母娘が現れたのは、14時も回ろうかという頃だった。
年末の大掃除後で埃など殆どない寺の表面を申し訳程度に磨き上げた後、昼食を挟みつつ老いた住職一家にはきついだろう力仕事や高所の手入れ、境内の修復を隅々まで手伝った高尾達4人は、すっかり寺の人達と打ち解けていた。
手をつけられなかった大きな石灯篭の修繕すらひょいひょいとこなす男子2人は特に、申し訳ないほどに感謝されて恐縮しながらの作業だった。昼時の女性陣の台所への侵入は火神がものすごい形相で止めていたが、賢い高尾は理由を尋ねたりしなかった。
正直、状況が状況でなければそれは楽しい時間だった。同じスポーツに打ち込む同伴者達とは話が合ったし、住職一家はまるで孫が来ているかのように暖かく接してくれた。何事もなく手伝いに来ていたのなら、充足感のある良い年末になっただろう。
しかし心にはいつでも少しの引っ掛かりがあって、皆が皆、僅かに手が空くと携帯を開いてスレを確認していた。
今の子は本当に携帯電話を手放さないね、と婦人にからかわれたりもしたが、笑って返す顔は多分少し引きつっていた。昼食を挟み少し長めの時間を置いて開いた時には、気丈な女子2人も顔色を失っていた。
自分達の手の届かないところで事が起き、ほんの僅か目を離した隙に大きく事態が進んでいる。それは途方もない恐怖だ。
子供が現れた後は特に、今この時にも何かが起こっているかも知れないという不安が胸を占め、疲労感がいや増した。
待ち人がやってきたのは、表情の固くなった学生達に、もういいからお茶にしようと住職が声をかけてくれた直後のことだ。
慣れたやり取りなのだろう。寺院の玄関口で住職夫妻に深々と頭を下げて挨拶し、墓地へ向かう。娘の方ももう良い年で、母親は腰が曲がり、支え無しでは動くのも大変そうな様子だった。
今キセキ達の前にいる"子供達"も、生きていればあんな年頃だったのだ。そして人があんな年頃になるほどの時間を、さまよい続けている。
これまでとは色の違った意識がそれぞれの胸を過る。
さすがに家族の語らいに水を差すのは気が引けて、墓参りが終わるのを玄関に座り込んで待っていた。
30分ほどして戻ってきた母娘は、土地ではほとんど見ることのなくなった学生達に目を丸くして、事情を聞くと「あらあ、大変だったねえ」と大らかに応じ、これから小学校の跡地へも参るから話を聞くなら一緒にどうかと、願ってもない申し出をくれた。
「ラッキー続きで逆に怖いっすねー」
「素直に喜ぶべきでしょ、知識的土台が何にもない状態で来てるんだから」
「駅まで歩いて帰れないこともなさそうですし、お話が終わったら別れて少し調査して行きましょう」
「おう」
事故の跡地は駅を挟み、寺とは真逆の方向だった。
町の中心地らしい駅周りには2階建て程度の商店がいくつが並んでいたが、三分の一程度はシャッターが下りていて、何分も行かないうちに畑の中を通る細い道に入ってしまう。
本当に小さな、小さな集落だ。住宅もいくつかしか見ないまま山道に入り、少し進んだところで三台分しかない小さな駐車場に車は停まった。山道の入口らしい。
高校生4人を一度には乗せきれないためわざわざもう一台車を出してくれた住職は、またおいでと何度も言ってくれ、コンビニもないから、と弁当を持たせてくれた。
何度も頭を下げて礼を言い、必ずまた来ると約束した。田舎に泊まる系の番組で別れ際にいちいち泣くのがわざとらしいと思っていたが、本当に少し泣けた。嘘をついて泊まり込んだことがたまらなく申し訳なかった。
「来年、早めの時期にみんな連れて手伝いに来ましょ。日帰りで」
「っす。黒子こき使わねーと」
「全くだわ」
かろうじて人が歩ける程度に整備された細い山道は、階段の丸太は腐っているし、砂利敷きで、老人の足にはいかにも辛そうだ。
娘に支えられてゆっくりと登っていく背中に声をかけたのは火神だった。
「あのさ、良かったら俺背負うぜ? ……です」
「あんにゃぁ、ありがとない、んだども足動ぐうちぁね、自分で登らにゃあんめえ。あん子らんごど思んばしっちゃもんだね」
「おうふ」
よぼ、と音のしそうな様子で腰の曲がった老婆から出てくる言葉は方言成分100%で、都会の若者にはとてもではないが太刀打ち出来ない。住職達もちょこちょこと聞きなれない響きの言葉を使ったが比じゃない。
固まった火神に娘はコロコロと笑って、大丈夫よ、と言った。
「婆ちゃんにはね、この道を自分で歩くことが供養なんだぁ。若い子はイライラすっかも知れないけど、付き合ってやって」
「あ、いえ、イライラとかはしねえ……です。ただ大変そうだと思って」
「私が子供ん頃はこん辺りまで開けた土地だったんだけどねえ、過疎が始まってて休耕地も多かったし、事故の後もう一度拓いてここいら耕そうって人もいなくて。結局土地は山にお返ししたのよ。慰霊碑に向かう道だけを整備したんだ」
だから学校跡地って言っても何もないのよ、と娘は言い、事実、辿り着いた"跡地"は20m四方が木の柵で仕切られただけの小さな広場だった。
辺りは鬱蒼と木が生い茂り、日当たりもあまり良くない。言われなければここに学校が立っていたなんて信じられないだろう。
中央よりやや奥まった位置に慰霊碑がある。慰霊の文字の下に、鎮魂の言葉と、小学校の名前、そして教職員を含む8名の犠牲者の名が刻まれている。
傍らにもう一つ、岩の表面を削り磨いたような形の小さな碑が置かれ、表面に幾つかの文字が刻まれていた。こちらは崩れた行書で読み取れない。
母娘はまず大きな碑の前に腕に持っていた大きな菊の花束を置いて手を合わせ、次に隣にある小さな碑の前に紙袋から出した一輪の花と、ティッシュの上に出した饅頭を一つ置いた。
2人に倣い一緒に手を合わせながら、それは?とリコが控えめに声をかける。
「この子」
石碑に刻まれた名前の一つを示して、娘が言う。黒崎絢子。犠牲となった少女の名前だ。
「絢子ちゃんは校舎の中に残ったまま見つかったんだ。だからこれは、あやちゃんの碑。すぐそこにあるのはこの人、宿直室にいたの。若い先生でようやく赴任してくれたのに、残念だった。一人一人、見つかった場所に碑が建てられてんだ。私ら全部回るけど、どうする、ここにいる?」
「いや! 一緒にお参りさせてもらっていいっすか。できればどんな子だったのかも聞かせて欲しいんです。詳しく」
「子供達?」
「あ、いえ、もちろん教職員の方も」
「山のこと調べてるって聞いたけど……」
「あの、そうなんですけど、昨夜住職から色々お話を聞いて、ここでどんな人達が生活していて、どんな状況で事故に遭ったのかまで伝えていくべきなんじゃないかって話し合ったんです。それでお二人に話が聞きたいと申し入れたんですよ」
「そう! なんです!」
いかにも胡散臭い様子で頷く高尾が、少し離れた場所に立つ桃井に向けて後ろ手でグーサインを出す。自分がこういう交渉に向いていないことを重々承知している火神は最初から少し引いた場所にいて、リコは絢子の喪碑を感情の読めない顔でじっと見つめていた。
「聞かせていただけませんか、子供達のこと。どんなふうに暮らして、どうしてその日事故に巻き込まれたりしたのか」
「ひ、悲劇をくり返さないためにもっ、そういうのも一緒に伝えていきたいって言うか!」
熱心に訴え掛ける若者に、娘は少し困ったような顔をして、老いた母を見る。母親は物思うような視線でじっと正面に立つ高尾を見上げていて、その様子に娘は一つ、溜め息をついた。
「あの頃はもうテレビも普及してて、情報はあっと言う間に広がっだんだ。今みたいに権利だ何だってうるさくなかったから、土地も、亡くなった子供達も実名出して晒し者にされてね」
少し影を纏った声がゆっくりと語る。思ったのと違う内容に4人は目を丸くしたが、誰も口を挟もうとはしなかった。
「なーんにも知らない赤の他人が、何で子供らだけを危険な学校に放置してたんだって文句言ってくるんだよ。電話、手紙、直接殴り込んできた人もいた。村のみんなで大事に大事に育ててた子供らいっぺんに亡くして、打ちのめされてる村の人がカメラに追っかけ回されて、村総出で必死に子供ら探してる間も石投げられて邪魔されて。いきなりお天道様が消えたみたいだった。毎日辛くて辛くて、父も母も私も何度も泣いた。興味本位で騒ぐだけ騒いで、後は忘れられていくだけで、この子達はどこで浮かばれるんだろうって━━━」
取り出したハンカチを、自分ではなく皺に半ば埋もれた母の目にそっと当て、娘は優しくその背を撫でた。
「━━━ありがとね。あの子達を忘れずに、こうして若い人が訪ねて来てくれただけで、ほんとに嬉しい」
笑った娘の目も涙が膜を張っていて、後ろに控えていた火神の喉から「うぐ」と堪えるような音が漏れた。