終章

01

「……行っちゃいましたね、船」

 瓦礫の街で一人佇む彼の隣へと降り立つ。地面や周囲の建物には燦々たる戦闘の爪痕が残るものの、今ここはどこまでも静かだった。海賊たちは去り、民衆もまだ戻らないその場所で、たった二人、彼らの居る海の方へと吹く風を背にうけていた。
 胸元の子電伝虫からはバスティーユ中将の怒号のような声が聞こえていたが、この状況のうまい言い訳などはすぐには思い付かず、通信が悪いフリをしてそれをそっと足元へ下ろす。

「いいんですか? 麦わらのルフィを捕まえなくて……」

 元帥に、捕まえるまで帰ってくるなって言われていたのに。彼の大きな体躯を見上げると、「そうですねェ」なんて言いながら、やけに晴れやかな表情で彼が微笑んでいた。

「……本当に、そんな顔、あんまり皆さんの前でしないでくださいね。……特にサカズキ元帥の前では」
「ははァ……まぁ、そうですねェ……心配しなくても、しばらく顔は合わせられそうにありやせんので」
「それはそうですが……はは、いや、そうですよね……ふふ、あはは……」

 清々しく開き直ったかのような彼の笑顔に釣られてだろう、次第に私も笑いが込み上げる。

 ——王下七武海政府公認の海賊ドフラミンゴは、ただの海賊である麦わらのルフィに打ち倒され、悲劇の国ドレスローザは救われた。元帥はご立腹だけど、イッショウさんは賭けに勝ち——母と、義兄の仇は、いまごろ軍艦の檻の中だ。
 今の感情を、言葉で言い表すことはできそうにない。……——ただ、全て終わったのだという開放感だけが、無性に。

「あんたも、ずいぶん楽しそうだ……」
「ふふ、あはは……はぁ、……ふふ、数日で色々なことがありすぎて、もう笑うしかできないじゃないですか……私まだ、夢が現か判断がつかないです。……ああ、もし夢だとしても、イッショウさんの土下座は綺麗だったなぁ……」

 なおも笑い続ける私に、彼は苦々しげな顔を見せる。そりゃあそうだ、それが筋だと腹を決めてしたこととはいえ、笑われるのはあまり気持ちの良いものでもないだろう。

「でも、かっこよかったです」
「そうですかい」

 それはおべっかやその場しのぎの嘘ではないのだけど、伝わっているかは怪しい。まぁ、彼のことだ、そんな軽口程度で怒ったりなんだりはしないだろうが。
 そんなことよりも今は、大将が出たにも関わらず、海賊たちを一人残らず取り逃したことの言い訳でも考えなければ……戻ればまず間違いなく、おつるさんの言及はまぬがれない。センゴクさんは、まぁ……先ほどの様子からも、何も言わず笑い飛ばしてくれそうだけど……
 
「……後悔は、ありやせんか」
 
 はた、とまた彼を見上げる。何について——? と言外に問い掛ければ、彼は少し言いにくそうにしながらも、静かに口を開いた。

「天夜叉の旦那は……仇、だったんでしょう。あんたが自分の手で、捕まえたいと思っていたんじゃあないですかい」

 ——ああ、なんだ、そんなことか。

 私は微笑む。「ないですよ」と断言した私に、今度は彼が心底以外そうな顔で、微かに首を傾げるような仕草をした。

「……たしかに、ドフラミンゴのことも、他のことも、私の望んだことは何ひとつ自分では果たせなかったけど——」

 ドフラミンゴは、自分が捕まえたかったけど、私じゃあの男には勝てなかった。
 犠牲を良しとするサカズキ元帥にも言い返したかったのに、たかが少将の私の言葉では、きっと意味がなかった。
 センゴクさんとあの人ロシナンテのことだって、私が何かしてやれたらよかったのにって思っていたけれど……何かしてやれるほど、私はその男のことを知らなかったのだ。

 つまりは、そう。結局のところ——

「……全部、私じゃできなかったことだから——良かった、私じゃない誰かでも、それをしてくれる人がいて」
「……そいつァ……」
「あっ、卑下してるわけじゃ無くて……」

 何と言ったら良いのだろう、喜びとも違うこの感情を。だって、ずっと、思っても口に出せなかったもの、何もできなかったものが、全部一気に解決した、みたいな……。ようやく、悪い奴が、悪いんだって、認められて。私がおかしいって思うことを、同じようにおかしいって思ってくれる人もいて……

 ——ああ、安堵、なのかも。

「私も……お礼を、言いたい、麦わらに。……ドレスローザにきたのが、あの人でよかった」

 ——それに。

「……大将に選ばれたのがあなたで良かった。貴方に、会えてよかった。……下心なしに、そう思います」

 この頃には、空に広がる瓦礫もそのほとんどが海に沈んで、隙間から漏れる光が傷ついた国に降り注いでいた。何もかもボロボロで、決して十全な光景とは言えなかったけれど、港から聞こえる声は温かかった。——次はそれを守れる側でありたいと、その気持ちが、私の背をシャンと伸ばしてくれるようでもあった。

「……はは、光栄ですねェ……」
「ふふ」

 そろそろ船に戻ろうか、と踵を返した彼の背を追う。国を出る前に出来る限りのことはしていこう……などと話している最中、ふと、気になって今後のことを聞いてみる。

「本部には戻れないですけど……どうするんですか?」
「ええ、少し旅に……そう、いきてェところもある……」

 旅行の話をするにしては、わずかに固さの残る声でそう言った。ならきっと、それは彼にとって必要なことなのだろう。そうであるなら、止める必要も、それ以上を聞く必要も私にはない。

「旅ですか……もちろん私もご一緒させてくださいね! 任務以外でマリンフォードを離れることなんてなかったから、ちょっと楽しみで——」
「何を言ってる、お前は別任務だ」
「え、っ……!?」

 真後ろから私でも彼のものでもない声がして思わず振り返る。そこには「先に戻っているぞー」と言って姿を消したはずのセンゴクさんがおり……やけに楽しそうな顔で、おかきをむさぼり食べていた。

「船に行ったんじゃ」
「お前らが中々来ないから様子を見にきたんじゃないか」
「なんっ、やっ……待って、いつから聞いてました?」
「ん? さぁ……どこからかな」

 その言いようと、聞かれていた恥ずかしさからカッと顔が熱くなり、抗議のつもりで彼の膝を思いっきり叩く。しかしおふざけおじさんと化しても流石は元元帥、びくともせず、それどころかなおも笑いながら私の首根っこを引っ掴んだ。

「さて話は戻るが……王下七武海がまた一人抜け、海軍もドタバタするだろう、兵は何人いても足りないんだ。例に漏れずお前もまた船を出すことになるだろうな、少将・・?」
「い……いやだー! またしばらく会えなくなるじゃないですか! しかも今度は期限もわからないし……っ」
「嫌もクソもあるか、仕事だ」

 身長差のために身体が宙に浮く。バタバタと手足を振ってみるも、彼には効果はない。力の差……というよりは、小さな頃の記憶から「逃れられないだろうな」と潜在意識レベルで諦めてしまっているのかも。
 それでも必死に抵抗を続けている私に、イッショウさんは「まぁまぁ……」と声をかけた。

「あまりわがままを言っちゃァいけねェ……仕事は、仕事でござんす」

 いや、あなたが言いますか? という気持ちがありますけれど。

「……わかってます、わかってますよ……もう! センゴクさん、とりあえず下ろしてください! 嫌とはいうけど、ちゃんとやりますから……」

 そうか、と彼が手を離し、地に足のついた私はイッショウさんの隣まで駆け寄り彼のコートの袖をぎゅうと握った。……護送後にまた離れるのだと思うと、今のうちに何か言っておきたいし、させて欲しいことがたくさんある。それを、伝えたくて。
 その前に……と、私がじとりとセンゴクさんを振り返ると、彼は私の言わんとするところを察したらしく、「今度こそ先に戻るからな、早くこい」と笑って去っていった。その背中が豆粒ぐらいになった時、隣に立つ彼が、普段よりも小さな声で私の名を呼ぶ。

「……今日は……あっしのお願い≠聞いてはもらえやせんか」
「え——あっ、はい! もちろん……!」

 予想外の申し出に心臓がどきりと跳ねる。しかし断る理由もなく、彼のコートからは手を離し、改めて正面から彼と向き合った。何を言われるのだろうと肩に力の入る私に、彼はすっと、右手の小指を差し出す。

「まずは、約束を——あっしはすぐに戻りやす、そうしたら、今度はまた一緒に船に乗りやしょう——ついてきてくれやすか?」

 それが指切りを求める仕草だと気づいて、私は反射で自分の右手を彼に伸ばした。すぐに「もちろん」と指を重ねようとして、一度、思いとどまる。

「あの……それは、どうしてか、聞いてもいいんでしょうか」

 浮かれる前に。……私はそういう意味で好きだけど、彼はそうではないのは知っている。知っているけど、もしかしたらを願ってしまうから。違うのなら違うと、任務に必要だから、と言って欲しかった。それでも、彼のためになるのならついていくだけの気持ちは、私にはあるから……
 ——だから、続くその言葉に、私は耳を疑った。
 
「——……あんたがいないと、あっしも寂しい。とっくにね、あんたがいないと困る男になっちまってんだ」
 
 照れたようにはにかんで、彼の差し出した手にほんのわずか、きゅうと力が入る。それって、それって——ああ、私と同じだと思ってもいいんでしょうか?

「今は……その時じゃねェが……、きちんと、改めて、あんたに言いたいことも……ありやすので……」
「……っ」

 その言葉を聞いた時、舞い上がって叫び出してしまいそうだった。彼の便りなさげな小指に飛びついて、力一杯握りしめ、プレゼントをねだる子供みたいに声を張り上げた。

「そ、それ……っ! ——い……いま、今じゃ、ダメなんですか」
「……ダメです。あっしが嫌だ、ちゃんとしてェんで」
「がっ……がんこ……! ちゃんとしてなくても、今言ってもらったほうが私は嬉しいですけど!」
「嫌です」
「もぉ〜〜〜……っ!」

 ——そんなところも好きだ。でも、今は言わないことにした。

 彼が「まだ」と言うのなら、私もそれまでこの言葉は取っておこう。今更……と思われるかもしれないが、それでもいい。彼が私にそれ・・を伝えてても良いと思ってくれるまで、待とう。彼がすぐに戻ると言うのだから、きっとそう時間はかからない。
 
 その時まで——この手の熱を、きっと忘れずにいよう。
 
 

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