ドッペルゲンガーというものがこの世界には存在する。所謂『自己像幻視』と呼ばれる現象の事を指すもので、同一人物が別の場所に姿を現わす現象もその一種だ。
(ドッペルゲンガーに出会うと悲惨な目に遭うという言い伝えが昔からあったよな)
そう思いながらカルデアの技術部に所属する技士の衛宮士郎は、真剣な表情で食堂の台所でチョコケーキを作る自分そっくりのショコラティエと、ショコラティエの手伝いのために周囲を漂いつつチョコレートを湯煎している高校生時代の自身を見ながら、呆然と立ち尽くしていた。
「……ドッペルゲンガーだ」
そういえば最近、覚えのない用件で話しかけられることが多かった気がすると過去の記憶を脳内で再生する。
『よう衛宮、さっきは切れた電球の替えをくれてサンキュー!お前の魔術って本当便利だよな』
(最近、電球を投影なんかしてない)
『あ、士郎さん。先程チョコクッキーの差し入れありがとうございます!』
(最近、お菓子どころか台所にすら入れてない)
『あれ、もうコスプレはやめたのか?』
(コスプレをやめるどころか職員用の制服しか着てないぞ)
なんだか色々と謎が解けた気分だ。士郎は溜息を一つ落とし、とりあえず席について今日の担当であるタマモキャットお手製の料理を貰う。ケチャップがZの字を描くようにかけられたフワフワのオムライスに新鮮な野菜のサラダ、コンソメスープが置かれたトレーを持って隅っこの席に座り手を合わせる。
(——それにしても)
士郎はサラダに青じそのドレッシングをかけて再び台所の方を見遣る。
ここ最近、カルデア所属のマスターである藤丸の召喚頻度が格段に高くなった。廊下を歩く度に新参のサーヴァントや人型の概念礼装との出会いが増え、召喚頻度に比例してシュミレーターの起動やレイシフトの回数も増えている。そのため士郎達が所属するダヴィンチ直下の技術部門の仕事は増える一方で、士郎も仕事に忙殺されて鍛錬や手伝いに行ける時間が減ってしまっていた。
『もしかしたら迷惑を掛けてしまうかもしれません』
何時ぞや、士郎の自室にて去り際に呟いた藤丸の言葉を思い出す。
(迷惑じゃない。けどこれはなんというか)
古い鏡を見せられてる気分だ。
「きっと、アイツもこんな感じだったんだろうな」
スプーンで卵を一口大の大きさに切り分け、中のチキンライスと共に口に入れる。
「む」
半熟の卵の柔らかさとチキンライスに使われているケチャップの味が合わさり、士郎は思わず唸りを上げる。この食感を見事に作り出した料理人の腕を心内で褒めながらオムライスを食べるためにスプーンを進めていった。
その間にも自身と同じ顔の2人はスポンジを次々とオーブンから調理台に移して高く積み上げていく。パッと見て50cmの高さはあるだろうケーキの高さに、一体何のために作っているか気になって食事を口に運びながら視線はついつい台所に向かってしまう。
「おう、シロウ。隣いいか?」
「ああ、どうぞ」
隣にドカリと乱暴に座った人物が士郎に声をかける。顔を向けてみれば同じ技術部門のスタッフが豪快に笑いながらフォークを持ってサラダに勢いよく突き刺す。
「さっきからなんか熱心に見てるみたいだが、何見てたんだ?」
「……」
モシャモシャとフォークに刺さったサラダを大きな口に入れて咀嚼しながら問う男性に、士郎は無言で台所を指差す。スタッフは視線を士郎の指先へと向ければ、ショコラティエは黙々と高校時代の士郎の姿をした人物が作ったチョコレートクリームをスポンジに綺麗に塗っていく姿が目に飛び込んだ。着々とスポンジの少し白めの黄色がチョコレートの焦げ茶の色を纏っていくその様は第三者から見れば見事なものである。
その様子を見ていた技士は再び士郎の顔を見て、一言呟いた。
「……ドッペルゲンガー?」
「やっぱりそう思うか?」
「ああ。お前よりは若くみえるが、ありゃどう見てもシロウだ」
「そうか……道理で最近見に覚えのない事で話しかけられると思ったらこういう事だったんだな」
「そういや、ここ最近はお前の目撃情報が急激に増えたな。しかも瞬間移動の魔術を取得したブラウニーとかいう噂も立ってたし」
「瞬間移動の魔術って……」
「だって、お前が仕事で引きこもってた時期にあちこちで備品整備してる赤毛っぽい男がいるっていったら、瞬間移動したのか?って思わないか?」
「ああ……まあ……うん」
士郎はサラダをフォークで突きながら苦笑いで言葉を返す。
そういう理屈が罷り通ってもいいのかと言っても、ここは魔術も科学も共存する人類の最後の砦。何があっても可笑しくないと言われてしまえば口を閉ざすしかない。現に士郎自身が魔術を扱える魔術使いの上に別の並行世界の住人という特殊な事情を持っているのだから、もうなんでもありなのかとさえ思えてくる。
コンソメスープの程良いしょっぱさとスープの味が染み込んだ野菜とベーコンを味わいながら飲んでいく士郎に、サラダを食べ終えてオムライスに手を付けた男は尚も会話を続ける。
「シロウはあそこに混ざらないのか?お前も結構料理出来るもんな」
「……料理は好きだけど、この後ダヴィンチさんに呼ばれてるんだ」
「ああ……頑張れ」
同情の目を向けてくる男に無言で頷いて返事をする。
ダヴィンチがスタッフを呼ぶということは人手が欲しい時や急ぎの用件、マスターとサーヴァントが特異点へレイシフトする時ぐらいだ。そしてそれらは半日や1日の仕事量で終わることは殆どない。つまり徹夜必須事項である。
士郎はご馳走様、と空の食器を載せたトレーを食堂の返却口へ持っていく。そしてこの後舞い込んでくるであろう上司直々の仕事に臨むため、気を引き締めてダヴィンチの工房へ行くために足を進めた。
************
「————っ」
噛み殺しても噛み殺しても尽きない欠伸をしながら士郎は仕事を終えて自室へと向かう。仕事は結局3日程かかってしまい、ダヴィンチから直々に最低6時間以上の休息時間を設けるように命令が下された。実際に士郎の集中力は仕事前よりも何割か低下し、注意してるのに凡ミスが増えていたため(士郎にしては珍しく)素直に休息の時間を頂くことにした。
重たい瞼を閉じないように必死に見開きながら自室へ向かうと、廊下の向こう側から忙しない足音と共にワゴンの車輪がゴロゴロと動く音が聞こえてくる。
「ん?」
思わず足を止めて自身の進行方向を凝視すると、足音や物音が近付くに連れて音の正体が徐々にだが現れてきた。
「ム」
遠くて曖昧だった音の正体が視界でハッキリとした輪郭を持った時、士郎は思わず唸り声をあげた。
「……ドッペルゲンガー」
そう呟いた時には、食べ物とそれを覆う蓋を載せたワゴンをせっせと押しながら小走りする士郎と同じ容姿の少年二人が目の前へやってきた。
「……」
「……」
「……」
「……どうしたんだ?」
何を言うでもなく見つめる自身より少し若い衛宮士郎(じぶん)に、士郎は耐えきれず問いを投げかけた。
シェフの様な格好をしている方はワゴンと士郎の交互に目配せをし、無言で何かを訴えている。
(そういえば、人型の概念礼装は喋れない奴が多いんだっけ)
ふと、人型の概念礼装についてスタッフが話していた事を思い出す。彼らは原型となるオリジナルを基に作られた概念であり、その中には人型としてサーヴァント同様に自由に動き回る個体も存在する。しかし、所詮は概念でしかないために一部欠陥しているものが殆どだという。大抵の場合は声帯の未発達。つまり殆ど発声する事がない。
だから士郎の問いに応えようとも、紙とペンや端末のメモ機能がない限り伝える手段がないのだ。
困ったなと無意識に人差し指で頰を掻くと、赤い布を纏っている高校時代の私服姿そのままの方の少年が無言で右腕を突き出す。そして右腕に魔術回路が浮かび上がりバチっと火花が飛び散った時には、漆黒の中に赤い紋様が浮かび上がる剣が握られていた。
(——解析、開始)
その剣に彼らが求める答えがあるのかと思い、目を閉じて剣に触れながら解析の魔術を行使する。
(基本骨子は殆ど『エクスカリバー』に近い。けど構成材質や他の部分で反転の要素が含まれている。……ということは)
士郎は再び目を開けて少年二人を見る。
反転したエクスカリバーの持ち主といえば該当する人物、いやサーヴァントは一体しかいない。
「セイバー、のオルタの方か?」
士郎の言葉にコクリと頷く二人。
「もしかして、何処にいるかわからない?」
また頷く二人。
「ああ……今日はまだ見かけてないから正確な位置は分からないな。とりあえず部屋を見に行ったらどうだ?」
そう答えれば、2人は『もう行った』とばかりに首を振る。
「そうか……役に立てなくてごめんな」
力になれなかった罪悪感と共に口から出た謝罪を受けた2人は、お礼を伝えようとしてるのか同時にお辞儀をする。そして折った腰を元に戻すと、再びワゴンを押して廊下をパタパタと駆けていった。
去り際、ワゴンから甘い匂いが士郎の鼻腔を擽る。匂いの正体はすぐに分かった。
「チョコレートの匂いだ」
この間の台所で作っていたのもチョコレート、今しがた運んでいたのもチョコレート。状況から推測するに、どうやら二人はアルトリア・オルタに連日チョコレート菓子を作る様に命令されているようだ。礼装の相性的に今ひとつ噛み合わせが悪いのではと思ったが、そこは関係ないようだ。
「まあ、なんというか」
礼装になっても、反転したとしても、どうやら衛宮士郎はアルトリアの食べ物を与える役割を担う傾向になるらしい。
「……寝るか」
次第に思考もぼんやりとしてきた士郎はそのまま自室に向かい、部屋に入った瞬間に制服の上だけを脱いでそのまま布団へ潜り込んだ。
(今度、セイバーに何か作ってやろうか)
そんな事を思いながら、士郎はゆっくりと夢の世界へ旅立った。
************
一方その頃。
「遅い」
黒いドレスを纏った薄い金髪の少女は、金色の瞳で目の前にいる少年二人を苛立たしさを隠さず睨みつける。睨みつけられた二人は、慌てながらそれぞれ行動を起こす。
ショコラティエの格好をした少年は手にしていたワゴンを少女の前に移動させ、恭しく上に載っている蓋を開ける。蓋を開ければ、そこにはコーティングされたチョコレートが艶々と輝くクラシックチョコレートケーキが鎮座していた。大きさは大体7号程で、ケーキの横にはベリーソースとラズベリーが数粒添えられていた。
もう一人の少年は布ナフキンとを投影し少女の首に優しく掛けてあげ、首が締まらないように気を遣いながら後ろで結んであげる。
「では、いただくとしよう」
ナフキンを縛り終えた少年は瞬時にナイフとフォークを投影し、ワゴンの皿の横へと添える。それを少女は両手で持ち、丁寧にチョコレートを切り分けてケーキを黙々と口へ運び出した。
「やはりシロウの作るものは美味しい」
暴君として振る舞う黒い少女——アルトリア・ペンドラゴン・オルタは僅かに笑みを零しながらチョコレートケーキを頬張り続ける。
それを見ながら、二人の少年は幸せそうに眺めながら次に来るであろう言葉に備えて再び準備を始めた。
「シロウ、おかわりを所望する」
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気を抜くとアルトリアと士郎さんの話を書いてしまう不思議。
とにかく士郎さんをたくさん出したかったのと衛宮さん家を見て唐突に書きたくなった話です。
ショコラティエも投影魔術もアーツアップ系の礼装ですが、そんなの関係ないから美味なものを寄越せという暴君セイバーとそれに懸命に答える礼装士郎'sと大変だなあと見守るスタッフ士郎さん。この時はまだオルタとスタッフ士郎さんは対面してません。何故か顔を合わせる機会がない。青セイバーさんとはよく会うのに不思議だね。