ルール

「正直、信じ切れてないのよ。いくらなんでも現実離れしすぎでしょ」

 窓の外に見える街の電光が、軽快なスピードで流れていく。
 向かい合わせにした座席に肘をつき、ごく不機嫌そうに呟いて、リコは言葉を落とした。
 気持ちはわかりすぎるほどわかったので、高尾も溜め息をつきながら頷く。

「そりゃ俺だってそうっすよ。さっきから葛藤しすぎて定期的に賢者タイム来てます。でも冗談で流すにはちょっと……」
「そう。でも、なのよ。桃井はみんな本物だって言い切ってるし、正直私達も、黒子君だけは本物かなって感じがしてる。でも彼が本物だったら、騙されていることはあっても冗談ではありえないわ。こんな大がかりなイタズラ、他人に迷惑をかけながら出来る子じゃないもの」
「誘われたとしてもぜってー加担しねえよ、あいつは。…です」
「騙されてるって可能性は俺も考えたっすけど、緑間や赤司まで騙されるほど手の込んだセットを誰が作んのって話になりません?」
「現実的ではないですよね。それに、移動や時間の齟齬は誤魔化せるものじゃないと思います」

 そこなのよ、とリコは苦虫を噛み潰したような顔をした。
 そう、そこなのだ。
 キセキ達があくまで被害者だとするならば、時間が全く経過していなかったというのは確かだろう。
 そんなところで嘘をつく理由がないし、仮に時計が狂わされていたとして、時間が自動入力される掲示板で話しながら気づかないはずがない。
 しかしあの巨体達を、本人に気づかせもせずどうやって一瞬で運ぶと言うのか?
 その時点でもう人間業ではありえない、ということになってしまう。

「火神、顔変じゃね?」
「……オレさ、幽霊とかそういうのマジ苦手なんだけど、本物出たりしないよな?」
「……お前、何しに来たん?」
「アメリカンホラーならいけるんだよ! 日本の幽霊無駄にじめじめしすぎじゃねえ? 出てくるタイミング読めねえし終わったと思ったら来っし」
「いや、映画見に行くわけじゃないからさ……タイミングとか考えるだけ無駄ってーか……お前、何で来たん?」
「二回言うな」
「大事なことなので」

 真顔で応えると、苦々しい顔で押し黙られた。キセキの世代を相手に堂々と渡り合った超人か、これが。
 一瞬呆れた気分になったが、考えてみれば緑間だってコートを出れば偏屈で不器用なリアルツンデレ男だ。一長一短、そんなものなんだろう、人間なんて。
 苦手なんて言っていられない。大人しく家で展開を見守るなんて出来なかったその気持ちは、高尾にだってよくわかる。

「……奢ってやるって約束してたんだよ」
「は?」
「マジバのシェイク。んで、代わりにバーガー奢ってもらうことになってる」
「はぁ……仲いいね?」
「果たさないまま年明けとか、気持ち悪いだろ」
「━━━まあ、わかるよ」

 男達のしんみりとした空気に、女子2人は顔を見合わせ、揃って苦笑しながら口をつぐんだ。
 女々しいかもしれないが、男だからこその女々しさというのもある。真剣勝負の後のどうってこともない約束とか、少年漫画的な浪漫だから仕方がない。
 うん、わかるよ。俺だって今日くらいおしるこ缶奢ってやってもいいかと思ってたし。
 感傷的な気分になってスマフォを手に乗せる。何となくスレを表示しようとして、かぶさった白い手に止められた。

「相棒が恋しくなっちゃったのはわかるけど、スレを見るのはちょっと待ってくれるかしら。先にみんなの見解を確認しておきたいわ」
「ですね」
「あー……すいません。そうでした」

 言われた言葉を否定しようとして出来ず、気恥かしさに首を掻く。
 共通ルールを作って認識を揃えておいたほうがいいと、最初に言ったのは高尾だった。

「高尾君、このスレッドの話、他のチームメイトにはしてる?」
「いーえ。話聞いたの1回自宅に戻った後だし、こんなん軽々しく吹聴できないっすよ。頭おかしいと思われそうだし」
「そうね。私も内容確認してからと思って他の奴らには言ってない。正直、もう少し事態が動くまでそのままがいいのかと思ってるわ」
「特定不可、ですか」
「それよ」

 匿名投稿以外出来ない、通話やメールだけでなく、個人を特定して発信する情報は全て遮断されてしまう。決して自分達の正体を探らないでほしい。
 早い段階で提示されていたこの条件は、外から援護する身からすれば途方もない不条理だった。
 本当に自分達の探している相手なのか、事態が真実起こっている事なのか、確認する術を最初から奪われているのだ。
 これが誰かの仕組んだゲームだったとしたら、狡猾に過ぎる。

「この、信じていいのかわからないけど動かないのはもっと気持ちが悪いっていう感じ、イライラするわ。ほんとはとっとと真偽確認して、他の奴らにも手伝わせたいところなんだけど。……何で本人確認しちゃだめなのかしら。二つ三つも質問すれば本物かどうかくらい簡単にわかるのに」
「理屈はよくわからないっすけど、実際電話はつながらないし、メールも届かないし、ここしか話せないっていうならルールは守っておくべきだと思うっすよ」

 スレの代わりに検索した黄瀬のブログを表示させ、先ほど聞いたコメント欄の発言を探す。さすが有名人、という数のコメントを遡っていくと、ほどなくそれは見つかった。
 『助けて下さい』静かに訴えかける"A"という人物━━━意味深長な言葉は指摘を受けることもなく、そのままたくさんの発言に混じって埋もれてしまっている。
 誰もその言葉の切実さに気づかない。
 差し出したスマフォの画面を3人が覗き込んで、三様に顔を顰めた。

「気持ち悪いわね……」
「試すのはリスクが大きすぎると思います。そもそも事態が現実とは乖離してますし、何でもあり得ると思っておいたほうがいいんじゃないですか」
「カイリ?って何だ?」
「だまってなさいバカ神」
「うっす……。ところでこれ、偶然本人だってわかっちまったらどうすんだ? ……ですか?」

 当たり前の疑問を口にする火神に、同じ疑問を抱いていた高尾は女性陣を見る。答えを知っているとは思わないが、彼女達がどう考えるかは興味深かった。
 正直、こちら側で確信しただけなら問題ないのではないか、と高尾は思い始めている。スレ主も、『わかっても言わないでくれ』といったような事を言っていたはずだ。
 ただ、それを試す勇気はないし、結果の不安定さを思えば確定してしまうのが怖くもある。
 彼女達なら高尾とは別の結論を得るのではないかという希望的観測があって……しかしそれは、やはりただの希望的観測でしかなかった。
 難しい顔のまま溜め息をつくリコに、桃井も困ったように視線をさ迷わせる。

「それよね……。これだけベラベラ喋ってたら知ってる人間なら偶然わかっちゃうこともありうるでしょ。実際キセキと疑われて話が来たって言うし。正体がバレたらアウトなのか、それともスレで周知されなければOKなのか、それだけでもはっきりしてればいいんだけど」
「でも、スレで聞くのは危険ですよ。他の皆さんに無用な興味を与えかねません。巻き込まれた側の彼らが正確に"ルール"を把握しているとも思えませんし」

 至る困惑は同じだ。当たり前か、材料が同じなのだから。
 顎に手を当てて黙り込んだリコは、しかし一つ大きく息を吐き出すと、指揮官らしい明瞭さで指示を出してきた。
 この顔ぶれはやはり正解だったのかも知れない。一人が年上、しかも『監督』だ。最終判断を委ねることに、互いにためらいも戸惑いも感じなくて済む。

「仕方ないわ。事がこの事態なら、トラップは避けるべきよ。私達もルールを作っておきましょ。本人とわかってしまうような確認は避けること。アップされる写真は開かないこと。確信が持てても他のメンバーにはそれを伝えないこと」
「写真? 何でだよ? 状況見るヒントじゃねーか。…っす」
「ダメだよかがみん。手の平程度ならともかく、姿が写っていたりしたら本人かどうかわかっちゃう」
「あー…そっか、めんどくせえな」
「だから面倒くさいって最初から言ってるでしょ」

 忌々しそうに、しかし表情ほどにはきつくない声で言い放って、リコは自分の携帯を取り出した。閲覧は解禁らしい。

「あとはそうね、必要がない限り、スレへの書き込みはこのまま高尾君に任せましょ。この組み合わせを想像できるとも思えないけど、向こうにも私達が動いてるって悟らせない方がいいのかも知れない」
「そうですね、そのほうがいいかも」
「俺は別に、そもそも日本の掲示板の書き込みルールとかよくわかんねーし」
「っす。じゃあこのまま任されます」

 さくさくと出される指示を、念のためというよりは自分に言い聞かせておくため、引っ張り出したノートに書き込んでいく。
 写真は見ない、と書いて、最初の写真を思い出した。
 這い上がってきた寒気に腕をさする。
 窓に映り込んだ無数の手よりも、靄の中にくっきりと見えた子供の顔が忘れられない。
 スレでも指摘した者はいたが、そのように見える……なんて、含んだ言い方をするまでもないほどはっきりと、幼い子供が写っていたのだ。大小角度はそれぞれ違ったが、2人、ぼやけていたがもしかしたら3人か、苦しげに顔を歪ませた青白い顔は、確かにこちらを向いて何かを訴えようとしていた。
 合成だったとしたら、その作りはあまりにも悪趣味だ。

「他に何か気になることはある?」
「気になるってか、本人とかはともかく、いや本人ならだけど……これ、多分文字読んで感じる10倍はまずい事態だと思った方がいいと思う。……っす」

 リコの問いかけに小さく手を上げながら、火神が言う。
 高尾は首を傾げたが、リコと桃井は解りきったこととでも言いたげに頷いた。

「そうね」
「ですね」
「何で」
「黒子君が焦ってるのがはっきりわかるからよ」
「黒子って基本的に感情表に出さないって言うか、あるんだけど見えないようにするのが癖ついてるっていうか、端でわかるくらい表面に出るときって相当行き詰まってる時なんだよな」
「あー……、うっすいもんなー」
「彼のあの影の薄さは生来の資質が6割、そうあるように日頃から努めてるのが4割ってとこよ。自分を消すことに慣れてるし、人に見られる文章ならどんなに短いものでも必ず推敲してから出してくる。隠してる余裕がないくらいせっぱ詰まってるってことなのよ」
「他の子の反応は多少盛っていたとしても、テツ君の感情がこれだけ丸見えっていうのは不安です。『怖い』なんて、普段のテツ君なら絶対に言葉にしません」

 なるほど、言われてみれば黒子だけじゃない。
 プライドの高さはエベレスト級の天才達ばかりが揃っているのだ。事態の報告に混ぜ込んでくる感情の波は、実際よりもずっと小さく表現されているだろう。
 落ち着いて見えるから落ち着いているわけじゃない。それは心に留めておかなければならないことだ。
 正直に言って面倒くさい連中だと思ったが、ギリギリまで折れずにいてくれるだろうと思えば心強くもあった。

「急がないといけないとは思うけど、焦っても仕方がないわ。私達にできることは限られてる。間に合うことを祈って、出来ることをやりましょ」
「はい」
「だな」
「っす」

 とりあえずギリギリ終電には間に合うことを確認し、現地に着いたら直接旧村部近くまで移動してしまおうとだけ決める。
 行き当たりばったりすぎる作戦は女性から出されるものとも思えず驚愕したが、正直一日分の宿代が浮くのは願ったり叶ったりだった。

 そこからは、各自スレを追いながら静かに過ごした。たった2時間弱の道中、しかし焦れば焦るほどその時間は途方もなく長い。
 ああくそ、この写真見たいな。お恵みってどんなんだよ。てか大きさガチって、もうその時点で特定じゃねえの。あんなでかい集団そうそういるかよ。いやでも、一回りずつ小さくても撮り方次第で騙せるのか?
 辿ったスレッドを少し戻ってリンクを睨んでいた高尾は、肩に突っ込んできた頭にぎょっと体を強ばらせた。
 気がつけば誠凛組は2人とも夢の中だ。そうか、こいつら今日試合してたんだもんな、と思って、それは自分もだったと思い出した。
 思い出すと途端に疲労感が伸し掛ってくるから不思議だ。
 ちらりと見ると、桃井は携帯ではなくノートパソコンを膝の上に置いて、時折何かを打ち込んでいる。恐らくスレの中から情報を掬い上げているのだろう。
 同行を頼んだ相手を残して寝落ちするわけにもいかず、高尾はもぞもぞと姿勢を立て直した。

「桃井さん、結構落ち着いてんね。全員知り合いだし、もっとうろたえるかと思ったけど。やっぱ疑ってる?」

 火神の頭を起こさないよう静かに押し戻しながら尋ねると、桃井は俯けていた視線だけをちらりと上げて、小首を傾げる。

「うーん……。というか、見ていてあんまり悲観的になれなくて。危ない状況だって実感が薄いせいかもしれないんだけど、皆が一緒にいるんだって思うと、負けが想像できないよ」

 年上のリコが寝ているせいだろう。口調を崩して答えてくるのに、ああ、バスケ部だなぁと思った。中高運動部の縦社会は絶対だ。

「あー、なるほど……てか、こいつら実は結構仲良かったの? 俺なんかにはそこ違和感なんだけど」
「うん。仲、良かったよ。休み時間とか部活帰りも一緒にいること多かったし、休みの日も買い物やストバス行ってたり。一緒にごはん食べて、コンビニ寄って買い食いして。ミドリンと赤司君はよく将棋差してたな」
「あ、それは聞いたかも」
「あの子達もちゃんと"チーム"だったんだよ。女子マネが疎外感感じるくらい、ちゃんと輪っかだったの。卒業する頃にはバラバラになっちゃってたけど……」

 仲良く一緒に過ごすキセキ。
 試合中の彼らしか知らず、相対するときは敵同士、という状況しか見ていない高尾にはいまいち想像し難いが……何せキセキ同士の対決と来たら、見ているほうが疲れ果てるガチっぷりだ。火花で引火しそうなほど。

「だから何だか」

 小さく続けた桃井の、ディスプレイに向けられたままの目を、高尾はぼんやりと見ていた。

「これが本物のみんなだったら、私は少し嬉しいな。あの頃に戻ったみたい」

 でも本当は、こんな状況じゃないとこでが良かったよね、と続けられて、そうだね、と返す。
 想像できないけど、そうだね。
 あの偏屈メガネがその時どんな顔をするのかは、……今どんな顔をしているのかは、少しだけ、興味があるよ、俺も。