それぞれの甘露

 ——手を貸して欲しい。唐突に彼にそういわれたものだから、私は「お役に立てるなら」と意気揚々に胸を張った。しかし、彼は申し訳なさそうに眉尻を下げ、いやァ、そうじゃあなくて。と頬をかくばかりで……。

「じゃあ、お仕事の話とかじゃなくて……文字通り、私の手、ですか?」
「ええ。へへ……すいやせんね、あんたが手ェ出してんの、珍しい珍しいって言われるもんだから、ちょいと気になりやして……」

 まぁ、それくらい、全然良いですけど。少し肩透かしを食らったような気持ちもあるが、彼が望むならと私は長いコートの袖をまくる。

「どうぞ」
「それじゃあ、失礼しやす」

 私が差し出した小さな手に、彼が優しく触れた。その上、やけに仰々しく両の手で静かに触れるものだから、まるで唯一無二の宝物を扱うみたいに思えて妙にむずがゆい。

「……別に、食事の時は出してるし、同じ船に乗ってたら見ることもあると思いますけど」
「そらァそうだ。……ああ、ならあっしは見せてもらえている方なんですねェ」
「イッショウさんに関しては、見せると言うかなんというか……まぁ、どちらにせよ上官の前でもずっと隠してたら、怒られますし」
「あァ」
「それに剣とか銃とか持つ時は出してるし……そこまで希少でもないですけど」

 だからそんなに、大事大事にされるのも、なんだか恥ずかしいんですけども。

「……楽しいですか」
「ええ、まぁ。手相なんかは、人によって違いやすからね……」
「それはそうです、けど」

 ハムスターとか、小鳥でも突いているつもりなのだろうか。そう思えるくらい彼の手つきは慎重で、しわをなぞるように動く指が少しばかりこそばゆい。「握手の時も触れてますよね」とか「どれだけ頼りなくても、一応軍人の手のひらですよ」とか、言いたいことはいくつもあったが、彼の何処か楽しそうな顔を見上げると、なんだかそんなことを口に出すのは憚られた。

「……小せェなぁ……」

 く、と彼の親指が私の手のひらの中心を軽く押し、彼は笑い混じりの息を吐く。その様子が、私の目には、あまりにも……
 私の手なんかより、ずっと……——、

「…………えっちだ……」
「ええっ、あァ、いや……、す、すいやせん……?」

 慌てて手を離す彼を見上げながら、私は、ウゥ、と小さく唸る。別に彼に非があるとは思っていないが、この行為は、何処かいかがわしいものなのではないか? という疑念が私の中に湧いていた。そうなるくらい、彼の触れ方や、表情、何よりそれを見る私の目は、今何かおかしな雰囲気に呑まれかかっていたように思う。手のひらなんて、別に触られて、不味いものでもないはずなのに。

 ……まずいものでもない、が——やっぱりもう少しだけ、隠しておこうか、と。そう思うのだ。今先ほど見た彼のあの顔を、私以外の人の前に晒されるくらいなら。
 

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