怪物を退治しやすい地形に追い込んでやればいい。農民を捕獲できないのであれば、仲間が駆け付けられるように騒ぎを大きくしてやればいい。多少のお小言は覚悟の上だったが、思い返せば怪物役の生徒らの反撃を授業の一環として採用した教師らが気にするはずも無かった。アイスの腹いせから始まった行動は競技が終了するまで続き、気が付けば選手プレイヤーでもないのにその年のMVPを獲得していた。こうして、過去に例を見ない『ハッピービーンズデー』は閉幕を迎えたのだ。



「今年も『運営』にまわされるかと思いっていたけど……今年はユウとグリムが入学したお陰でオンボロ寮ウチも正式な寮として認められたらしいね。ユウ達が農民チームだから、僕は怪物チームなんだとさ」



 差し出されたクッキーを摘みながらも、アイスの視線はテーブルに置かれた紙切れに釘付けとなっている。心なしか頬が赤らんでいるその様子にジェイドは笑みを深めた。昨年参加できなかった事が相当悔しかったらしい。今までも感情表現を隠し切れない事が度々あったが、多少は気を許してくれるようになったのか最近は実に色々な表情を見せてくれるようになったものだ。普段は穏やかで誰もが認める淑女を演じているが、素の彼女は実に子供っぽくて表情が豊か、おまけにとても負けず嫌いである。今も急に訪れた『ハッピービーンズデー』への参加権に戸惑いつつ、本当は声を大にして喜びを表現したいのだろう。さすがそれを見せてくれるにはまだ心の距離が遠いようだが、これはこれで非常に愛らしい。



「……ところで、アズールはどうしたんだ?僕はモストロ・ラウンジの新しいメニューを考えて欲しいと言われてきたんだけど」

「すみません。アズールは明日の『ハッピービーンズデー』の準備が忙しいとの事で、メニューは僕とアイスさんとで考えておくように言われたんです」

「本当に人使いが荒いね、君の所の寮長は。……まぁ、去年の成績を考えれば躍起になる理由も分からなくはないか」



 アイスの言葉にジェイドは苦笑をこぼした。確かに、昨年は初めての『ハッピービーンズデー』で戸惑ったとはいえ、アズールの成績は散々なものだった。足を上手く使いこなせなかったのも理由の一つであったが、元々運動があまり得意でないアズールは競技前半であっさりと怪物チームに捕獲され戦線離脱を余儀なくされた。



「ところで、ジェイドはどっちのチームだったんだ?」

「僕ですか?……僕は農民チーム、アイスさんとは敵同士ですね」



 ジェイドがそう返すと、目の前の彼女はきょとんと目を丸くしていた。その表情の面白い事……ジェイドは思わず「ぷっ」と息を漏らす。



「どうしました?そんなに可愛らしい顔をして」

「か、かわっ!?……いや、まさかそんなにあっさりと教えてくれるなんて思っていなかったから……」

「おや、僕が嘘をつくとでも?」



 傷ついたと言わんばかりに眉尻を下げているが、相反して口角があがったままなので信憑性に欠ける事この上無しである。アイスはムッと眉をひそめて肩ひじをついた。



「本当の事を言ったところで、君には何のメリットも無いだろう。何より、味方と油断させて闇討ちしそうじゃないか、君」

「酷いですねぇ、そんな事しませんよ。これでも、僕だって明日の『ハッピービーンズデー』を楽しみにしているんですから」

「ふぅん……まぁいいや。ジェイドが農民チームって事は、アズールが怪物チームか……寮長と副寮長は別々のチームに組み分けされるんだったよね?」

「ええ。これもチームの力量が偏らない配慮だとか」

「アズールの意気込みがどの程度か知らないが……僕達に仕事を押し付ける程に必死なんだ、働きっぷりに期待だな」



 フン、と鼻を鳴らし、アイスは並べられた資料に手を伸ばした。『ハッピービーンズデー』が終わればバレンタインデーがやってくる。2月はテストも無く比較的学生をモストロ・ラウンジに誘致しやすい。バレンタインデーというイベントを利用したメニューを幾つか見繕ってみたが、そもそも男子学生しかいないこの学園にバレンタインデーを用いた企画は不向きだっただろうか?首を傾げながらパラパラと資料を捲るアイスに対して、ジェイドは目の前にひらりと飛んできた1枚の資料に目を瞬かせた。どうやらアイスがユウに協力を仰いで思案したメニューの1つらしい。書かれた企画内容に一通り目を通したジェイドは、彼にしては珍しくその鋭い歯を見せて笑った。



「……アズールも心配ではありますが……アイスさんも十分に気を付けてくださいね」

「……どういう意味だい?」



 途端に鋭い視線がジェイドに向けられた。ゾクリ、とジェイドの身体が震える。アイスは裏表問わず割と極めて温厚な性格をしているが、自己顕示欲が強い事もあってか非常にプライドが高い。普段は気を張っているのか多少プライドを傷つけられてもポーカーフェイスを貫いているが、素を知っている人物の前ではどうも隠す事が苦手なようだ。自身の片割れも言っていたが、綺麗な臙脂色えんじいろが怒りでふるふると揺れている様はなんとも心くすぐられるものがある。



「いえ、昨年の立場では『退場』という概念が無かったみたいですが、今年は選手プレイヤー……せっかく楽しみにしているのに、早々に豆を当てられてしまっては可哀そうだと思いまして」

「僕がそう簡単に戦線離脱するとでも?生憎だが、君に心配される筋合いはない。精々僕に捕まらないように気を付けるんだね」

「成程、それは失礼しました。そこまで自信があるのでしたらどうです?一つ僕と勝負をしませんか?」

「勝負?」



 ええ、と微笑みジェイドは続ける。



「僕とアイスさん、どちらがお互いを捕らえられるか……いかがでしょう?」

「あのね、その勝負に何の意味があるんだい?第一、今回はチーム戦なんだ。対峙する前に互いが誰かに狩られる事だってあり得る」

「おや?僕は最後まで勝ち残るつもりですが……アイスさんは違うんですか?」



 これが決め手だった。アイスはあからさまに怒りを露わにして小さく舌打ちをする。ああ、こうも簡単に此方の術中にハマってくれるとは……彼女はとても賢いはずなのに。ジェイドはニヤつく口元を抑えるのに必死になった。アイスは頭に血が上るとどうも判断力に欠けるところがある。無防備にも程があるのでは、とそれこそ心配にはなるが今回は好機と受け取ろう。



「ふぅん……本当、大した自信だ。……いいよ、遊んであげる。今回は僕も選手プレイヤーなんだ、全力で狩ってやる」

「フフフ…怖い怖い。お手柔らかにお願いしますね」



 アイスはすっかりと気分を害したらしい。テーブルに広げていた資料をそそくさとまとめると「悪いけど、今日は落ち着いて考えられそうにない。自室で作業させてもらう」とヒールを鳴らしてモストロ・ラウンジから出て行ってしまった。姿勢よくお辞儀してその姿を見送ったジェイドだったが、面をあげるとすぐに被っていた帽子でその顔を覆う。誰も居なくなったモストロ・ラウンジには彼の喉を鳴らす音が響いていた。



「なんとまぁ、勇ましくて可愛くて愚かで……本当に食べてしまいたい…」



 ジェイドはポケットに忍ばせておいた企画書を取り出し口づける。ああ、駄目だ。暫くはこの高揚感が抜けそうにない。ひとまず、空になったティーカップを洗うとしようか。


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